2 side海 誰かの『推し』になった日

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2 side海 誰かの『推し』になった日

(マイク新しいの欲しいな……。いや、それより録音ソフト見直した方が良いのかな……)  ディスプレイに表示された設計書を修正しながら、ぼんやりとそんなことを考える。  バーチャルストリーマーになって、五年ほど。個人で活動していることもそうだが、ストリーマーに友人のいないボッチゆえ、配信環境がどんなものが良いのか、未だに良く解っていない。ネットに転がっている情報をみても、どれも何となくピント来ないか、試すには躊躇する金額の投資が必要だった。マイク、オーディオインターフェース、ミキサーにキャプチャーボード。配信機材の他にもパソコンやマウス、キーボードなどの周辺機器が必要だ。ゲームをやりながらの配信となると、ある程度の高スペックPCが必要だったし、動画編集をするにはまた別にパソコンが必要だった。こだわればきりがないし、無料のものもどこまで使えるのか分からない。五年やっていても、解らないことだらけだ。 (そもそもボイチェン使ってるから、音質が悪いんだよな)  バーチャルストリーマー『天海マリナ』として活動して、五年。六年目に突入した。俺はいわゆる、『バ美肉おじさん』である。  バ美肉おじさん――つまるところ、『二次元美少女の面を被った、中身はおっさん(男性)』ということだが。この天海マリナという疑似の肉体を手に入れ、声はボイスチェンジャーで作るという行為をして、はや五年ということだ。  ストリーマーとしては新人とは全く言えない年数を重ねてしまい、観てくれている視聴者の数は伸び悩み。しかし、切り捨てるほど視聴者は少なくない。微妙な立ち位置である。  転生しても良かったが、(※転生=名前を変えて再デビューすること。大抵バレる)自分を認めてくれているファンたちの前から消えたくない。天海マリナは分身で、もう一人の俺だった。 「隠岐、ちょっと良いか?」 「あ、はい」  課長に声をかけられ、顔を上げる。 「お前いま幾つ案件抱えてる?」 「えっと、……三つです」 「そっか。もう一本プロジェクト入れる? 向こうトラブってて」  内心嫌だったが、「入れる?」は「入ってくれ」と同義である。断る余地は勿論ない。 「解りました……」  嫌な顔を表に出さないようにして、頷く。課長は満足したようだ。さらに話を振ってくる。 「それじゃ打ち合わせ参加して。お前もそろそろやらされるだけじゃなく、自分で動けよ? 発表は任せたからな」 「う、はい……」  プレッシャーをかけられ、顔がひきつる。  課長が言うのももっともだ。入社して四年も経つのに、新人気分が抜けていないのを見抜かれている。 (う……嫌だなぁ……)  発表といっても、社内向けだろうが、人前に立つのは考えただけで緊張する。避けて通るのは難しいだろうが、とたんに今やっている仕事まで嫌になってきた。考えただけで鬱々とした気分になり、胃が重くなってくる。 (同期の榎井だってもうバリバリやってるし、なんなら俺より後から入った新人だって……)  同期入社の榎井飛鳥は、すでに何件もプロジェクトを任されている。同じプロジェクトは関わっていないが、確かプロジェクトリーダーもやっていたはずだ。  社会の歯車で良いと思っていても、いずれ責任ある場所に行かなければいけない。その重圧と煩わしさが、億劫でたまらない。言われたことだけをやっていたいのに、そうは行かないらしい。下からはどんどん新人が入って来て、自分の居場所は上へと押し上げられる。上に居なければ、「使えない」人間になりそうで怖い。けど、上に行ったら責任を持たなければならなさそうで、それも怖い。 (はぁ、配信で食っていけたらなあ……)  現状を解っているだけに土台無理な目標だが、ついつい夢見てしまう。明日急に動画がバズって、一躍有名になれるんじゃないか。そんな、中学生みたいな妄想をしてしまう。  夢みたいなことを考えながら、俺は画面を睨み付け溜め息を吐いた。    ◆   ◆   ◆  弁当の包みを手に、裏庭に回る。部内では俺が外ランチに出掛けていると思っている者も多いようだが、実際には一人で寂しく裏庭ランチである。ここは誰も来ない穴場なので、会社にいて唯一気が休まる瞬間だ。  弁当といっても、おにぎりを握ってタッパーに残り物を詰めただけである。節約生活の理由は、結局のところいつか配信だけで食いたいという気持ちがどこかにあるからだろう。 (この前あげた動画、いつもより再生数多かったよな……)  俺は天海マリナとして、主にゲーム実況と歌の配信、雑談配信をしている。オタク気質というのもそうだが、先行投資が少ない印象があったからだ。何かが好きならそれを紹介するような配信をしてもよかったが、見映えを気にする料理動画や、得意を売りにする趣味動画は作れそうになかった。だから、メインはゲーム実況となっている。  ゲームなら遊んでいる動画を上げるだけ。そう思ったが、いざやってみると思うように反応はなかった。喋りが面白くなければならない。あるいはスーパープレイで魅せなければならない。もしくは強烈なキャラで盛り上げなければならない。プレイスキルが中途半端で、キャラ立ちもしていないストリーマーなど、掃いて捨てるほど溢れている。大手所属のストリーマーならいざ知らず、多くのストリーマーが生まれては消えて行っているのが実情だ。  先日アップしたのは、死にゲーと言われているゲームで、視聴者から勧められてプレイし始めたものだ。もともとは古い作品で、フリマサイトで300円で買えたことも大きい。  ゲームが良かったのか、内容を気に入られたのか、いつもは多い時で300人前後の再生数が、『ステラビ』というそのゲームに関して、一日で800再生まで伸ばしていた。やっている人がいないという理由だけで手を出したが、良い結果だったと言える。 (問題は、この流れが続くかどうか)  物珍しさだけで言うなら、ここからの伸びは期待できない。普段はエゴサーチなどしないのだが、恐る恐るSNSを開いた。自身がどう言われているかなんて、怖くて見たくない。他人の言葉のナイフに切りつけられる恐怖心に心臓が痛くなる。  ストリーマーになった直後は、期待して『天海マリナ』で検索をした。結果が「つまんな」「また似たようなの出たな」というようなもので、肯定的な意見はあまりなかった。だから、それ以降はあまりエゴサはしないのだが。  動画の再生数に変動があったのだから、少しくらい確認してみよう。そう思い、震える指で検索をする。  正直に言えば、ちょっとだけ「この動画面白い」なんて肯定的な意見があるのを期待した。だが、現実には無反応が圧倒的なのを知っている。だから、期待半分であった。 「――え?」  驚いて、動揺して、指からおにぎり転がり落ちそうになる。見間違いかも知れないと思いながら、緊張しながら指先で画面をタップする。  絵。だった。  繊細なタッチで、華やかな色彩で、可憐な表情で。 「うそ、だろ? マジ?」  思わず呟きながら、じっと画面を食い入るように見つめる。ドクドクと心臓が鳴る。興奮して、緊張して。  それは、『天海マリナ』のイラストだった。恐らくは、人生で初めてとなるファンアート。しかも、神絵師からの。  お金を出して描いて貰った、本来のイラストも勿論大好きで気に入っているが、この絵は、正真正銘、頼まれてもいないのに描いてくれた、純粋な好意の塊だ。 (マジ、で。マジか)  詳細を確認すると、絵をタイムラインに流したのは『ヤマダ』なる人物だった。もともと二次創作でイラストを描く人だったらしく、タイムラインには他にも見たことがあるキャラクターが並んでいる。 (フォロワー、8000人超えてる……)  マリナのフォロワーが400人足らずということを思うと、かなり差がある。アマチュアではあるが、幾つかの絵はバズっている様子も見えた。ヤマダがリツイートした動画から、視聴者が流れてきたのだろう。 (えっ、どうしよう)  影響力が多少ある人物がファンアートを描いてくれたという事実は、想像以上に興奮した。これまで支えてくれたファンと相違があるわけではないが、やはり想いを伝えてくれたり、形にしてくれるのは素直に嬉しい。 (いいね、は勿論。リツイートは、何を言えば)  嬉しさを伝えるのは当然だったが、なんと言ったら良いだろう。変なことを言って気を悪くしたらどうしよう。色々なことが頭の中をぐるぐるまわる。  ふと、ヤマダのプロフィールが、目に飛び込んできた。好きなものの一覧に、見知ったアニメの名前が並ぶ。その最後に、一文が書かれていた。 『推し:天海マリナ』 「――っ!」  なんとも言えない感情が、込み上げる。 (俺、誰かの『推し』に、なったんだ)
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