46 side海 となりのアイツは俺の嫁

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46 side海 となりのアイツは俺の嫁

 指定された席に近づいて、見慣れたシルエットが座っているのに、心臓がドクンと飛び跳ねた。 「あれ?」  思わず口から声がこぼれる。席を間違えただろうか。そんなことを考えたのは一瞬で、次の瞬間には、『ヤマダ』の正体が誰なのかに気が付く。 (そうだ。あの絵――)  一度しか見たことがない榎井のイラストは、繊細なタッチで、ヤマダの絵に良く似ていた記憶がある。なぜ、そのことに今気が付いたのか。知るタイミングはいつだってあったはずなのに。  どうして良いか分からず、席の横で呆然と佇む。  榎井が、『ヤマダ』だった。視聴者として応援してくれていただけでなく、俺の支えになっていた絵師。まさか、こんな形で応援してくれていたなんて。ずっと、支えてくれていたのが榎井だったなんて。 「――ん? 隠岐? 奇遇だな」 「――」  声を掛けられたのに返事できずに、固まったまま榎井を見下ろす。口を開いたら、涙が出てしまいそうだった。榎井はまだ理解していないようで、いつも通りの笑顔を俺に向けた。 「なんだ、こんなことなら先に言っておくんだった。実は今から――」 「……あ、待って?」  榎井の言葉を遮り、思い出した重要なことに、額を押さえる。今日俺は、『ヤマダ』と待ち合わせをした。理由は、先日生放送で発言した演劇大会での出来事だ。それが、ヤマダだと言うので驚いたのだ。 (ヤマダが榎井だった? ということは、あの演劇大会で声を掛けてくれたのは――) 「榎井なの!?」 「は?」  榎井は首を傾げたが、次いで俺の言葉の意味をようやく咀嚼したようで、眉を寄せて変な顔をした。 「――ん?」 「……」  全部、全部。榎井だった。  俺が怯えて舞台に立てなくなった時も。再生数の伸び悩んでいた動画にエールを送ってくれたのも、仕事でもたもたしているときに、横から手を差し伸べてくれるのも。  みんな、みんな――。 「――っ……」  じわり、涙が滲む。嗚咽をこらえる俺に、榎井が驚いて目を見開いた。 「お、隠岐……?」 「ご、ごめ……、俺っ……」  泣き出してしまった俺に、他のテーブルに座っていた客が視線を送る。その様子に、榎井が立ち上がり、視線から守るように俺の横に回った。 「ちょっと、場所変えない?」 「――う、うんっ……」  榎井に促されるまま、俺たちはコーヒーショップを後にした。  ◆   ◆   ◆  店から出て、俺たちは無言でひたすら路地裏の方へ向かって歩き始めた。最初は泣いていた俺だったが、だんだん落ち着いてくる。落ち着いてきたら今度は、榎井に手を引かれていることに気づいてドキドキと心臓が鳴り響いた。二人はずっと無言で、心臓の音ばかりがうるさい。榎井は今、どんな気持ちなんだろうか。多分、俺がマリナだと気づいたはずだ。ふと榎井が手に持っているバナナ専門店の紙袋を見て、いたたまれない気持ちになった。 (マリナに、買って来たんだ……)  嬉しい気持ちと、申し訳ないような気持ちがないまぜになって、胸をきゅっと締め付ける。なんとなく手を離そうと指の力を緩めたが、榎井の手が離してくれなかった。  人通りがなくなって、ようやく足を止める。自然に離れた指先に、先ほどは自分から離そうと思ったのに、無性に寂しい気持ちになった。 「――あ、あのっ……」  まさかこんな形でカミングアウトすることになるとは思ってもおらず、何から話して良いか解らなくなる。心臓が早鐘を打った。榎井に、嫌われたらどうしよう。嘘つきだと罵られたら、どうしようか。  怖くて、手が震える。 「……ちょい待ち」  榎井が真顔で頭を抱えた。 「え?」 「ちょっと待て、ちょっと待て。俺――」 「?」  不安になって榎井を見上げる。榎井が恥ずかしそうにしながら俺の方をチラリと見た。顔が、耳まで真っ赤だった。 「俺、ガチ恋とか言った?」 「――言った、かな」  恥ずかしいのが伝播して、俺まで顔が熱くなる。 (もしかして、思ったより怒ってない?)  榎井の反応に、ホッとする。少なくとも、いきなり不機嫌になったりはしなかった。 「ゴメン、言い出すタイミングが、なくて……」 「ああ、それは。まあ、会社にも内緒でやってるんだろし」 「あー……。うん。そうね」  そういうつもりだったわけではないが、まあ、確かに会社にも内緒は内緒だ。  榎井は「うわ」とか「恥ずかしい」とか、そんなことを言いながらチラチラと俺を見た。 「ご、ごめん、中身俺で……。男で……」 「ああ、それは、解ってたから。男なのは」 「え? そうなの? だって、ガチ恋とか……」  解ってた? え? いつから? どういうこと?  思ってもいなかった回答に、混乱して目を瞬かせる。確かに、『天海マリナ』は性別については言及していない。ボイスチェンジャーの雰囲気から、中身が男だと思っている人は多いと思う。俺だって、『バ美肉おじさん』のつもりで活動していたし。  でも、ガチ恋と言っていた榎井が、よもや男だと分かっていたうえでそんなことを言っていたとは思いもしなかった。 「まあ、発言とか? もそうなんだけど――確信したのは、ドライヤーで」 「ドライヤー???」 「何回か、風呂上りに配信してたときあっただろ。そんで、ちょっと髪乾かしちゃうって言ってその場でミューとしてドライヤーやってたこと」 「ああ、うん。あったね?」 「あれで、すぐ解った。女の子だったら、あんな短さでドライヤー終わらないから」 「は」  マジか。それで解ったのか。確かに、女の子だったらショートヘアでも俺より時間かかるのかも知れない。観察力が鋭いのだ。榎井、恐るべし。 「探偵かよ~」 「あはは。まあ、それに、高校の時も」 「白雪姫?」 「あれ、男子トイレだったし」 「確かに」  そりゃそうだ。俺、男子トイレで立てこもってたんだもん。そりゃあ、『ヤマダ』は俺が男だと知っていたか。  ひとしきり笑い合って、唇を結び、榎井を見上げる。 「……がっかり、した?」 「いや、驚いたけど。そういや、マリナちゃんとプロフィール駄々被りしてんだよな。あれ? じゃあ、マリナちゃんになりたいって……?」  ゴクリ、唾を呑み込む。  マリナが俺だと分かってしまった今、榎井に隠し事はすべてなくなった。あるとすれば、それは俺の気持ちだけ。 (マリナ――力を、貸して……)
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