Uber Birth

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 満員電車の中では腕を少しでも動かすことは憚れるが、私は構わずスマートフォンを取り出した。胸の前にスペースがないので、スマートフォンを目の前まで持ち上げて操作する。隣の男が迷惑そうにこちらを見るのがわかった。  私はUber Birthの口コミを検索した。私と同じサービスを受けて、文句を言っている書き込みが見たくなったのだ。しかしそういった感想は出てこなかった。まだ始まったばかりのサービスだからだろうか。  TwitterでもUber Birthを検索したが、関係する投稿は出てこなかった。  スマートフォンをポケットにしまおうか迷っていると、三メートルほど離れた右手の方で、誰かが歌い始めた。 「ハッピバースデートゥーユ〜」  まさか…。 「ハッピバースデートゥーユ〜」  今度は左から聞こえる。周りの乗客達は何事かとキョロキョロ周囲を見回し始めた。 「ハッピバースデーディア山田さ〜ん」これは右からだ。  そして、左右から複数の声が重なり合い、車内に私のバースデーソングが響き渡った。 「ハッピバースデー山田さ〜ん」  電車の扉が開き、雪崩を打ったように乗客がホームに飛び出した。  あの後、三回バースデーソングが車内に流れた。私が乗った駅から会社の最寄り駅まで三駅あるのだが、電車が停まる度に何者かが歌を歌った。満員電車でバースデーソングを歌うなど、迷惑千万極まりない。乗客の中に怒り出す人物がいてもおかしくない状況に思えたが、とくにトラブルが起こることもなく駅に到着した。  歌が流れるたびに、冷や汗なのか変な汗が身体中から吹き出したせいか、喉が酷く乾いたので、改札を過ぎてすぐのコンビニで水を買うことにした。  コンビニでは揚げ物のキャンペーンをしているようで、店員が唐揚げを増量中ですとしきりに叫んでいる 。  私はペットボトルの水を手に取り、レジ前の行列に並んだ。レジの順番を待っている間、何気なく店内を見回して、ギョっとした。  天井から揚げ物のキャンペーンを告知するチラシがぶら下がっているのだが、それらのチラシに混ざって、「山田さん、お誕生日おめでとう!」と書かれたチラシもぶら下がっていたのだ。  絶句して身動きできずにいると、コンビニの店員が「お客さん」と私を呼んだ。慌てて水をレジに置く。  会計を済ませてから、私は店員に聞いた。 「あの、この誕生日おめでとうと書かれたチラシは、いつからあるんですか」  店員は私が指さした方向を見上げ、顔をしかめた。 「さっきタンクトップを着た人たちが来て、『本部からこのチラシも吊るすように言われた』と言って、つけて行ったんですよ。意味わかんないっすよね」 「あの、本部って何ですか」 「たぶん、コンビニの本社からの命令ってことだと思います」  明らかにコンビニとは関係ない輩の勝手な行動を、「本部」という言葉だけで信じて許してしまうのはよくないぞ、と思ったが、バイトに言っても仕方がない。 「そうですか。なんか、変なこと聞いてすいません」  私は頭を下げて、コンビニを出た。  タンクトップを着た人たちとは、間違いなく駅前で見た連中だろう。駅から私を尾けてきているようだ。このままだと、会社にタンクトップの連中がやって来る可能性が高い。それだけはなんとか避けなければならない。  私は周囲を見回した。タンクトップを着た人影は見当たらなかった。どこか遠くからこちらを見ているのだろうか。  Uber Birthを申し込んだとき、職場の情報は書かなかった。ここで彼らの尾行を失敗させることができれば、会社に押しかけられる可能性はなくなる。  私は彼らの不意をつくため、にわかに走り出した。周囲からは、遅刻しそうなサラリーマンと思われるだろうが、関係ない。職場にタンクトップの連中がやって来て、大声でバースデーソングを歌われるよりよっぽどましだ。
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