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1話完結ショートストーリー
彼女は誰かのために歌を歌う。だけど彼女は僕のギターでしか歌わない。僕は彼女のためだけにギターを弾く。僕と彼女はとてもいい関係だった。
初めて会ったときから彼女は歌う前に必ずあるおまじないをやった。右手の指でピストルの形を作り右のこめかみに当てて3度撃つ。1度目は体、2度目は脳、3度目は心に棲んでいる偽りの自分を撃ち抜くらしい。頭の中で架空の銃声が3度鳴り響いたら押し込められた本当の自分が出てきてくれるって彼女は言った。なんだか素敵だと僕は思った。
僕の好きはいつだって簡単にぐらつくから誰かに否定されるのがとても怖かったけれど、彼女の事なら何を言われても平気だった。彼女が素晴らしいってことは僕の中で揺らぐことがないから。まとわりつくくだらない戯言などは蝶が羽ばたくよりも静かでささいなことに思えた。
彼女の大好きなあの人は僕よりうんと年上なのに可愛くて魅力的な人のようだった。あの人も彼女が好きだって僕は知っていたけれど、彼女には何も言わなかった。ただ想っているだけでいい。彼女がそう言っていたから。
だけどあの人は僕よりずっとギターが上手だった。それを知った彼女はあの人のギターでも歌を歌うようになった。彼女にパパが2人いるという僕と彼女だけの秘密はそのうち僕と彼女とあの人の3人の秘密になった。それから彼女とあの人だけの秘密がどんどん増えていった。
彼女が幸せそうで僕はとても嬉しかった。だけど静かな夜にはなぜか涙が出た。本当の僕がずっと奥の方に隠されてしまっているような気がした。
そんな時にふとあのおまじないを思い出した。
僕は架空の銃を自分に3回撃った。
そして正直な心が向かうまま、体と脳と心に銃を3回撃ってやった。
彼女の好きなあの人が突然いなくなった。あの人を探すばかりの彼女は歌を歌わなくなった。そしてそのうち歌えなくなった。僕もギターを弾かなくなった。もう弾く必要がなかった。しばらく経って誰もいない遠くへ行くと言ったっきり、彼女は僕の前から姿を消した。
随分時が経ったけれど未だ僕は、彼女に2つ隠し事をしたまま。いつかまた会えたならば話そう。全てを話したいと心の底から思っている。君を前にして真実を伝えるのが急に怖くなったとしてもきっと大丈夫、嘘をつかず全て正直に話せるよ。だって君が教えてくれたあのおまじないを今でもちゃんと覚えているから。
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