2人が本棚に入れています
本棚に追加
新たな時を刻む
大学生は世間一般からみれば時間がある方だ、課題は多いけど結構自由!
……とここまでは去年の話。今年は就活をしなければ。まだ早いかもしれないけど今のうちから準備しておかないとね。
俺は実家の近くの芸術大学に進学した。専攻は音楽の「実技系」だ。作曲や声楽、指揮やミュージカルなども習う。将来俺はゲーム音楽に関わった仕事がしたい。ゲーム中に流れる音楽に感動して俺もゲーム作り、その中の音楽に関わってみたいと思ったのだ。
今日はこれからバイトだ。新しく始めて今日が初出勤である。少し前のゴールデンウィーク明けで前のバイトは辞めた。飲食店でホールスタッフをやってたんだけど、きつすぎた……実家暮らしの俺は帰省する必要がなく、ゴールデンウィークもお盆も正月も全て出勤した。人手不足らしく、よく俺1人でホールをまわしてたもんだ。休みだから客は大勢くるし焦るしですごく大変だった。やりがいはあったけど、就活も始まるし休日ももっと自由な時間が欲しかった。2年耐えたけど辞めることにした。
大学4年の春で、来年卒業するまでしか働く予定はない。だからなかなか雇ってもらえるところは見つからなかった。ようやく見つけたのは大きなデパートの中にある小さな時計屋さん。若干人手不足らしいけどシフトの融通はきくらしい。俺はこじんまりした空間と条件の良さに惹かれてここで働くと決めた。
教えられた通り、デパートの従業員出入口から入館する。そして従業員通路を通って大きな扉からたくさんの店が並ぶデパート内に入る。ここからお客さんの間をぬって時計屋さんを目指すのだ。
時計屋さんに着いた。「志川時計店」それがこの店の名前だ。俺は店の中をのぞいて中にいたエプロン姿の女性に声をかける。
「おはようございます、天崎です」
女性は顔をあげてこちらを確認するとニッコリ笑った。この方が店長。
「あら礼儀正しい。おはよう!今日はよろしくね。そこの従業員出入口から入ってお店にきて。裏のロッカースペースで準備してね。机の上にあなたのエプロン置いておいたから、着替えてね」
「はい、ありがとうございます」
俺は言われた通りにして、準備を済ませると店へと出た。
「じゃあ仕事を教えるわねー」
俺はしばらく毎日出勤した。仕事を覚えたいし、就活のためにお金もためないと。交通費や履歴書代など意外とお金がかかる。
1週間経ったある日、準備を済ませて店に入ると店長がすぐに声をかけてきた。
「ちょうど良かった!私これからデパートの店長会議行かなきゃいけないんだけど、その前に天崎くんに紹介したい人がいてね。天崎くん来たよー」
店長の後ろに目をむける。向こうから高校生ぐらいの少女が歩いてきた。
「初めまして!志川つばさです」
少女はお辞儀をした。俺も自己紹介をしてお辞儀をする。
「先週から入りました、天崎優斗です」
「私の娘なの。高校生でね、バイトで私の店を手伝ってくれてるのよ。今日はつばさと一緒にお店をお願いするわね、あとは頼んだ!」
店長はそういうと慌ただしく店を出て行ってしまった。
「天崎くん、よろしくね!」
少女がニッコリと笑った。その時俺は体にピリリと小さな電流がはしったような気がした。
「あ、 よ、よろしくね」
「じゃあ私あっちで時計の修理するからお客様いらっしゃったらよろしくね!」
彼女は奥の方へと行ってしまった。なんだこの感覚……
俺は仕事をしながら彼女のことが気になった。なんで気になるのかは分からないけど、とにかく気になる!時計を修理してる真剣な顔にも惹かれるな……
それから俺とつばさちゃんはたびたびバイトで同じシフトになり、よく話すようになった。他のバイトの人とも一緒になってそれなりに楽しく話している。でもつばさちゃんと話すのが1番楽しい!
「パートは年齢が高い方ばっかりだから学校以外で天崎くんみたいに若い人と話せて楽しい!」
「若いってつばさちゃんは俺より若いでしょ」
「まぁそうなんだけど!」
店長も志川さんだから苗字で呼ぶのはややこしいし、下の名前で呼ぶことにした。彼女もそれでいいといってくれた。気軽に話せるようになって嬉しいな。俺はバイトに行くのが楽しみになっていった。
夏休みも終わり、秋になる。はぁー就活は全然ダメ。うまくいかないけど、相変わらずバイトは楽しい。時計って今まであまり気にしなかったけどいろんな形や種類があって興味深い。そして何よりつばさちゃんと会うのが楽しかった。
でも今日は違った。バイトに行きたくない。いや、嫌になったわけじゃない。うちの犬、ポチが朝から元気がなかったのだ。もう13歳のおじいちゃんだし、心配だなぁ。
バイト仲間に声をかけたけど、みんなシフトの交代は難しいらしい。妹が今日部活なくて早く帰るとの連絡を受けたから、ポチのことは大丈夫かな。でも気になるし早く帰りたい。
そわそわしているとつばさちゃんに声をかけられた。
「今日なんか落ち着かないように見えるけど大丈夫?時間を気にしてるようだけど」
「え?あーうん。うちの犬が朝から元気なくて。シフト交代できる人がいなくて。犬が気になるんだよなぁ。早く帰りたいなと思って。あ、でも仕事はちゃんとするから!ごめんね」
俺は書類整理の続きをする。
「……ふしぎな時間はいかがかな?」
「……え?」
聞き覚えのあるそんな言葉に思わず手がとまる。この店には今、俺とつばさちゃんしかいない。となるとつばさちゃんの言葉なのか?
「ふしぎな時計のレンタルやってまーす。今あるのは時間を遅らせる腕時計と、時間を早くすすめる懐中時計です」
そう言って彼女は腕時計と古ぼけた懐中時計をズボンのポケットから取り出した。やっぱり聞いたことある言葉、そしてみたことのある光景。あの夏の日を思い出す。ふしぎな体験だったから忘れられない。4年前、学校に遅刻しそうな俺の前に現れてふしぎな時計を貸してくれた女の子……それがこのつばさちゃんってこと?
つばさちゃんはニッコリして懐中時計を掲げた。
「今のあなたにはこっちかな。時間を早く進められる懐中時計。その名の通り、自分の時間だけを早く進めることができるの。他の人には何にも影響しないから大丈夫。だから仕事のこととか気にしないで」
俺が驚いて黙っているとつばさちゃんは話をすすめる。
「突然こんなこと言って驚いた?ふしぎでしょ、でも本当なの。信じてくれる?」
「……驚いたよ、違う意味で」
やっと言葉が出せた。つばさちゃんは、ん?と首をかしげる。
「俺、君に会ったことあったんだ……その腕時計、使ったことある」
今度はつばさちゃんが驚いた顔をした。
「え、そうなの?2回目のお客さんとか初めて!」
お、覚えられてなかった……
「借りる?」
つばさちゃんが聞いてきた。
「……借りようかな」
「じゃあ使い方覚えてる?」
「うん、指で表面をなぞりながら願うんだよね」
「そうそう!時よ早くすすめって願ってね。遅くなれって願っても意味ないからね」
「うん、それでお代は幸せな記憶か寿命なんでしょ」
「おー覚えてますか!さあ、どちらにする?」
うーむ、悩むなぁ。悩んで悩んで俺は前のバイト先で何回か感じた幸福感のうちの1つを渡すことにした。お客様にありがとうって言ってもらえてすごく嬉しかったやつ。何回か言われたけど何回言われても嬉しいものだ。
「はーい、いただきますね。天崎くんのシフトはあと2時間で終わるけどどのくらい時間を早くしたい?」
「うーんと……じゃあ2時間」
「分かった!」
つばさちゃんは両手を差し出した後、何かを包み込むようにして自分の元へ手を引っ込めた。その動作に懐かしさを感じる。
「はい、いただきました」
今回もたぶん思い出せないな。何回かあった経験のうちの1つだしいっか!
「はい、時計」
「ありがとう。帰る前に返すね」
俺はそう言って時計を受け取るとさっそく表面をなぞって願う。時よ早くすすめ!
あっという間にバイトの終わりがやってきた。す、すげー体感まだ40分ぐらいだぞ!
「ありがとう、すげーな!」
俺は時計を返しながら言った。
「でしょー!また借りたくなったら言ってね」
つばさちゃんはニコニコとしていた。
ポチは季節の変わり目で体調を崩していたらしい。体調悪いのもあるけど不安がってかなり大げさに元気なさげにしていたと獣医は言った。そんなに悪くなかったらしく、俺は安心した。良かった、彼はまた元気になった。チワワの寿命は12歳から16歳と言われている。うちのチワワ、ポチはまだ元気だけど別れを想像したら悲しくなってしまう。このまま時が止まればずっと一緒にいられるのかな……
なんてことを考えていたら思い出した。そういえばつばさちゃんって時を止める時計を作っている途中だって。完成したのかな。
最初のコメントを投稿しよう!