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壱 ・ 喧嘩上等
「ああっ!!!」
夕暮れ時、台所のガスコンロで豚汁の鍋を掻き回していたら一緒に夕ご飯の支度をしていた母が悲鳴のような声で冷蔵庫を開けるなり叫ぶ。ビクッとしてお玉で味見しようとしていた舌先が意外な熱さにひりついた。
「どうしたの?」
「大変!お醤油が無い。ストック買ってあると思ったのにないわ」
「ヤダ、そんなこと。お母さんびっくりし過ぎだって。そこのコンビニで買ってくるから待ってて」
努めて明るく笑いながら動揺している母に声をかける。
「でも…もう暗いし。お寿司に付いて来た分もあるから足りるわ、きっと……」
そう言うと母は食卓に並べた豪華な寿司桶一つを不安そうに見つめた。
「でもお父さん濃い味好きでしょ?足りないで言われるより今買ってきちゃお。ね?」
母は私の提案にそうね、とつぶやき、居間の方でこちらに背中を向けて畳の上で新聞を読みながら寝転がる父の背中を見つめると小さなため息をついた。
そして食卓の下に置いていただいぶ使い古して持ち手の黒い部分が剥げて灰色になっている鞄を取り上げる。中から同じように使い込んだ肌色の、かつては黄色かったであろうお財布から千円を出して私に手渡してくれた。
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