壱 ・ 喧嘩上等

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「ありがとう。じゃ、ちょっと行って来るねぇ」  自分の財布にそれを入れて私は微動だにしない父の線の細い背中を見つめた。 「口を利いてくれないとか、ほんとにありえないよ」 「桃子、ケンカしないで、今年は」  小声で懇願するように言う母にわかったわかったと答え、あとは黙るしかなかった。  父は些細な事ですぐ不機嫌になる人だった。まるで世界は自分を中心に回っているとでも思っているようで、今どき多分珍しいくらいに厳しい父親だった。  父にしてみれば調味料は常にもれなく家に揃っているのが当たり前で、一人娘が正月には定刻(・・)通りに帰省して家に居るのが当たり前なのだ。  そんな父の元に帰省するのは正直なところいつも楽しいものではなかった。仕事が理由ではあったけれど、三年ぶりになってしまった私の帰省に対しての不機嫌は想像以上で、昨日午前中に着くつもりが新幹線の遅れで午後に帰宅した私は父にネチネチと嫌味を言われた。着いて一日しか経たないうちにもう、東京の一人暮らしのアパートの、小さいけれど住心地の良いあの部屋に帰りたくなっている。  仕事のシフトの都合で休めないという言い訳も電車の遅れも父には通用しない。休めるように言えばいい、遅れても困らんようにもっと早めに予約すりゃいい、そう言われてしまう。  父は自分の考えがいつも一番正しいと思っている。
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