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プロローグ
プロローグ
(あ。)
とうとう雨が降り始めた。
宮野祈里は、手にしていた傘を広げる。
先ほどまで晴れ渡っていた夏空がまるで幻であったかのように、ビルの谷間は真っ黒な雨雲で充満していた。
防水仕様のショートブーツだが、あの大雨にどこまで持つだろうか。
彼女は、にわかにこみ上げてきた不安に思わず息を飲む。
あの時は、傘もなくミュールサンダル履きで、雨が降ってきた途端に屋外では待っていられなくなった。たまらず近くの雑居ビルに避難して、そのロビーから外の雨を眺めていた。
約束の時間になっても、その場所に早瀬悠真は現れなかった。
10分ほどして彼に電話を掛けたが圏外のアナウンスが流れ、そのまま切った。着信に気づいた彼が折り返し掛けてくるのを仕方なく待っていたが、いきなりの大粒の雨に打たれて身体が冷えたせいか、そのまましゃがんで休んでいるうちに気が遠くなってしまった。
身体に震えが出たりしてだんだんと具合が悪くなり、このまま待ち続けることに限界を感じた。
スマホを取り出して画面を再度確かめたが、彼からの着信はなく、さらに30分ほど時間が経過していた。
約束の時間を自分か彼のどちらかが間違えたのかも知れないが、連絡がつかないため、とっさに確かめることもできない。
ビルと直結している地下鉄駅の入り口へ向かった。そこで地下鉄が上下線共に遅延が発生していると初めて知ったが、体調が思わしくないのと彼が確実に来る保証もない状況ではこのまま待つのもいかにも厳しいと思った。
電話が掛かってきたら、またこちらに引き返す可能性も念頭に、とりあえず杉並区の自宅に戻ることにした。
が、家にたどり着くまで結局、彼からの電話はただの一度もなかった。
あの場所にずっといたら、遅れてきた彼と会えたのだろうか。もし遅れてでも現れたなら自分が約束の場所に来なかったと彼に思われ、失望されたのかもしれない。それで、自分からの着信履歴を目にしても不信感が先立ち、折り返し電話をくれないのだろうか。
あるいは、気が変わった彼は来る気がなくなったから、面倒と気まずさゆえに一切応答しないのだろうか。
そういう考えが、頭の中で入れ代わり立ち代わり、ぐるぐると回った。
あのまま、あそこでずっと待っていたら、その答えを手にできたと思う。
彼の思いを確かめることもないまま、それきりになってしまったことが、胸の中でどうにも拭えない後悔として残っているのだった。
その後悔をなくしたい一心で、今日、再びここへやって来たのである。
今度は彼が来るまで待とう。あの少しばかりシャイで、裏表のない心の温かそうな彼の人柄と笑顔を信じて。
心から信じられる人といつか出会いたい。
都会に出て、さまざまな人たちに揉まれ擦り切れながら、偏にそう思ってきた。
それが彼であるならば、彼と肩を並べて過ごすだけで、どれだけ心を強く持てるだろう。
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