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槍の練習中、柄で胸を突かれると一瞬呼吸がままならなくなり、痛いほどの苦しさを味わうことがあった。今、あの痛みに襲われた感覚が蘇りとっさに胸を抑えていた。
「そうか、そうだな……」
寝る間際、脳裏をよぎるのは兄や父、それから亡くなった母の事だった。兄たちにこれほどまでに憎まれていたのかと思うとただただ悲しみが込み上げてくる。アストナが家族を好きだったかと問われれば、好きだとは言い難かった。特に兄弟には心を許せる人が一人も居なかった。それでも磔にされるなどとは思いもせず、捕まった時には何かの間違いだとしか考えなかった。父も兄弟たちも、アストナが死ぬことになんの感慨も持たなかったという事実は考えるたびにアストナを打ちのめした。アストナの方は希薄な関係であっても血縁者ゆえの繋がりを感じていたというのに、一方的な思いだったということだ。
「アストナよ、悩むな。大きなことを成し遂げる時、大なり小なり犠牲はつきものだ」
物思いに耽ていたアストナをイリヤが現実世界に引き戻す。淡々と「もう家族でもなんでもないだろう。繋がりを断ったのはアストナではない」などと言い切った。
「アストナはあの時、殺されたのだ。家族によってな。だから、父や兄はもういないのだ。違うか?」
アストナを一瞥すると、ダガーに視線を戻し水分が拭き取れたことを確認してから鞘へと戻した。
「私も、春になったら──もう春だが……別人として生きるつもりだ」
「山には戻らないということか? この先も行動を共にしてくれるのであれば──」
「山には戻らないが、アストナともお別れだ」
心の何処かでイリヤがずっと付き従ってくれるのだろうと思い込んでいた。それほど冬に過ごした洞窟での日々は、アストナにとってイリヤの存在が大きくなっていた。失うなど考えたくもない。軽口を叩き、互いに作った料理を褒め、笑い合う。かけがいのない時間だった。四六時中顔を突き合わせていたのに苦に感じることもなくて、これ以上の人材はこの先も出会えないとすら思うのだ。
しばし絶句してから、口を開く。
「離れなければならない理由があるのか? 山に戻らないなら、わたしと共に父──皇帝を討とう」
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