ククリクのイリヤ

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ククリクのイリヤ

 どこまでも続く丘陵に、見捨てられたような荒涼とした地が唐突に現れる。なぜそこだけ木々も草も生えてこないのか、理由は誰も知らないという。雷が落ちたのだという人もいるが、それも定かではない。ただ原因を探るわけでもなく人々はこの地をこう呼んで受け入れていた。『処刑地』だ。これにはこれ以外の意味はなく、年に何度か罪人がここで磔の刑に処せられていた。遥か昔からそうであった。 「また来たのか」  しゃがれた声の罪人は実際には若い。ここ数年で帯刀を許されたような若者だった。美しい顔は日に日にこけ、長い鳶色の髪は吹きすさぶ風に揺れて乱されていた。手足は丸太に括りつけられていて動かすことが出来ない。 「また? たった二度目なのにまたとはね」  山の民の鮮やかな刺繍入の衣装に身を包んだその女は男が括りつけられている丸太によじ登ってくると、腰に差していた乾燥芋を引っ張り出して口を使って小さく切り分けて男の口に押し込んだ。この辺りの携帯食で元々甘みのある芋に何度も何度も砂糖を塗り付けた高級品だ。雪山などで遭難してもこれさえあれば命を繋げられるのだと言われている。 「我ら山の民ククリクはあなたを見捨てない。わたしは全ククリクの意思に従いあなたを救い出す」  男は口の中に入れられた乾燥芋の暴力的な甘さに僅かに生気を取り戻したように思う。昨日この者が届けた焼き菓子もやたらと甘かったが、甘さは口の中に広がり体にじわじわと浸透していくようだった。こんなに美味いものが世に存在していたのかと驚いたが、それは自分がまる四日も飲まず食わずであったからだと気がついていた。その後に羊の胃袋を使った水筒から口に流された糖蜜入りの水も甘露であった。生をひしひしと感じ、体に力が戻ってくるのを感じた。そして今日も同じ糖蜜入りの水を口へと流し入れられた。大地に染み込む水の如く、なんのためらいもなく瞬く間に浸透していくのだった。 「美味いな……」  女は山の民らしい切れ長な澄んだ目をしていた。力を抜いたように笑う時だけ女性らしい柔和な表情になる。それが何とも美麗だった。 「今夜あなたを連れ出すつもりだ。アストナ」  名を呼ばれて胃の腑がキリキリと痛んだ。そうだ、男の名はアストナ。この国の第四皇子であった。 「呼び捨てか。それはそうだな。もう皇子ではないのだから」  どんな罪だったか。そうだった、国家転覆を図った罪だった。その他もっともらしく捏造された罪状が山ほどあって覚えていない。すべてはアストナの人気を妬んだ長兄の仕業であることはわかっていた。 「卑屈になるな。ただアストナは山神の名ゆえ、よくある名前だからそのまま呼んだまで。この先恭しくなどつけたら目立つだけだろう。許せ、皇子よ」  女はアストナに清々しい程敬意を払おうとはしない。とはいえ、蔑んだりもしないのは救いなのかもしれない。汚れきった粗末な囚人用着物にベタついた乱れた髪だ、この状態で皇族にする格式張ったお辞儀などされても滑稽なだけだ。惨めすぎて想像しただけで笑えてくる。
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