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それじゃなくても心身共に疲労しきっているのにここに高熱まで出るのかとうんざりしたが、動けるようになった解放感が勝って気持ちを立て直すことができた。
「たどり着くとは?」
「隠れ家を準備した。朝までにはそこに行きたい」
「近いのか?」
地面に落ちた短めの縄の端を自身の手首に巻き付けると、反対側をアストナに巻いていく。今度はきつく結ばなかったので痛みはなかった。
「急げば朝までには着く距離だ」
答えにはなっていないが、朝まできっと八時間ほどあることを考えれば結構な距離だ。イリヤは懐から掌ほどの何かを取り出してアストナに渡した。
「乾燥芋だ。齧りながらついてきてもらいたい。飲み物は欲しいか?」
先程飲んだ得体の知れない液体の味が鮮明に蘇り、危うく嘔吐しそうになった。
「いや……雨で喉は潤っている」
イリヤは肩で笑いながら革の水筒を投げてよこした。アストナはそれを咄嗟に両手で受け取り落とさずにすんだ。
「それはただの水だ。飲みたいときに飲めばいい。縄で繋がっているからわざわざ声を掛けなくともわたしに立ち止まった感覚が伝わるから好きに飲んでくれ。じゃあ、出発する」
この闇夜で森を分け入っていくのはアストナには理解できない愚行に思えたが、イリヤは確かな足取りで進んでいく。夜目がきくと話していたがまるで獣並みの視力だ。昼間の野原でも歩いているようにズンズンと前進するのでアストナはついていくのがやっとだった。水筒には紐がついていたので斜め掛けにして持っていたが、こんなの飲む暇なんてありっこない。先程はなんとなく強がってみせたが、酷い味の液体を味わったのだから水は飲みたかった。水を飲むのは難しいと判断し、渡された乾燥芋を齧りながらなんとか判別出来るイリヤの背を追いかけていく。
冬に差し掛かった森は夏ほどむさ苦しい臭いがしないが、それでも雨に打たれた枯れ草からはカビのような独特な香りがたっていた。雨音以外なにも耳には届かない。これはアストナを不安にさせた。追手の音も獣が忍び寄る荒い息遣いもまるで聞こえないのだ。不安を払拭するためにイリヤを質問責めにしたいがこれも叶わない。大声を出せば届くわけだが、それはあまりにも向こう見ずな行動だった。こうやって山の民で夜目がきくイリヤがいるということは、耳の良い山の民がいてもおかしくはない。敵側に加担している山の民がいたら、こんな雨の中でも二人の話し声を拾い、追ってくるかもしれなかった。
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