殺し屋と誕生日

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 私は、自室の机の上に転がった鉄の爪をなでた。  より正確に言えば、鉄ではない。  鉄よりも遥かに硬い特殊合金である。  とはいえ、この場合、これが何製であるかは重要ではないだろう。  私がこの鉄の爪を腕にくくりつけ、ターゲットの肉を裂き、殺す。  大切なのは、これがこの爪で行われるということだけだ。  重要なのは、その機能である。  私の名はクロー。  殺し屋だ。  無論、本名ではない。  鉄の爪での殺しを何度も行ううちに、その通り名がついた。  だから、私の名はクローとしておく。  つまりは、それが名前というものの機能である。  部屋に居て、鉄の爪を触っていると、直前の殺しを思い出す。  最後まで命乞いをした、つまらない男だった。  私を最初に見た時には女と侮り、かなわぬと見るとひざまずいて許しを乞うた。  そうした相手を殺す時に、罪悪感は比較的少ない。  かといって、ゼロではない。  特に、銃のような簡単な手段ではなく、肉を裂く鉄の爪を使って殺す時にはなおさらだ。  どんな相手を殺すときにも、罪悪感も、実感もゼロにはならない。  なぜ銃を使わないのかを、たまに考える。  銃の方が簡単だ。  とはいえ、それが嫌な理由は、うすうすと感じている。  殺しに罪悪感と実感を持っていたいのだ。  それが、殺しを生業にすることに対する、私なりの最低限の『線』だった。  そんな『線』を持ってまで、殺しをやっている理由は分からない。  ただ分かることは、私が殺しをやらずに生きられないように育ってしまったということだ。  あるいは、それが世界における、私の機能なのだろう。  世界から与えられた機能というものが、道徳的に素晴らしいものであるとは限らない。
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