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十、二〇一八年九月六日
スマホからアラームの音が発せられていた。
午前七時十五分。薄い毛布から大きくはみ出ていた僕は、手を少し伸ばして画面に触れた。音が止む。
まばゆく光るスマホを掴み、寝転がりながら上を見上げて画面を眺める。ロック画面に白い文字で『九月六日』と書いてあったのを見て、何かあった日だなと思う。何があった日だろう。誰かの誕生日か、とか考えているうちに、あの日だ、と思い出した。何だか嫌な感じがした。今年は何も無いといいななんて思って。
スマホを置いた後見渡した六畳半の部屋は、荷物を置くには狭いけれど、ただ一人の大学生の心には広かった。
ベランダの窓から入る白っぽくて薄っぺらい朝の光は、この街はいつもと何も変わらないことを告げていた。薄灰色の空は、建物の色に溶け込んでいる。
まだ時間もあるし、二度寝しようかと考えてやめた。いつもだったら寝ていたかもしれないけど、今日は何故か虚しい気持ちになったから。
全体的に白くてシンプルな部屋。昨日広げたレポート用紙や筆記用具が机の上に散乱している。
ゆっくりと起きてぼーっとしたままとりあえずベットの横に立つ。白い無地のTシャツをなで、二リットルペットボトルのお茶の蓋を開ける。あと少ししか入っていなかったので、口をつけて一気に飲む。
好きな味のお茶は、ぬるくてあまり味がしなかった。寝起きの喉が、ごくんと鳴る。
カーテンの外の世界はもう見慣れたもので、ただ、今日は虚しくなった。不思議だった。
その後意味もなくつけたテレビの画面は、僕の目を狂わせた。青い背景に白い縦に書かれた文字が、僕を動けなくした。
「……は?」
その声は自然と漏れていた。
一人暮らしの部屋は、アナウンサーの声にじっと耳を傾ける。
『繰り返しお伝えします』
『今日午前三時七分頃、北海道胆振地方中東部を震源とする非常に強い地震が発生しました。この地震により、北海道安平町で震度六強を観測しており、地震の規模を示すマグニチュードは六、七と推定され――』
自分の目と耳を疑い、頭が真っ白になった。ただ、何も考えず数分、いや十分以上ただニュースを聞いていた。
アナウンサーが事態の深刻さを伝える。
『また、震源付近でデータが入電していない震度計があり、気象庁は最大震度が七になる可能性も――』
『なお、現在北海道において最大規模の電力を供給する苫東厚真火力発電所が停止した影響により、道内ほぼ全域で停電が生じ、ブラックアウトが起きているとの――』
『震度六弱を観測したのは、北海道札幌市東区、千歳市、日高町、平取町で――』
『新千歳空港では、多くの便が欠航を余儀なくされ――』
聞けば聞くほど怖かった、というより訳が分からなくなった。僕は、ただ固まった。驚くだけだった。
馴染みのある地名や地図が目に入ってくる。それがただ、不思議だった。
正気に戻って、家族や友達に連絡をしようと思ったのは、だいぶ時間が経ってからだった。
家族は、みんな無事だった。実家のある場所は震度四と報道されているが、洗面所の鏡が割れるほど揺れたこと、停電が続き生活が不便であること、揺れがただただ怖かったこと。たくさんのことを聞いた。
僕はそれを家族から遠く離れたこのマンションで聞くことしか出来ない。むず痒かった。今向こうに行っても迷惑だろうし空港も被災している。自分が半年ほど前まで住んでいた所がこんな事になるなんて、信じられないほど僕はショックだった。
電話やLINEで友達とも連絡をとる。幸い、全員無事だった。でも一人だけ、連絡をとるのを躊躇った人がいる。幼馴染の彼だ。
無事じゃなかったらどうしよう。どうしよう。
そういうことが頭から離れなかったから。
でもついに意を決して電話をしてみた。
長い接続の呼び出し音の後、聞き慣れた声が聞こえた。
「もしもし、涼真?」
「大智!地震があったって見て……無事?」
「大丈夫だよ、停電はしてるけど」
「札幌地震全然ないし、怖かったでしょ」
「うん、結構でかかったなとは思う。でも安心してよ、全然大丈夫。怪我も特にないし」
本当に安心した。
「よかった、それが聞けて」
「そんなすぐ死んだりしないからさ」
そんな彼の声は優しく、柔らかかった。
「……うん」
「そうだ、復旧したら遊ぼ、俺東京行きたいし」
「そうしよ、案内する」
「涼真渋谷とか行ってなさいそー」
「行ってるし」
「うっそ」
久しぶりに話した彼は、以前と変わらなかった。それも嬉しかった。
軽く別れの言葉を交わして通話を終えた。
テレビの画面は相変わらず恐ろしい報道をしていた。地震が起きた時の映像や専門家の話が流れる。
リモコンのボタンを軽く押してまた部屋に静寂が訪れた。さっきまでの音たちの余韻に浸りながらベットに座り込む。
そうだ、今日講義とバイトあった。用意忘れてた。
いつもだったらだいぶ慌てていると思うけど、今日はなんだかおぼつかない気持ちで準備に取り掛かった。
体が空中で浮いているような、そんな変な心地がした。
夏の暑さが残る、九月上旬の朝のことだった。
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