六、二〇一七年六月十五日

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六、二〇一七年六月十五日

それは朝から雨のしとしと降る日のことだった。 噂で聞いたところ、彼が女子に告白されたらしい。最初は晴山さんかと思ったけど、違う子だった。モテるやつめ。 「で、返事はどうしたの」 「ごめんなさいって。……何で知ってんの」 「まあこう見えて幼馴染だし」 今日は僕が彼を視聴覚室に呼んで昼を過ごしている。 教室内は微かにあのチョコレートの匂いで充満している。彼はその茶色い粒をゆっくりと噛み締める。 「それどうしたの」 これは僕が用意したものではない。 「ん?ああ、晴山さんがくれた」 「バレンタインでもないのに?」 「何か勉強教えてくれたお礼って」 晴山さんって結構積極的だなと内心驚く。そして勉強教えて貰ってたのか。知らなかった。 「でも何でこれ好きって分かったんだろ」 「顔に出てたんでしょ」 彼が不思議そうな顔をしたので、全てを知っている僕にはおかしかった。でもまあ彼は好きなものを食べて幸せそうだ。 「何笑ってんのさ」 「へ?なんも?」 「何か言ったんだろ、涼真あ」 「いーやあ?」 そう言っていると彼が襲いかかってきた。 「ねえさあ、涼真くすぐられんの苦手だったよなあ」 「うぎゃ」 彼は悪い笑顔をした。大人の笑顔よりも純粋な心の顔だけれども。 危険を感じた僕は即座に椅子を離れる。 しかし抵抗虚しく運動部の彼にすぐ追いつかれる。 何のためにあるか分からない教室のソファに飛び込む。すぐに彼が覆い被さる。 「ごめんって許してえ」 「どーしよ」 すると意外にも彼は僕の隣に転がり、頭だけをソファに乗せた。二人で隣合って仰向けになる。 「……ははっ」 彼は笑いだした。窓に付いた雨粒の影を顔に写している彼は相変わらず綺麗だ。 つられて僕もおかしくなってきた。 「あーやっぱ楽しいわ、涼真といると」 「ほんと?」 「うん、今なら涼真が言ってたことすごくわかる」 「言ってたこと?」 「うん」 長いまつ毛がゆっくりと持ち上がる。明るいはずの髪色は、雨の天気のせいかいつもより暗くみえる。 その雰囲気が彼の大人に近づいている美しさを際立たせ、彼をまるで幻想のように儚い存在にした。 夏服の水色のワイシャツの襟の隙間から白い肌と身体の線が覗いていて、十七歳の僕には刺激が強く、彼が透明に見えた。 紺のネクタイはだらんとだらしなく下がっている。 「……涼真がいれば、今は楽しい」 彼のまつ毛が輝いたように見えた。 「……僕も」 ははっと笑って目が合う。 さっきの大笑いの熱は冷め始めていた。 お互いに何となく反対を向く。 「大智」 「ん、何」 「やっぱ大智のこと好きだ」 「俺も涼真好きだわ、へへ」 何か心の中がすっきりしたような気がした。でもすっきりしない部分もあるのも事実のような気がした。 ふと後ろを振り返ってみる。広い背中がこちらを向いていた。 気がつくと僕はそこに抱きついていた。優しい背中から、彼の鼓動、息、匂い、温度、全部が伝わってくる。 「なに、どうしたん涼真」 「……いやただ、大智のあったかさを感じたいだけ」 「何言ってんの」 一息置いて彼はまた話した。 「……でもこうしてると何か小さい時思い出す」 「小さい時?」 「ほら、涼真さいつも俺にくっついててさ」 「そうだったっけ」 「そうだよ、あん時は涼真と結婚するーとか言ってたっけ」 「……言ってたかも」 「……もしも」 少しの沈黙の後、彼は口を開けた。お互いに顔を同じ方に向けて、虚空を見つめている。 「どっちかが誰かと付き合ったり結婚したりしてもさ」 彼の表情は分からない。だけど、僕の表情も彼には分からない。僕が彼の続きであろう言葉を言う。 「うん、一緒に遊んだりしようよ、こうして」 「そう、それ言いたかった」 「幼馴染だからすぐ分かっちゃった」 「幼馴染便利すぎな」 また、ははっと軽く笑い合う。彼の頭を覗き込むようにして見る。それに気がついた彼はこっちを少し振り返る。水色のシャツで覆われた背中が深い青に見えた。 雨が、全てを儚くした気がした。
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