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七、二〇一七年九月六日
この日が忘れられない日になるなんて、誰がわかっただろう。何の変哲もない、残暑の続いている日。
いわゆる高校最後の文化祭が、迫ってきていた。
今年、うちのクラスは劇をやる予定で、内容は笑いあり涙ありの恋の話。クラスの何人かが脚本をそれぞれ作ってくれて、みんなでどれにするか投票して見事当選した物語だ。結局、誰の脚本かは本人の意思で明かされていない。
三年生は本格的な行事が受験前最後だから、余計気が入る。
衣装係や大道具や小道具、役者などほとんどのクラスメイトが忙しくしていた。僕も大道具係と当日の会場運営担当として仕事がたくさんあった。
みんなの顔推薦なるもので主役に見事抜擢された彼は、教室の後ろの方で何人かと練習をしている。
僕と何人かは、前の方で大きな背景を作る。
後ろの方でセリフが飛び交う。
『普通と違うって何が悪いの』
『……仕方がない、今はそれに従うしかないんだ』
なかなか文学的な内容なのかなとか筆を進めながら思う。細かい設定までは、あまり分かっていない。
すると二年連続で委員になった八代さんがやってきた。
「進捗どう?」
「えーっと二個目の背景に入ってるよ」
「そっか、よかった」
「うん」
会話が終わったと思い、体の向きを下に戻して作業を再開しようとすると、八代さんが一息置いてまた話しかけてきた。
「あのさ、瀬戸君、ちょっといい?」
「……?いいけど」
何か嫌な予感がした。いつもの八代さんと何か違う雰囲気がする。
八代さんについて行き、教室から少し離れた倉庫に着いた。
「大道具係にこれ運んでもらいたくて」
「あー、このダンボールでいいの?」
「うん」
沈黙が埃っぽい部屋を埋めつくした。教室の、半分ほどの広さのこの倉庫には、厚いカーテンのせいで光が全然入らず、隙間からオレンジっぽい光が無理矢理入り混んでいるだけだ。蛍光灯の頼りない光だけが僕らを上から照らす。
僕は沈黙に耐えられず、訊いた。
「……他にも何か言いたいことあったんじゃないの」
「……っ」
彼女は文字通り言葉に息詰まった。
「これだけのために、僕を呼んだんじゃないと思ってたけど」
「私さ」
八代さんはためらいを頑張って無くそうとしていた。
僕は何を言われるのか息を飲む。
「……前から思ってたんだ、瀬戸君ってさ、」
喉に唾を勢いよく飲み込みすぎて音が彼女に聞こえてしまわないかと感じた。僕はそれくらい彼女の次の言葉に緊張していた。
「南野君のこと██、でしょ」
「は、え?」
今すぐここから逃げ出したくなった。恐れていた言葉だったから、記憶からその部分だけでも何とか消した。
「なんでそんなこと」
「見てたらわかるよ」
息と混じった彼女の声が畳み掛ける。
「でもそれは……やめた方がいい、」
「なんで」
「……普通じゃないからだよ、異常なの!」
『異常』という想像もしなかった言葉が僕を刺した。
痛い痛い痛い。なんでそんな。
「なんでそんな、大智はただの幼馴染で……」
「いやわかるよ、私には。一年以上見てたら」
彼女は怒っていた。僕にはその理由がわからず、どうしようか困惑でしか無かった。
そしてなぜか僕は質問をしていた。
「仮にそうだったとしても、何でそんな怒ってるの」
「……私もそうだったから」
『そうだった』という過去形に少しの疑問が生まれたが、今は考えないでおく。
「何で怒ってるんだろうね、私。普通に言えばよかった」
「……」
僕には何も返事が出来なかった。だから、彼女の話を黙って聞くことにした。
「私さ、真莉と親友になって……」
真莉、というのは晴山さんのことだ。二人は入学早々意気投合したと聞いたことがある。
「でも、親友止まりで。本当に親友なのかな、だから瀬戸君が羨ましかった。幼馴染の距離ってあるじゃん」
彼女は下を向いて鼻をすすった。本当に僕には何も出来ない。
「一回聞いてみたの。冗談っぽく。私が真莉と██████って言ったらどうするって」
結論がわかった気がした。僕の心臓も辛くなってきた。
「……いやだって友達だし、女子じゃんって」
僕にも気持ちは深くわかった。僕も胸がえぐられた気がした。
「真莉、笑ってた。いつも通り。それで……」
どこかで聞いた物語が、現実になったような彼女の話。僕はふと気がついてしまった。
「……もしかして劇の脚本って……」
「……そうだよ」
「八代さん、僕も言いたいことわかるし……」
「真莉、南野君のこと好きって知ってても?」
「……だから、ただの幼馴染だから、だから……」
僕は今精一杯の笑顔を作った。でもそれは作り物に過ぎず、目から出る透明なものでぐしゃぐしゃにされた。
「……そういう、運命だって僕は分かってるから」
八代さんが顔を上げた。目元が赤い。濡れた顔。
「ね、まだ高校生じゃん、ねえ、」
そこで僕はさっき聞いたセリフ、八代さんの考えたそのセリフを思い出した。
「普通と違うって何が悪いのって、悲しかったんでしょ、八代さん……」
彼女は一息吐いた。僕は泣き疲れたのかふらふらしながら、しゃがみこんでいる八代さんの前に座り込んだ。同じ目線の高さになって。
「……ごめん瀬戸君……私みたいになって欲しくなかっただけ……身勝手だよね」
「……謝んないで、僕も同じことしてたかもだし」
その後の記憶はあまり覚えていない。多分二人で泣いた顔を普通の状態に近づけるまで待って教室に戻った。何事もなかったかのように、笑顔を作って。
……ただ覚えているのは、帰る時に見た、むかつくくらいに晴れた空だけだった。
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