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「…………さん。東雲さん」  どれほど時間が経ったのだろうか、ぼんやりと頭に霞が掛かった様な感覚の中、誰かの呼び声に目を覚ました。 「ん、んんん……。あ、あれ?」  私の記憶では教室にいた筈だが。いつのまにやら白いベッドの上で身体を横たえている事に気づいた。 「大丈夫かい?」  目の前には私と同年代の男の子が立っていた。 細面の顔に小さめの鼻と薄い唇。目は糸の様に細く、その真上には太く大きな眉毛がアクセントのように鎮座している。その彼がかけているブルーフレームのメガネが灯りに反射してキラ付く光が目に入り、私の意識は完全に覚醒した。 「く、熊谷君? あれ、えっと私、どうして……」  辺りを見渡すと彼の後ろには清潔感のある白で統一された机や棚が並んでいる。そして独特の消毒液の様な匂いが鼻を刺激していることにも気づいた。そうかここは保健室だ。でも、なんで私がここで寝ているんだろう。確か教室に居た筈だが。 「ああ、良かった。文化祭実行委員の会議が終わって教室に戻ってみたら君が倒れていたんだ。降矢先生も丁度やってきたんで、二人で保健室に運んだんだよ」 「そっか。私、帰ろうとしたら……」  と、そこで言葉が詰まってしまう。倒れる前に見たモノの記憶。とても非現実的なモノだった。あんな体験、現実だったと思いたくない。ひょっとして夢ではないのかと想おうとしたが、窓の外に見える光景がそれを否定する。ここからすべてが見えるわけではないが、もう薄暗くなっている外には人だかりがある。そして、その合間には白衣を着た救急隊員らしき人の姿も目に入る。 「えりなが……落ちた。飛び降りたらしい」  私が躊躇している事に気付いたのだろう。また、その言葉を私が吐かないで済むように気を使ってくれたのかも知れない。彼は単刀直入に彼はその事実を口にした。 「そ……う」  でも、彼の気遣いに対して私は更に返す言葉を失くしてしまう。  その言葉はとても、ショッキングだったし、哀しかった。そして教室でえりなと会った時の事が思い起こされると同時に、その直後に起きたあの恐ろしい光景まで呼び起こされそうで、それを必死に押し止めようという意識もかさなった。更に言えばこの目の前の男の子は彼女の幼馴染だという事もしっている。その彼にどう言葉を掛ければいいのかも分からなかった。その為に沈黙が辺りに忍び寄ってくるのを感じるがそれはそれでとても居心地が悪い。 「君は……、えりなに会ったんだよね」  先にそれを破ったのは彼の方だった。 「え。あ、うん。教室で日誌書いてたら入って来たの」 「ああ、知ってるよ実は僕もその後えりなにあったんだよ。で、君が教室にまだ残っていたことをきいてね。ひょっとしたら、まだいるんじゃないかと思って覗いてみたんだ」 「鞄は持ってってたんでしょ。そのまま帰っててくれれば良かったのに」 「思ったより時間がかかってたみたいだからね。大分暗くなってたし、なんなら途中まで送って行こうと思ったんだ。危ないかと思ってさ」  そんな言葉の端に彼の人の好さが表れている事を感じる。 「大丈夫だよ。そんなに家遠くないし。そういえばえりなにも……」  そうだ。えりなにもそんな事言われたっけ。と想いながら今度は言葉を途切れさせずに「えりなにも言われたよ。そんなこと」と続けた。 「ああ、俺も言われた。『もう、遅い時間なんだから、あんたが送ってってあげなさいよ』って、もし、こんな時間まで残ってたら元よりそうするつもりだったけどね」  この場に相応しい話題なのか、分からない会話だったが、本題に入るのも心苦しい。お互いがそんな想いだったのだろう、ポツポツと話のラリーを続けていく。 「え、そんな事頼んでたの。全く、お節介、なんだから……」  他人にはそれだけお節介を焼いてそれなのになんで……。 「いや。まあ、頼んでいたのは寧ろ、こっちの方で」 「え? 何を頼んでいたの?」 「それは……」  彼が何か言いかけた時ガラガラガラと扉が開いた。 「あ、姉ちゃん」  顔を覗かせたのは、この保健室の主。熊谷しおり先生だった。気丈を装っているが普段の明るい表情に反して憔悴しているのが判る。白い肌は一層凄みをまして青白い程に見えた。 「東雲さん。具合を悪くしていたみたいだけど、大丈夫かしら。もし、必要なら、救急の方に病院へ運んでもらった方がいいかとも思ったんだけど」  言って彼女は手にもっていたピンク色のスマホを机の引き出しに押し込んだ後、私の傍にやってきた。代わりに優斗君が場所を変える。 「だ、大丈夫です。多分、軽い貧血だと想うんですけど、良くなりました」 「そう。意識はしっかりしてるみたいね。どこか悪いところはない? 頭が痛いとか、気持ちが悪いとか」  意識ははっきりしているし、頭も痛くない。他、肉体的にも特にダメージは感じていなかった。 「はい。もう、全然意識はしっかりしてます。この通り身体もピンピンとしてます。で、先生。その、二見、えりなさんは」  私の問いに言葉少なく彼女は答える。 「……亡くなりました」 「…………」 「…………」  私も、優斗君も返事をすることすら出来なかった。  勿論、想像は出来ていた。私の教室は3階だ。そして、その教室の窓を上から下に落ちる所を私自身が見ている。ということは少なくとも4階以上の上から落ちたことになる。しかも地面に落下したその姿も目に焼き付いているのだ。 地面にもめり込んでいた様だし、あんなに血もいっぱい出ていた。 その時点で助かる見込みなどないことは予想済みだ。それでも、言葉で言われた衝撃は強かった。その沈黙を優斗君が破る。 「東雲さん、君も見たんだよね。その、地面に落ちているえりなの姿」  やはり、彼も気になっていたのだろう。何故私が教室で倒れていたのか。恐らく、外で騒ぎが起きたので彼女が地面に倒れている所を目撃してショックを受けたと思っているのだ。それは、半分正しいが正確には違う。 「うん。それどころか、私、その。見ちゃったの。教室の窓の外をえりなが丁度飛び降りるのを」 「え? じゃ、じゃあ。あなた、彼女が飛び降りる。じゃあ、あなたが生きているあの娘を見た最後の人って事?」  しおり先生が声を上げる。その様子に少し私は驚きながら答えた。 「ええ。多分、そういうことだと思います」 「あら、これはこれは中々興味深いことをお話されてますね。よろしければ詳しくお聞かせ願いませんか」  聞きなれぬ女性の声がふいに耳に飛び込んできて私は驚き、そちらに顔を向ける。すると、保健室の中に白いパンツスーツに黒いブラウスを纏った小柄な女性が入って来た。若いという程ではないが、それほど歳をとっているようにも見えない。更にその後ろには茶がかったスーツ姿の年配の男が控えている。 「えっと……。どちらさま?」  戸惑いながら尋ねると、今度は知った顔が後ろから割って入ってくる。フル先こと降矢先生だった。彼はまず二人の闖入者に「ちょ、ちょっと。生徒に直接声をかける前にこちらに話を通してくださいよ」と言った後、私に「ああ、こちら警察の方だ。東雲、お前大丈夫か? 具合悪いんだろ」と心配気に顔を向けてくる。  その表情でそれを聞かれるのも三人目だ。なんだか申し訳なくなってしまいながらも、私は、「いえ。大丈夫です。それより、先生も私を運んでくれたんですよね。ありがとうございました」と返事をした。  すると彼も、「いやいや、問題なければいいんだ」といってほっとした顔で返した後「彼女は少し調子を悪くしてるようなんですよ。余り無理はさせたくないんですけど」と警察の人達に向かって言う。 「あら、そうなんですか。うーん、そうですね。なら明日改めてお話を聞かせて貰いましょうか」頬に手を当ててこちらに目を向けながら女性が年配の男性顔を向けて言う。  状況が段々のみこめてきた。この人たちはえりなの件を調べにやって来た警察の刑事さん。それで私の話が聞きたいのだろう。状況から見て彼女がああなる直前に接触したのは私という事になる。だから、警察が話を聞きたいといってきているのだ。恐らく拒否はできまい。  それでもフル先は私の様子を見て気を利かせて日延べさせることを提案したつもりなのだろう。    でも、冗談じゃない。ただでさえ気が滅入る事が起きたというのに、せっかくの休みに警察と話をして潰すなんていうのは更に気が乗らない。  それに自分が知っている事なんて多寡が知れているのだ。どうせ話さなければならないなら、今日済ませた方が良い。 「いえ、お気遣いなく。知っている事ならお話します」 「あら、本当に? 嬉しいわ。ご協力感謝します。私、月ヶ瀬警察署刑事課の滝田です」  女性の方が先に名乗ると年配の男性も「品川です」と言って頭を下げた。
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