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導き 3
「名前は」
「篤弘です」
「どんな字を書く。手のひらに書いてみろ」
男が手のひらを広げるので篤弘はそこに人差し指を伸ばし、自身の名を書く。随分と大きな手である。皮の厚い、ごつごつとした、堂々たる手。
書き上げると男は笑う。達筆のようだな、と。
「俺は、ナツロウだ。歳は十七だ」
十七歳でこの落ち着きなのか。二歳しか変わらない。
「ナツは季節の夏、ロウは朗らかだ。おまえどこで暮らしてるんだ」
「この近くです」
「誰と一緒に暮らしている」
答えに詰まる、何と答えれば良いのか。店の看板がちらつく。
「親ではないな」男――夏朗はゆるく笑う。「それなら好都合だ、血縁がなければ切りやすい」
そこに質問も答えも必要なかった。先ほど夏朗は言った、分かってんだろうが、と。見透かされていた。分かっていた。だから言葉は必要なかった。
「おまえの中には、神がいる。分かるよ」
夏朗は言った。その、深い、底の見えない瞳で篤弘をじっと見据えて。
「おまえが消えれば店は大きな損失を食らう。だから俺がその分を支払う。俗に言う、手切れ金だ」
夏朗が人差し指を立てる。一、の字。一万、と篤弘は言う。なわけがない、と夏朗が笑うので、十万、と篤弘は言う。いや、と夏朗は言う。だから篤弘は、百万、と言う。夏朗は首を横に振る。
こくりと篤弘の喉が鳴る。一千万。篤弘は言う。
夏朗は頷く、ゆっくりと瞼を閉じながら。それから実にゆっくりと瞼を開ける。その顔には笑みが広がっている、実に穏やかな。
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