李凰国の少年 3

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李凰国の少年 3

「李凰の神は縄文時代初期からこの国に存在していたと言われている。戦国時代、ある一人の武士にその魂が宿った。その武士の腹のあたりには手が二本生えていた。  それを着物の下に隠して武士としての鍛錬や茶道を続けていたが、ついに心無い人間にその二本の手を切断され、命を奪われた。  その武士の命は途切れたが李凰の神の命は途切れてはいなかった。その武士の子の腹にもまた、その魂が吹き込まれた。腹に李凰の字が刻み込まれていたと言う。  李凰の神がその武家に魂を宿らせようとしていることの表れだった。武家はのちに李凰国という国を作り上げた。初代の血は現代まで綿々と繋がっている」  長い縁側を歩きながら夏朗が話をする。半歩ほど後ろを歩きながら篤弘は熱心に耳を傾ける。よく知った話だった、あの娘が同じことを篤弘に語って聞かせていた。 「李凰国の国民は現在、一万人をゆうに超えている。志願して入国する者が多いが、例えば学校でいじめに遭ったりだとか、職を失って住む場所をなくしたりだとか、少年院や刑務所を出所した後だとか、そういう者達が李凰様の救いを求めて流れつく場合も多い。いろいろだ。全国各地から集まっている。  李凰国の屋敷は全部で十数あり、最年少の部は児童部だ、十一歳になったら少年部または少女部に上がる。二十歳になったら青年部に上がる。その上の世代は壮年、中年、高年だ、それぞれ男女で分かれている」  噂通りの内容である。今自分がいる場所は少年部の屋敷だ、周りをぐるりと塀で囲まれている。塀のもとには見張り役の少年が複数人、ぽつんぽつんと間隔をあけて立っていて、その向こうにはほかの部の屋敷がありそれぞれが塀で囲まれている。 「身体は男だが心は女という者やその逆の者の為の屋敷もある。李凰の神はどんな種類の人間をも受け入れるのだ。  夫婦が暮らす屋敷もあってアパートのような作りになっている。この国では男女共に十六歳から結婚できる。ま、今のおまえには関係ねえな」  くだけた物言いをして夏朗は笑い、それからすっと頬を引き締めると、 「李凰様は神の館で暮らしておられる。国王に即位されたのは二十四歳の頃だ。当時、伝染病が流行って先代も親族も次々に亡くなられ、史上最年少で即位されることとなった。現在、三十七歳だ。  お世継ぎはまだいらっしゃらない。半年ほど前に結婚されたばかりだ。国をまとめるのに奔走され、結婚が遅くなられた。血の繋がった親族は現在、姪が一人だけだ。だが病気をされて療養されている。  李凰様はこの屋敷へ二週間に一回の頻度で訪問される。昨日来られたばかりだから次の訪問は二週間後になる、心しておくように」  ああ、と篤弘は思う。二週間後だ、二週間後、ついに李凰様にお会いできる。雲の上に隠れるかのように存在していた李凰様が、生身の姿となって自分のもとに舞い降りてこられるのだ。李凰様だ、顔かたちも知らぬ方だ、あの娘が恋い焦がれた―― 「しょっぱなからあれこれ詰め込むと頭がおかしくなるだろうから少しずつ教えていくがな、」  だしぬけに夏朗が立ち止まった。だから篤弘も立ち止まった。夏朗は篤弘を見据え、言った。 「国内で知り得た重大事項を国内外に関わらず漏らしたりだとか、無断で脱国したりだとか、この国や李凰様を裏切る行為に出ることがあれば、処刑だ。これだけは今日中に覚えておけ」  これも噂には聞いていた。李凰国から脱走したある男が内部情報を週刊誌に売ったらしいがそののち行方不明となった、それは李凰国に連れ戻されて処刑されたからだと。 「びびったか」  夏朗が笑っている。さも可笑しそうに、歯まで見せながら。綺麗な歯だなと思った。  くだけた物言いをし可笑しそうに笑えば一般的な少年とあまり変わらない。教室で一緒に過ごしていたクラスメートと似たようなものだ。いや、どこをどうすればそんなふうになれるのかと目を細めて仰ぎ見てしまう先輩のような感じか。  不意に、その手が伸びてきた。なんか付いてるぞ、と言いながら篤弘の頬に触れた。睫毛が頬に落ちていたのだろう、先ほど涙を流したからか。  ありがとうございます。篤弘は頭を下げる。夏朗の手が篤弘の顎に触れながらその顔を起こした。 「よく来たな」夏朗が笑った。「いい子だ」  歓迎の言葉だった。ゆったりとした動作で瞼が閉じられ、またゆったりと開いた。その切れ長の目は月明かりに照らし出され、これほど美しい瞳は存在しないと、篤弘はそう、はっきりと思った。
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