導き 1

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導き 1

 やたらと若い客だった。しかも男だ。そして和服だった。  どうぞごゆっくり。案内役の女がにこにこと客を通し、それから一瞬だけその目を篤弘に向ける、さっと笑みを消して。  用心しなさいよ。その目は言っている。  噂には聞いていた。灰色の和服姿の男が飲み屋街を巡回していると。それは勧誘目的だと。  この男もそうか。篤弘はゆったりと客を見やる。口元には笑みを広げ、いらっしゃいませ、などとセリフを吐きながら。  十八、九あたりか。和服を着慣れているのが一目で分かった。慣れた様子で客席に正座をするが、その背筋や膝の上に乗る手の隅々にまで神経が行き届き、ああ、この男は経験が長いなと篤弘は思った。硬質な、武家のさまだ。自分とは流派が違う。  客のほとんどは女である。和服姿の少年に茶を点ててもらうことを目当てとする女が集まる店だ。深夜に抹茶を提供するという、夜行性の人間向けの妙な店であるが客が途切れることはなかった。しかし大抵は客席に脚を崩し、ねえねえ、あんたどこ住み? あとでお姉さんと遊ばなーい? などと篤弘に話しかけてくるだけに、この男の礼儀正しさ――相手に敬意を払い真っすぐに向き合うという姿勢は見事なまでに際立った。  閉店時間の間際だ。この男が本日最後の客となる。  篤弘は静かに息を吐いた。茶道歴は十年ほどになるがこの仕事を始めたのはまだほんの半年ほど前のことである。客が茶道を全く知らないというのが一番の理想だ、知っているとなると厄介なものと化す。  集中だ、全神経を所作に集中させる。いつも通りに、いつも通りに。  薄ぼんやりとした黄色い照明の下、袱紗をさばく絹の音だとか、建水に水を落とす音だとか、そういった音だけが静かに鳴った。あとは客の視線だけを感じ続けた。  やばい宗教だよ、と店の女は言った。仲間内で殺しがあったそうじゃん、いつの間にかもみ消されてたけど。どんどん勢力を拡大してるよ、特に若いうちから洗脳しようと若い子を狙って取り込もうとしてるって。  お菓子をどうぞ。いつものセリフを吐きながら客の目を見た時、しっかりと目が合った。  据わった目である。切れ長の、威力のある――  すぐにその目はそれていった。客としての所作が始まる。  やがて茶が渡る。道具の拝見が行われる。その間の沈黙の静寂、そして、彼の凛とした、堂々たる武士のさまは見事なものであった。
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