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すぐにやってきた夏休みは、かつてないほど暇で長くて、短かった。
家が近いのをいいことに、毎日のようにツルんで家でだらだらして、真面目に勉強する彰聡を横目にゲームして、気が向いたら遊びに出て、休みの最後のころには焦って宿題を手伝ってもらう。もちろん他のともだちと遊ぶ時もあるけれど、彰聡とは兄弟みたいなそんな距離で。
いままで長期休みの度にそんなふうに過ごしていたのに、今年は彰聡の時間のほとんどは生徒会に充てられて、休みなんて数えるほどしかない。
俺はといえば、休んだ間の補習、補習、補習……。休んだ理由が発情だから、欠課扱いにならないと聞いてよろこんだのも束の間、苦手教科はただでさえギリギリで、赤点は不可避だった。さすがに赤点で留年はヤバイ。さらにどうせ彰聡がいないならヒマだろうと、バイトも入れてしまった。
その結果、ほとんどが補習とバイトで終わるっていう、有意義って言えば有意義なんだろうけど、なんともつまらない夏休み。それもあと一週間ほど。
「ね、天川くんは彼女いるの?」
バイトの休み時間、バイト仲間の美羽に声をかけられた。ファミレス奥の控室は俺と彼女の二人だけ。ホールの彼女と厨房の俺はそんなに接点もなくて、二人きりで話すのは初めてかもしれない。
女子大生で夏休みの帰省中だという彼女は、そんなに年の差があるわけではないのに、なんだかとても大人のように感じて、落ちつかない。それにしても、女子というのは大人っぽく感じても恋愛話が好きなんだな。その辺はクラスの女子と変わらなくて、ちょっと安心したりする。
「彼女は、いないですね、残念ながら」
「そうなんだ。かわいい系でモテそうなのに」
「それが全然。なんでですかね」
謙遜して言ってやる。オメガだとわかる前は、それなりに女子にも人気はあったんだけれど。今じゃオメガだと知れ渡っていて、しかもとなりにアルファの彰聡がいるんだから、それでも俺がいいという女子はいなくなってしまった。代わりに彰聡には女子が殺到しているわけで。ひとをうらやむとか、格好悪くて好きじゃないんだけど、でもそうおもう気持ちも今ならわかってしまう。
それにしても、明るい髪色にぱっちりした目、丸くて小さな顔、小柄だけれど女らしい曲線の美羽に、かわいい系と言われるのもなんか不思議な感じがする。比べてみたら俺なんてかわいいとはほど遠い。
「わたし、かわいいコ好きなんだ」
「へえ」
なんとなく、誘われているというか気を持たされているような気がするけれど、なんと答えていいのかわからなくて、とりあえずうなずくと、身を乗り出して見つめられ、にっこり笑われてアタフタと視線をさまよわせた。これは、もしかして本当に誘われている?
「天川くん、冷たい。……それとも照れてる?」
「えっと……」
なんて返したらいいのか迷う。ここでいきなり、オメガなんですっていうのも変だし、好きな人がいるとかいうのも自意識過剰っぽいし、そもそもそれが好きなひとかどうかもまだ迷っているっていうか。
どうすりゃいいんだ?
「そういうとこも、かわいくて好きだな。ね、ふたりで遊びに行かない?」
「ふたりで、ですか?」
「うん」
「でも、休みあわないし……」
「今日早上がりでしょ? 私、待ってるから。もっと天川くんと話してみたいの」
「えっと……」
「ご飯食べに行くだけ。ね、決まり。……それとも、いや?」
ぐいぐいと押されて戸惑っていると、急に悲しそうな顔で引くから、思わず「そんなことない」と了承してしまった。会話はちょうど休憩の終わりのアラームに途切れて、美羽は「良かった、あとでね」と告げてホールへと出て行く。
美羽の容姿は申し分なくかわいくて、大人すぎて気後れはするけれど、好きか嫌いかなら好きな方で。なのに少し前ならもっとよろこんでいた状況に、今の俺はめんどうなことになったっていう方が大きい。
むしろ頭の中を占めるのは、さっきの美羽の思わせぶりな上目づかいより、昨日の朝少しだけ会った彰聡の顔。道端で偶然会って、もっと話したかったのに、待ち合わせがあるからと急いで行ってしまった。どうせゆっくり話すのなら彰聡と話したかった。
だけれども、彰聡といると俺は自然にふるまえない。ふたりでいるとふとした瞬間に、ことばに詰まってしまう。沈黙なんて当たり前だったのに、沈黙が恐い。彰聡がそばに寄ると自然と緊張してしまう。
前はなんにも考えずに遊びにも誘えたし、勝手に家にも遊びに行った。けれど今は疲れているんじゃないかとか、本当はいやなんじゃないかとか、そんなことばかり考えてしまう。
そうすると、会いたい気持ちとうらはらに足は遠のいて、ますます会いに行けなくなった。せいぜいが彰聡とかち合いそうな時間に外をふらついてみるとか、そんなことしか出来ない。
結局、美羽の誘いを断れないまま、バイト上がりに一緒に帰ることになった。友だちと遊ぶとなったら、食事はファーストフードかせいぜいがファミレス。でなければカッコつけてもチェーン店のコーヒーショップか、いっそのことカラオケ店なんだけれども。
美羽に連れて行かれたのは、昼間は軽食、夜はお酒もあるみたいな、小洒落たカフェバーっていうんだろうか。大通りを曲がって、奥まった場所にあるというその店に向かう途中だった。行き慣れたファーストフードの店の中に、見慣れた姿があった気がして目を凝らす。
日が沈みかけて、街灯がついても薄暗くなった街と、対照的に明るく見える店内。長い黒髪がきれいな背の高い女のひとが、話しかけた相手。服装も髪型もごく普通なのに、そのスタイルの良さで自然と目を惹くそのひと。後ろ姿でも見間違えるはずがない。──彰聡だった。
確認したくて立ち止まろうとすると、美羽が名前を呼んだ。
「どうしたの?」
「あ、うん……。なんでもない」
「こっち、すぐだから。ね、何食べる? パスタが美味しいんだけど、」
どきん、と鳴り始めた心臓をとっさにごまかして、美羽の後ろに続く。横に並んだ俺に、おすすめ料理を紹介しだした美羽の話にあいづちを打つ。
さっきのあれは、たぶん同じ学校の……、生徒会の子だろうか? 制服じゃなかったから、わざわざ二人で出掛けたってことだろう。
ざわざわと胸がさわぐ。
幸いおしゃべりな美羽が、俺の上の空に気付かずに話し続けていた。店についても、美味しそうなパスタが目の前に並んでもずっと、気がつくとさっき見た彰聡の後ろ姿と長い黒髪が頭の中をよぎった。
この時間に一緒にいたってことは、一日遊んだんだろうか。それとも、これから──。
いつか、想像した映像を思いだす。その逞しい腕で華奢な肩を抱いて、引き寄せて、やや乱暴にあごを掴んでそれから……、
ぎゅ、とむねが痛んで、冷たい汗が流れる。
あのふくよかな胸に顔をうずめて、長い髪に指を絡めるんだろうか。
何度も想像した、発情期の間。甘いこえとにおい。それはしっかり俺の記憶の中にこびりついて、時おりずくずくと胸のおくをかき乱して、どうしようもなくさせる。
だめだ、だめだと思うのに、がまんができなくて、そのあとも幾度となく下半身に手を伸ばした。あの甘いにおいは、発情期をすぎたら感じることはなくて、それでも行為はやめられなかった。
もうわかっていた。性別なんて関係なく、彰聡を意識している。それはたぶん、好きだから。
好きだから、意識して、うまくいかなくなった。会話もぎこちなくて、連絡も、会いに来るのも減っていたら、さけていると思われたって仕方ない。
だけど──。
考えたくなくて、美羽の話にあいづちをうち、愛想よく笑う。笑顔はうわべだけ。指先と同じにこころの中はつめたく凍えているみたいだ。
少しだけとアルコールを飲んだ美羽の頬が、オレンジ色の照明の下でほんのりと染まっていた。食事を終えて、少し酔ったという美羽を、送って行った方がいいんだろうかと迷いながら席を立つ。
おごると会計を済ませた美羽に、店を出てから札を渡そうとすると、するりと細い腕が回された。ふに、とやわらかくて弾力のあるものが二の腕に押し付けられる。
おどろいて引こうとした腕を、さらにもう一本の手でぎゅっと抑えられた。
「じゃあさ、天川くん、もうちょっと付き合ってよ」
「いやっ! あのっ」
「うふふ、かーわいい♡ 酔っちゃったから、酔い覚まし、ね」
上目づかいに、美羽が甘えた声を出す。掴まれた腕にはおっぱいが押し付けられて、からだがぴたりと密着してくる。これはどう考えても、そういうお誘いに間違いなくて、やっぱりそうだったと今更気付いてあわてた。なんとなくわかっていたけど、今までそんな経験あるわけもなく、まさかと思っていたのに。
「困ります」
「なんで? 彼女いないんでしょ?」
「いないですけど!」
「じゃあ、いいじゃない?」
「あのっ……、あのっ、俺、オメガなんで!」
やけにあかいくちびるに迫られて、思わず叫んだ。ふ、と浮かんだのは、やっぱり彰聡の顔で。性別に縛られてるわけじゃないと思ったけれど、とっさに出たのはそれだった。自分で言ったことばにおどろいた。幸い細い路地には自分たちしかいない。
「……オメガなの?」
「あのっ、そうなんですっ! なので……」
「ふぅん……。わたし、オメガの子って初めて♡」
「!?!?!?」
ひるむどころか、かえって美羽に火をつけてしまったらしい。あせって助けを求めて思わず視線をさまよわせたその先。
あ、
彰聡だった。隣にはさっきの長髪の女の子。
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