第一章 気になる

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 びっくりして動きが止まる。手に美羽の指が絡められて、腕を引かれた。助けを求めようとした声は出なかった。つきんと胸が痛んで、強引に手を引く美羽のあとを転びそうになりながらついてゆく。  やっぱり見まちがいじゃなかった、彰聡だった。  彰聡は俺に気付かなかった。いつだったか、周がいるとすぐにわかるって言っていたのに、振り向きもしなかった。それとも、気付いても振り向かなかったんだろうか。  美羽に握られた指先を見る。俺が美羽と一緒にいたから、気付かないふりをしたんだろうか。見られたら困るくせに、そんなことを考えた。  どきどきと走る心臓は、俺の混乱を表わしているみたいだった。  細い路地をさらに奥にゆくと、街灯の数が減って、クーラーの室外機が吐きだす熱風と音が、きもち程度に植えられた植木の枝を揺らしている。雑踏が遠くに聞こえて、美羽のヒールがアスファルトに叩きつけられる音がひびく。  一本むこうの大通りは何度も通ったことがあるのに、まったく知らない場所にいるみたいなきもちになる。  きゅ、と指をにぎった美羽が、そこだけ妙におしゃれな塀と立派な植木の影に俺をひっぱり込んで止まった。 「ねぇ、天川くん……」  くるりと俺に向き直った美羽が、甘えた声でつないだままの俺の手を、おっぱいの谷間へと導いた。  ふにゅ、と予想以上のやわらかさに手がもぐり込む。胸元のあいた服のすぐ下にレースの生地が覗いた。美羽の手はためらいなく、その素肌の部分を俺にふれさせる。なめらかな素肌はふれた部分をふわりと凹ませて、下着との間にすき間を作った。上からその様子を見る俺には、隠されているはずの部分までぜんぶが見えてしまう。  人通りが少ない夜道とはいえ、こんな少しかくれただけの場所で、まさかこんな……。  心臓が飛び出しそうって、こういうこと言うんだろうか。  ぐ、と美羽がからだを押し付けた。押し付けられた反動で、服の奥に手がもぐりこみ、美羽が小さな声を上げる。そうしながら、美羽のやわらかくて小さな手が、するりと腰をなでた。  そのまま股間をなでられそうになって、からだを引いて逃げる。けれど、すぐにレンガ造りの壁に当たって逃げ場を無くした。 「美羽…さん、ちょっ、やめて……」 「なんで? 天川くん、さっきのお店で、すっごいえっちな顔してた」 「そんな……、やめ……」 「こういうの、考えてたでしょ?」  ジーンズの上からすると股間をなでられて、反射的に飛び上がる。 「オメガだからかな? すっごい可愛くて色っぽくて、美羽ドキドキしちゃったな~♡」 「や…、だから……」 「ねぇ、なに考えてたの?」  見上げられて、迫られて、聞かれるまま何を考えていたかを思い出す。  とくん、と音がして、ざわざわと血が騒いだ。  あのとき、考えていたのは彰聡のことだった。ファーストフードで彰聡が女の子といるのを見かけて、それで、あの二人はこのあとどうするんだろうって考えて、それから──。発情期の間、なんども思い描いた彰聡のすがたと、そのにおいと……。 「あ♡ コーフンしてきた……」 「……え!?」  戸惑った声は、嬉しそうな美羽の声にかき消された。ぞわりと走ったのは悪寒。  彰聡のことを思い出して反応した股間を、美羽の手が執拗になぞる。確かにそこはかたく張りつめているのに、やわらかな刺激をあたえる手が不快で、背筋がぞわぞわとしてくる。  更にからだを寄せて、パンツの上からでもわかる形を、きゅっと握り込んだ美羽が誘ってくる。 「なか、入ろっか♡」  言われて見回せば、奥には入口があって、ガラス越しに部屋の内装が並んだパネルが見えた。これはうわさに聞く、ラブホテルというやつじゃないだろうか。  そのことに思い当たったとたんに、ぞわぞわが強くなって、強く美羽のからだを押した。それを移動する意志と勘違いした美羽が、行こう、と俺をうながす。 「違くて……。あの、えっと……」 「初めてでも平気だよ、教えてあげるし♡」 「じゃなくて、……俺、無理です」 「え~……、美羽じゃだめ? 彼女いないんでしょ? あ、もしかして彼氏はいるってコト?」 「……じゃ、ないんですけど……」 「あー…、じゃあ、片想いだ!」  そういわれて、こくりとうなずいた。  もしかしたら、もう俺のことは好きじゃないかも知れないんだけど。それでもそう言われて思い出すのは彰聡だった。おもわず涙ぐむと、美羽がぴっと手とからだをはなす。 「やっだ……。ごめんっ、そんな泣きそうな顔しないでよ~」 「すみませ…ん……」  言いながら、ずびとはなをすすった。 「ごめんて~、だったら先に言って? ……って、言わせなかったのわたしかぁ。ごめんね、ほんと」  さっきまでの酔って甘えた様子から一転して、美羽がなぐさめてくれる。  かさりと音がして、ホテルに入ろうとするひとの気配に、あわてて道へと飛び出した。目の端にすらりとしたチノパンと水色のワンピースを捉える。仲良さげに寄り添うシルエットに、ここはそういうことをする場所なんだ、と再確認する。  つれて来られたとはいえ、何やってんだと自分が情けなくなった。  美羽はすっかりその気はなくなったようで、来たときとちがって一人分あけてとなりを歩いている。……すこし遠い、友だちの距離。いまの彰聡と俺はこれより遠いだろうか、近いだろうか。一歩近づけば手がつなげる。だけど一歩はなれたら、独り言は聞こえなくなる距離。  じくじくと胸が痛んだ。彰聡が好きなんだと気付いて、それで近付くこともできなくて。あやふやな態度で美羽とこんなところに来て……、ほんとうに、何やってんだろ。  さっきの女の子と一緒に、通りを歩く彰聡の姿がまぶたにこびりついているみたいだった。  こんなことしていて、さっき彰聡が気付いていたら? 俺はなんていう気なんだろう。彰聡に好きだとすら伝えていないのに、こんなの早く見限ってくれと言ってるみたいじゃないか。  うじうじと考える俺に、美羽が能天気なことばをかける。 「ねぇ、バイトあと少しだけどさ、気まずくしないでね? 天川くん可愛かったから、ちょっとあそんでみたかっただけだから。んー、夏のおもいで的な♡ そーゆーやつだから」  なんと言っていいかわからなくて、じとりと美羽を見た。 「もう、なんもしないって~。天川くんがみため通りピュアで可愛くて、なんかもうそれだけでお腹いっぱいっていうか。……ね、好きなのってどんなひと? 女? 男? もしかして、アルファのひと?」  美羽は興味津々て感じで聞いてきた。さっきまで、俺をホテルに連れ込もうとしていたのに、この変わり身の早さに毒気をぬかれる。 「アルファの……」 「へぇ、アルファなんだ!? ってことは男のひとかぁ」  美羽はいいなぁと感心している。  そうか、美羽なら彰聡のことをなにも知らないんだ。どんなヤツかも、俺との関係も。たぶんこの先、知ることもないんだと思ったらちょっと気が楽になる。 「小学校から一緒のやつで……」 「えっ……、それ、運命の番ってやつ?」 「いや、それはわかんないけど」 「わかんないんだ? 一目見たらわかるとかじゃないんだね。アルファとオメガって、てっきり一目で恋に落ちる系かと思ってた」 「そんな、ドラマじゃないんだから。それに、俺も男だし……」 「あー…、ね。男同士か……。男同士の方が、女同士より抵抗ありそうだよね。でもいんじゃない? わたし、女の子とやったことあるけど~…、けっこう好きだよ♡」  あっけらかんと言われて、となりの美羽を思わず見る。 「女の子とするって……、そんなもん?」 「うん♡ だって男も女も変わんないもん。人と人でしょ」 「そう……だけど。でもさ……」 「天川くんは女の子大好きタイプ、……ではなかったね。さっき拒否られたんだった」 「あ、ごめん。美羽さんがいやとかじゃなくて」  あわてて言うと、わかってるってと笑われる。単純に同性でもそんなに軽く?、というのが不思議というか、俺がこだわっていたのってなんだろう?って思った。 「わたしはね、男女ってどっちでもよくて、いいなって思うひとがいたらやってみたいし、いやなひととはしたくないし。……あ、軽いわたしが言っても説得力ないかもだけど~、やってみないとわかんないこともあるし」 「やってみないとわかんないこと……」 「ウン。なんかえっちすると距離が近くなるっていうか、言えなかったことが言えるようになったりするし、仲良くなるための手段みたいな? たまに、やったらもういいやってひともいるしね」 「そうなんだ」  なんていうか、やったことないものにそう言われても、とにかく未知なんだけど。でも、なんだか大仰に考えていたけど、セックスってそんなもんなのか。好きとか嫌いとか、重く考えなくてもできて、いってみればコミュニケーションのひとつみたいな。  そういう考え方は目からうろこだ、と感心していると、うふ、と美羽がいたずらそうに笑う。 「あとはキモチイイからね♡」 「きっ……」  あけすけにそう言われてしまうと、いわゆる童貞の俺は真っ赤になって固まってしまう。 「んーっ、天川くん、やっぱりかわいいな。さっきのとこ、もどる?」 「遠慮します」 「ザンネン。天川くんは電車だったよね? わたしこっちだから、帰るね」  そう言って美羽は、駅とはちがう方向の道を指さした。いつの間にこんなところまで歩いていたんだろう。さっきからいままで、ぜんぶ嵐みたいで、ぜんぜんきもちの整理がつかない。  なのに美羽はただ食事してきたみたいに笑って、またあしたね~と手をふって雑踏の中に歩いて行く。  俺は心持ちぽかんとして、とりあえず駅へと向かった。
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