第一章 はじまり、発情

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第一章 はじまり、発情

 俺たちはたぶん、親友みたいなものだったとおもう。小学校に入学したその日、となりの席で緊張して座っていたのが彰聡だった。家も比較的近かったのに、保育園と幼稚園に通っていたせいで。ぼくらはその日がほとんど初対面だった。  緊張した仏頂面がなぜか気になって、友だちになろうぜと声をかけた。おとなしくて勉強のすきな彰聡と、体を動かしてあそぶことがすきな俺は対照的だったけれど、不思議と気が合ってすぐにいちばんの友だちになった。  こどもの頃はおとなしい彰聡は目立たなかったのに、高学年になり、中学生になる頃には大人っぽくて賢いと注目を集めるようになった。表立ってさわがれることはなかったけれど、密かにゆっくりと彰聡はみんなに憧れられる存在になっていった。  高校になったら賢い彰聡とはさすがに進路が分かれてしまうとおもったけれど、結局離れることもなく俺たちは互いに特別な友だちだった。ことばにすると恥ずかしいけれど、きっと親友ってこういうことを言うんだ。  ──そう、思っていた。  その時まで、俺たちの間には恋愛なんて存在しなかったと思う。はっきりと言えないのは、俺には彰聡しかいなかったからだ。男女問わず友だちはたくさんいた。けれど誰かが特別になることはなくて、誰と比べても彰聡がいちばんだった。  でもクラスの女子で可愛いと思う子はいたし、水泳の授業での水着姿やミニスカートから伸びる足にどきりとすることもあった。だからきっと、俺にはまだ恋愛は早くて、特別に気になったり好きになる子がいないんだと思っていた。  世の中にアルファとオメガがいて、互いに惹かれあう存在だということは知っていた。アルファは男性が多く、オメガは女性が多い。けれどオメガには極まれに男性もいて、オメガの男性は妊娠も出産も可能になるし、アルファの女性には男性器のようなものがあって妊娠させることができる。それにオメガには発情期というのがあって、その間はフェロモンを出してアルファを誘う。  といっても、完全にアルファとオメガだと診断されるひとはごく一部で、ほとんどはアルファやオメガの傾向があるというだけのはずだったんだけど。  高校二年生の春のことだった。その日はなんだかやけに暑くて、俺は上着を脱いでいた。暑いのは休み時間にやったサッカーのせいだとそう思っていたのだけれど、授業が始まっても熱っぽさは収まらず頭がぐらぐらしてきた。  このままじゃダメだと思ったとき、彰聡が声をあげた。俺はぐらぐらしたまま彰聡に支えられて保健室に行き、そこで保健医が俺たちの変化に気が付いた。俺は初めての発情期を迎え、俺に充てられた彰聡はラットを起こし始めていた。  そのあとのことはよく覚えていない。気が付いた時には病院のベッドの上で点滴を受けていた。そのあとの数日間はあまり思い出したくない。  いったん始まってしまった発情期は薬で抑えることが難しく、残り火みたいなものが燻る。断片的にやってくる発情は自分で対処するしかなくて、入院している部屋はそのための防音のしっかりした個室だった。どちらかと言えば病院と言うよりも、ビジネスホテルの一室のような。  発情の症状が落ち着いたところで、専門医の説明を聞いた。これからは定期的に発情期が来ること。直腸の奥に隠れて子宮が出来てきていること。そこを使った性交で子どもができること。  教科書で軽く触れただけの内容は、細かく説明されてもよく分からなくて、ただただショックだった。それに追い討ちをかけたのが彰聡の存在だ。  彰聡はアルファだった。ラットが収まって検査を終えた彰聡は一足先に退院していた。きっと、彰聡も同じようにアルファの説明を聞いたんだろう。そうしてその時に俺がオメガだということも聞いたはずだった。  彰聡のことは嫌いではない。好きか嫌いかでいえば好意が勝るけれど、恋愛の好意ではなかった。それが突然、性行為をともなう発情の対象になってしまった。  混乱しないわけがない。    * 「番にならないか?」  久々に会った彰聡はかしこまってそう言った。確かにオメガもアルファも珍しくて、千人に一人と言われている。老若男女合わせてその数なら、適応年齢の相手と偶然出会っていれば充分に『運命の番』だなんて言われてしまうのだけれど。  けれど俺は嬉しいより先にとまどった。そもそも自分がオメガだということも、発情期の存在もまだ受け入れられていないのに。 「……えっと」  なにも言えずに口をつぐんだ俺は、拒否の空気を出していたはずだけれど、彰聡は諦めなかった。 「今すぐじゃなくていいし、嫌になったら断わってくれてもいい。もし周がオメガじゃなくて、僕がアルファじゃなかったら、こんなこと言えなかったと思う。だけど周がオメガで僕がアルファだと知ってしまったら、それしか考えられなくて……。僕にとってはずっと周がいちばんだったから」  彰聡の言うことはわかる。俺だっていちばん仲が良かったし、気を許していた。それでも恋愛や、妊娠や、結婚の相手として考えたことはない。彰聡はこれから考えればというけれど、俺にとってそれは、いままでの人生がひっくりかえるようなことだった。 「無理だよ。彰聡のこと友だちだと思ってるもん……」  俺の部屋でローテーブルをはさんで向かい合い、まっすぐにみつめる彰聡の目を受け止めきれず、俺は視線を落とした。正直、病院で彰聡がアルファだと聞いたとき、そういう可能性もあるのかと考えた。  考えて、すぐにそれをふたをした。  学校で発熱してふらふらの俺を支えた彰聡は、昔とちがって大きくて、肩を組んだりなんていつもしていたのに、なんだかその時はいつもと違っていた。とくとくと早くなる心臓。ふわりとただよう何かに酔ったみたいに、どんどんと体温が高くなった。  あれは、知ってはいけないものだった。友だちに感じたらいないものだった。  そう思うことすら、彰聡が特別だと認めているようなものだけれど、その時の俺はそんなことも気が付かなかった。ただ、知ったばかりのぜんぶが不安で、変わってしまうことが恐かった。それが家族よりも長い時間を一緒に過ごしていた彰聡ならなおさら。 「無理を言うつもりはないけど、僕がそう思っているのは覚えていて欲しい」  ふと視線を落として、彰聡はぎこちない笑顔を作った。俺はそれで彰聡を傷付けたと気付いたけれど、どうすることもできなくて、ただ気まずい沈黙が落ちた。 「もし周が発情したって、ベータならラットは起こさないから、本当はアルファの俺がそばにるのが一番良くないってわかってるけど、俺は、周とずっと一生友だちだと思ってる。  ……だからアルファだとかオメガだとかで離れるなんて考えられなくて、一緒にいられるなら番になるのがいちばんいい方法だと思う。でももし、周がそういうふうにはできなくても、友だちはやめないで欲しい」  立ち上がった彰聡はそれだけ言って、俺のことばを待たずに部屋を出て行った。ぱたりと閉まったドアに、知らずにつめていた息をはく。  『番』と言われて一瞬、裏切られたようなきもちになったけれど、彰聡の気持ちが俺と変わりないことにホッとした。  次の日、学校で会った彰聡は今までと何も変わらなかった。発情したあの日、オメガの存在はひっそりと隠されるはずが、あの日はアルファの彰聡もいたことでどうしようもなくて、救急車が出動していた。つまりはほぼ学校中が俺がオメガだと知ることになった。そして、一緒にいた彰聡がアルファだということも。  学校を休んでいた十日ほどの間に『運命の番』として、俺と彰聡は時の人になっていた。
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