第一章 はじまり、発情

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 数十年前に出現したオメガバースによって、ひとの性はずいぶんとひらかれた。同性同士でも妊娠が可能なら、いつかそうなる可能性は否定できない。同性愛を容認する世論は、ほかの少数派の性についても寛容にさせた。  けれどもそれは、少数派の性に対して寛容になるだけで、それが普通になるのとはちがう。彰聡以外の友だちは、ほとんどのやつが普通に女性を好きになる。そこに同性が好きだと言って否定はされなくても、女性を好きな男性にお前が好きだと告げてもうまくいくことはほぼない。  結局は、多数派と少数派で、アルファとオメガは性的には少数派の最たるものだった。  しかもフェロモンや発情や番といった特性は動物めいていて、アルファとオメガを特別視させた。つまり、アルファはオメガを、オメガはアルファを選ぶという特別視。  だからこそ、物語の中でアルファとオメガの恋はロマンティックに語られる。男性でも妊娠する、女性でも妊娠させられるという特性から、同性愛のような形でつづられることもあって、俺もそれまでは、そういうこともあるんだと他人ごととして受け止めていた。  たぶんそれは他のひとにとっても同じなんだろう。  ほとんどのひとにとって、自分には関係のない世界のはなしでそう思うのは仕方がないと、そう思うけれど……。  どこに行っても、家族ですら例外なく、当たり前のように今までの俺たちの関係までが、運命の番あつかいをされた。 「オマエらが仲良いのって、やっぱ糸井がアルファだったせいなん?」 「は? そんなん関係ないし。俺、彰聡がアルファどころか、自分がオメガだったのも知らなかったんだけど」 「なんもないの? アルファとオメガっぽいことっていうか」 「あるわけないって。オレがオメガっぽいって思ったことある?」 「ないけどさぁ……、でも何かあるんじゃん?」 「ないない、マジで何にもない。なんか、ベータでもアルファ率高いと、オメガにどきどきするんだって。俺にどきどきした?」 「しねえな?」 「だろ」  あはは、と笑う。その俺たちの会話を周りのクラスメイトが、気にしない振りで聞いていた。いつも通りの昼休み。彰聡は先生に呼び出されて教室にいない。  幸いにも俺がオメガだと知っても、みんな自然に受け入れてくれた。好奇心から今みたいなことを聞かれることもあるけれど、それはまあ、ある程度知っておいてもらった方が楽かと割り切ることにした。俺だって自分がそうでなければ、知らなかったことがたくさんあった。  オメガだからって困ることは発情期くらいだけれど、逆にいえばまだ発情がきたばかりの俺は、発情になる時期も期間もはっきりとはわからなくて、いつ助けが必要になるか分からないってことだ。多少の好奇心には目をつむって、味方でいてもらう方がいい。  こういうのは彰聡に言わせたら合理的なんだろうけど、友だちを利用するみたいで俺にはちょっと気持ち悪い。けれど背に腹は代えられない。とくに彰聡がアルファである以上は彰聡にはたよれない。だから他に頼れる人を作っておきたいという打算もある。 「まあ普段のフェロモンは、抑制剤で抑えられるらしいし、やばい時は保健室行けば強い薬あるし、そんなに変わらないよ」  そうやってさりげなく、何かあったら保健室につれて行くようにたのむ。もしかしたら俺がいない間に、クラスメイトくらいには伝えられているのかもしれないけれど。念には念を入れて、だ。そんな俺の思考を知ってか知らずか、ふーんと納得している。 「まあ、俺たちベータにはフェロモンなんて関係ないしな。あれ? ……つーことは、糸井が一番やべえってこと?」 「そういうこと」 「でも運命の番ってやつだろ?」 「そう思う?」 「絶対そうじゃん!」 「無理むり。友だちからいきなりそんな気になれないって。しかも女子ならともかく、男子だよ?」 「でも、天川はオメガだし……」  そう言われてじと、と彼を見る。 「だから今までオメガなんて自覚ないし、そこから無理なんだって」 「まぁ、そっか。俺も急に男を抱けとか言われても無理だわ」 「……そーゆーこと」  抱けではなくて、抱かれろなんだけど。そんなこと指摘しても仕方ないので口をつぐむ。  そもそも抱くとか抱かれるとか、発情だとかセックスだとか、そういうのは何だか学校にはひどく不似合いっていうか。高校生になって付き合っているやつらの大半はセックスをしているのはわかっているし、学校が最大の恋愛の場であることもちゃんとわかっている。  それでも自分の身に起こる発情や妊娠は、やけに動物じみていて、そういう恋愛と一緒にしたらだめみたいな気がして。さげすんでいたわけではないけれど、オメガ性はまったくの他人ごとで、恋愛は純粋で、恋愛の絡まない発情は不純みたいな、無意識レベルの思い込みがあったのかもしれない。  ──こんなこと、気付きたくなかったんだけど。  たぶん俺が無意識に抱いていたみたいな気持ちは、ほかの誰にでもあって、差別とかそういうのじゃないけど、生きていく上での分類みたいなもの。自分はそういうものに対してフラットだと思っていたけれど、実は誰にでも同じは、誰もが同じじゃないって無意識に思っていたんだと気付いてしまった。  まあだから何が変わったというわけでも、だれかに迫害されたとかでもないのだけれど、それでもなんとなく息苦しくなって、なんとなく生きにくくなった。  けれど見た目にはオメガだとわかったからと言って、何ごとも変わることなく順風満帆。あえて言うなら、ホルモンのバランスを取るために薬を飲まなきゃいけなくなったことがめんどうくさいくらい。  むしろ色々変わったのは彰聡の方だったかもしれない。アルファはベータやオメガより頭脳も身体能力も優れていると言われていて、それは過去の偉人や有名人にアルファだったんじゃないかと言われる人が多いからだ。  そのためかアルファの彰聡には、優秀だと決めつけるような目が向けられるようになった。もともと彰聡は成績が良くて、それはアルファだからじゃなくて、彰聡の真面目なひたむきさ故だったのだけど、それを無視するみたいな羨望の視線。  期待されることばかりが増え、それからあからさまにモテるようになった。それはもう、本当にあからさまに──。
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