第一章 はじまり、発情

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 彰聡は期待されることばかりが増え、それからあからさまに取り入ろうとするひとが増えた。例えば今も──。  教室に戻ってきた彰聡のまわりには、取り巻きよろしく数人の人だかり。そこには隣のクラスどころか、なぜか先輩まで一緒にいて、彰聡は困ったようなぎこちない笑顔を浮かべていた。 「彰聡!」  大きな声で彰聡を呼ぶと、ぱっと俺の方を見て、それからあっけなくその輪を放っぽり出してこっちにやって来る。当然視線は俺に集まって、それから、あぁ、あれが、と俺を値踏みしていた。気持ちの良い視線ではないけれど、なんかもう、ここ数日でそれには慣れたっていうか、諦めたっていうか。 「周、どうした?」 「んー? 用はないけど、メシまだだろ」 「うん。助かった」 「あれくらい、かわせるようになれよ」 「……無理だって」 「どうせ先生の用事だって、面倒ごとだろ?」  決めつけたように言うと、まあ、とまた彰聡は困ったように笑う。人がいいっていうかなんて言うか、そこがいいところでもあるんだけれど。 「生徒会入ってくれって」 「前、断わってたじゃん」 「そうなんだけど、先輩が先生にも説得してくれって言ったらしくて……。会長に立候補して欲しいから今のうちにって」 「はぁ? 彰聡に会長とか無理だろ。アルファだからって向き不向きがあるって」 「だよね」  俺が怒ると彰聡はため息をついた。  俺たちの学校は夏休み明けに文化祭があって、その後すぐに二年生による新体制の生徒会になる。だから、実質二年生の夏休み前に目ぼしい生徒に、手伝いをさせるのが慣例になっている。何とかそれに間に合わせようという魂胆だろう。  確かにアルファは優秀だといわれているけれど、それはそれぞれのひとの資質の上にあることで、全てができるわけじゃない。確かに彰聡は勉強もできるし、運動神経だってそこそこだけれども、人の上に立つ、ということに関しては向いていないと思う。  なのに、そんなことすら見ずにアルファだからという理由で、いきなりそれを求めてくるやつらにも腹が立ったし、頼まれごとを断るのが苦手で、面倒くさくても嫌でもつい引き受けてしまいそうな彰聡にも腹が立つ。  ちゃんと断れよ、と強気に言うと、うんと彰聡がうなずいた。どちらかといえば、大人しい彰聡の面倒を俺が見るのが、昔からの俺たちのスタイルで、そんなところもいままで勝手に描いていた、アルファとオメガのイメージとは違っている。  今までとは何も変わっていないはずなのに、急にオメガとアルファという、枠に当てはめられることが増えてうんざりしていた俺には、そんなことですら、俺たちは俺たちなんだと思えてほっとしていた。  とはいえ結局、その後、同学年の役員に泣き落されて、生徒会の役員として名前を連ねることになったのだけれど。    *  七月、夏休みの直前。彰聡は引っ張り出された文化祭の手伝いで、にわかに忙しくなった。それまでは俺の都合で彰聡に会わないことはあったのだけれど、彰聡の都合で会えないことは少なかった。  それが、放課後も遅くまで残ることも多くなり、土日も学校に行くことが多くなった。そんなに何の仕事があるのかと、ついぶうたれて聞いたこともある。けれど、ごめんねと忙しそうにする彰聡に、仕方ないけど、と引き下がるしかできなかった。  俺はと言えば、初めての発情期が来た五月から、二か月ちょっと。そろそろ次の発情期が来てもおかしくないという頃。定期健診のため少し遠くの大学病院へとやってきていた。  発情が安定してしまえば近くの病院でもいいのだけれど、安定するまではこっちで受診しないといけないらしい。面倒くさいけれど、普段行かない場所に行くというのは少しだけ楽しくて、付き添いたがる両親を振り払って、電車とバスを乗り継いで来ている。大きな病院には健康そうに見えるひとも、見るからに病人ぽいひとも、それから怪我のひとや肢体不自由なひとまで、色んなひとがいる。  その中でもバース科は他の科に比べてちょっと特殊らしく、待合室も奥まった場所にぽつんとあって、診察日もオメガの日とアルファの日で分かれていた。そこで他のひとと会うことは少ないのだけれど、めずらしく今日は年上の女の人がそこにいた。  顔を上げたその人にぺこりと頭を下げると、向こうはちょっと驚いた顔をして、それからはなしかけてきた。 「定期健診ですか?」 「あ、はい」 「そんなにびくびくしないで下さい。こんな格好しているけど、実は僕も男なんです」  おもったよりも低いハスキーな声に、どぎまぎしているとそう返されておどろいた。思わずまじまじと全身を見てしまう。  女性にしてはしっかりした体つき、長いワンピースのスカートに隠れたすらりと長い脚はきっと背が高いんだろうと思わせる。まっすぐに伸びた髪は肩をこえたところで切りそろえられていて、顔つきも中性的。男性と言われなければ、すっきりとした美人にしか見えなかった。 「男性の、オメガ、なんですか?」 「そうですよ」  その答えと、女装と言っていいのかわからないけれど、その姿に戸惑った。バース科の先生は、オメガの男性は両性に近いと言っていた。考えもしなかったけれど、両性っていうことは、女性に近いっていうことなんだろうか。つまりは、女性になりたいとかそういう……。  俺は発情期が来たばかりで、男性に近くてまだ不安定だけれど、ホルモンが安定すれば妊娠も可能になるらしい。それってつまり、女性化するということなんだろうか? それともこの人が特別な、いわゆるトランスジェンダーのオメガってことなんだろうか?  ぐるぐると考えていると、すみません、とあやまられる。 「こんな格好しているから、混乱させちゃいましたね。この格好だと都合良くて、ついつい外に出る時は女装しちゃうんです。特にいまは……」  これ、と彼はゆったりとお腹をさする仕草をした。そう言われてみれば、ゆるいシルエットのワンピースの下腹の部分がふくらんでいる気がする。 「妊娠、しているんですか?」 「ええ。今六カ月になるところで、冬にうまれる予定なんです」  あまりに自然に言われておどろいた。男性オメガだけでも珍しいのに、妊娠しているなんて……。 「さわって、みますか?」 「えっ……?」 「信じられないって顔をしているので。僕もこうなる前は、自分が妊娠するなんて信じられなかったんですよね。女性みたいに生理があるわけじゃないですし、本当はあるらしいですけど、全然わからないし、そもそもねぇ、体はほとんど男性だし」 「……です、よね。俺、まだオメガだってわかったばかりで、発情期も一回しか来てないし、全然、実感がわかなくて……」 「わかりますよ。僕も、むかしは受け入れられなくて、無茶したりもしましたけど」 「無茶ですか? そんなふうには見えないんですけど」 「家出してみたりとか、色々……。あんまりひとに言えるようなことではないですけど、今よりずっとオメガに対する理解もなかったので、なんかねぇ、自分でもどうしていいかわからなくて」  目の前の、見るからに物腰のやわらかい彼から出る言葉に驚いて、だけれどもそうかも知れないと思う。むかしはアルファといったらもっとスーパーヒーローみたいな扱いで、オメガが巻き込まれた犯罪のニュースが毎日みたいに流れていたらしい。だから、俺がオメガだったと知った時は、俺よりも両親の方が落ち込んでいたくらいで。 「まあでも、おかげで番になるアルファにも会えたし、良かったんですけどね」 「……聞いても、いいですか? 番って男のひとですよね?」 「そうですね」  あっさりそう答えたおだやかな笑顔に、勇気づけられてもう一歩踏み込んだ質問をする。彰聡のことは嫌いじゃないけれど、はっきりとしない自分の気持ちをはっきりさせたかった。何かすこしでも、参考になることが聞きたかった。 「あの、最初から男のひとが好きだったんですか? なんか、わからなくて……。女の子は可愛いと思うし、男とするっていうのが、なんか……。すみません、うまく言えないんだけど……」 「……ああ、わかりますよ。いきなりオメガだから抱かれるのが当たり前だ、みたいに言われても戸惑いますよね。僕も同じでした」 「でも今、妊娠してるんですよね」 「ですね。……参考にはならないですけれど、別に好意が無くたってセックスなんてできるんですよ。慣れちゃえばそんなこと疑問にもならなくなりますし」  あっけらと言われて、番なのに好意はないのかとおどろいた。 「番のひとのこと、好きじゃないんですか?」 「ちゃんと好きですよ。今のは、番に出会うまえの無茶してたころですね。今思えば何やっているんだってなるんですけど、男なのにオメガだし、発情期はしんどいし、番なんてできないだろうって投げやりになっていて、まあ、やるなら誰でもいいかとか……」 「発情期、しんどいですか?」 「そうですね。僕がオメガだとわかったころは、今より薬もなかったし、辛くて。好きでもない人としていたのは、逃げみたいなものでしたけど。……でも、おすすめはしません。今となっては、ですけど」 「そう……」 「本当に参考にならなくてすみません。でも、今はちゃんと幸せですよ。番のアルファは僕のこと大事にしてくれて、オメガで良かったとようやく思えるようになりました」 「運命の番ってやつですか?」 「……どうでしょうね? 運命かどうかはわからないけれど、僕のこと本当に大事にしてくれるので、今は彼以外は考えられないかな」  幸せそうな彼の表情とことばに、彰聡のことを思い出した。彰聡と番になんて考えられないけれど、俺のことを大切にしてくれているのだけは、間違いなく信じられる。  そして、そうやって大切にしてくれるひとが貴重なんだってことも、それがアルファだなんて奇跡みたいだってことも、理性ではわかってはいるんだけど。  もう少し話を聞きたいとおもったけれど、がらりと診察室のドアが開き、中にどうぞと名前を呼ばれてしまった。彼も同時に受付に呼ばれて、礼だけ言って別れる。  話したのは少しだけだけれど、幸せとしか言い表せない彼の表情がまぶたの裏に残った。俺も、いつかオメガで良かったなんて思えるときが来るんだろうか。
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