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16 アクシデント
テレビからクリスマスという言葉が聞こえて来て、もうすぐクリスマスだってことに気がついた。
「いつも何してたっけ」
小学生になる前はお母さんとケーキを食べていた。お客さんがくれたっていう生クリームの小さいケーキだった。どんな味だったか覚えていないけど、とてもおいしかった気がする。モグモグ食べていたら、お母さんが「おいしいね」って笑ったのも覚えている。
「……久しぶりにお母さんのこと思い出したかも」
パスケースに入れたお母さんの写真を見る。この写真も最近はあまり見なくなった。藤也さんの写真は毎日見ているのに、お母さんの写真は全然見ない。
「藤也さんのことばっかり考えてるからかもな」
だからか、お母さんのことを思い出す時間が少なくなった。代わりに、毎日どうやったらもっと藤也さんの役に立てるかばかり考えている。
「藤也さんは無理しなくていいって言ってくれるけど」
それじゃあ、いつまで経っても役に立てない。だから毎日英語を聞いて、本や雑誌を読んで、テレビを見る。それしか俺にできることはない。
そういえば、掃除と洗濯は早くできるようになった。藤也さんに偉いなって褒めてもらった。
「もっと頑張らないと」
掃除や洗濯みたいに何でもできるようになりたい。藤也さんに褒めてもらえるくらい役に立ちたい。そしていつか藤也さんにたくさんお礼を言いたい。
「……そうだ、クリスマスプレゼント」
クリスマスにはプレゼントをあげる。お礼にはならないかもしれないけど、藤也さんに何かプレゼントをしたいと思った。でも、何をあげたらいいのかわからない。
「それに、お金もない」
本を買うお金は藤也さんのお金だ。ほしい本があったら、大きな公園の隣の本屋さんで買えばいいって教えてくれた。
「他のものも買っていいって言われたけど、さすがにな」
お金を稼ぐのはとても大変だ。お母さんも大変だったし俺も大変だった。だから、俺が勝手に藤也さんのお金を使っていいはずがない。もちろんプレゼントを買うことなんてできるはずがなかった。
「それに、藤也さんにあげるプレゼントを藤也さんのお金で買うのはおかしいし」
せめて藤也さんがほしいものだけでもわからないだろうか。
「そうだ、ボスに聞いてみよう」
ボスは藤也さんの兄弟だから、藤也さんがほしいものを知っているかもしれない。もしかしたら、お金がかからないプレゼントが見つかるかもしれない。
スマホを持って、藤也さん以外でたった一人登録してあるボスの番号に電話した。
「あの、忙しいのに、ごめんなさい」
隣に立っている静流さんに、もう一度頭を下げる。そうしたらポンって頭を撫でられた。
ボスに藤也さんがほしいものを知らないか電話したら、すぐに「クリスマスプレゼント?」って聞かれた。「はい」って答えたら、マンションの前で静流さんと待ち合わせることになった。
ボスも藤也さんにプレゼントを渡したいからって言っていたんだけど、ついでだからって静流さんがプレゼント探しを手伝ってくれることになった。
(本当にいいのかな)
ボスといつも一緒にいるってことは忙しいはずだ。それなのに俺のことを手伝ってもらっていいのか気になる。
「あの、」
やっぱり遠慮しようと思って隣を見たら、静流さんが「あれは?」って言いながらお店を指さした。
「……洋服屋さん?」
静流さんが連れて来てくれたここはショッピングモールという建物で、中にはたくさんのお店があった。洋服屋さんも靴屋さんも、本屋さんもアクセサリーのお店もある。
静流さんが指してるお店には洋服がたくさん並んでいた。でも、洋服の隣には食器や文房具もある。ってことは洋服屋さんじゃないのかもしれない。
何のお店かわからないけど、静流さんが指さしている服を見た。
(何の服だろう)
赤い服で、首や腕には白いフワフワがついている。赤い帽子もついていた。
「……サンタクロース?」
サンタクロースっぽい感じがする。でもサンタクロースはおじいさんだ。それなのに赤い服はスカートで、しかもすごく短い。
(俺が探してるのは藤也さんにあげるプレゼントなんだけどな)
それなのに静流さんがこの服を指したっていうことは……。
(これを藤也さんが着るってこと?)
思わずじっと見つめてしまった。上から下まで何度も見たけど、藤也さんには似合わない気がする。それに……。
「これ、藤也さんには、小さいと思います」
どこからどう見ても藤也さんには小さすぎる。そう言ったら静流さんが「ブッ」って吹き出した。口を押さえているから笑い声は聞こえないけど、たぶん笑っている。体もちょっと震えている気がする。
「あの、」
「……あぁ、ごめん。予想外の言葉がおもしろくて」
「おもしろい、ですか?」
何がおもしろかったのかよくわからない。でも、静流さんが笑ってくれたのはちょっと嬉しかった。
「あれはソウくんが着るんだよ」
「俺、ですか?」
「藤也さん、意外とこういうの好きだから」
「……?」
「これを着て、俺がプレゼントって言えばいい」
「俺が、プレゼント」
「藤也さんが一番好きなのはソウくんだから、絶対に喜ぶ」
「……そ、だと、いいです、けど」
藤也さんはいつも俺に好きだと言ってくれるけど、一番かはわからない。でも、もしそうだったとしたら嬉しい。
(これを着たら藤也さん、喜んでくれるかな)
静流さんはボスから聞いたんだろうし、それなら間違いない気がする。藤也さんが喜んでくれるものが見つかってよかった。お金は藤也さんに借りて、俺が仕事ができるようになったら返そう。
そう思ってサンタクロースの服を取ろうとしたら、静流さんが取ってくれた。お礼を言おうとしたら、そのままお店の奥に持って行ってしまう。そうしてお店の袋を持って戻って来た。
「あの、それ」
「これは、ボスからソウくんへのクリスマスプレゼント」
「え?」
「次は、あそこのカフェに行こうか」
「え、と」
静流さんが指さしたのは見たことがある看板のお店だった。たしか、ちょっと前に藤也さんと行ったお店もあの看板だった気がする。
お店に入ったら「座って待ってて」って言われた。ちょうど空いていた端っこのテーブルに座ったら、静流さんがコーヒーとフラペチーノを持って戻って来た。
「あの、」
「これは、俺からのクリスマスプレゼント」
「ありがとう、ございます」
まさか静流さんからもプレゼントをもらうことになるなんて思わなかった。本当にもらっていいのか迷っていると「はい」って容器を差し出された。よく見ると、藤也さんが買ってくれたチョコの粒が入っているフラペチーノだ。
「ありがとうございます。これ、好きなやつです」
「よかった」
「でも俺、ボスと静流さんのクリスマスプレゼント、買えないです」
「あとでそれ、どうだったかボスに教えてくれればいいから」
そう言って指さしたのはサンタクロースの服が入っている袋だ。よくわからないけど、着た感想を教えればいいってことなんだろうか。それなら俺にもできるから「はい」って答えた。
「でも、本当にそれでいいんですか?」
「あの人も藤也さんと一緒で、小動物が好きだから」
「ショウドウブツ?」
「そう。犬とか猫とか兎とか」
俺も好きだけど、それとクリスマスプレゼントの何が関係しているんだろう。
「可愛いペットができたって喜んでるから、気にしなくていい」
よくわからないけど、ボスがそれでいいって言うならいいかって思うことにした。
「それに、今日は俺とソウくんが一緒にいることが目的だから」
「?」
またよくわからないことを言われてしまった。
(こういうところがダメなんだろうな)
頑張って勉強しているけど、いまみたいにわからないことのほうが多い。とくに藤也さんやボスの話はわからないことだらけだ。だから、早く頭がよくならないと藤也さんの役に立てないんだっていつも焦ってしまう。
「ねぇ、あの人かっこいいよね」
「うんうん、超かっこいい」
後ろのほうから女の人たちの声が聞こえた。今度は「やばっ、マジでかっこいい」って声が横から聞こえてきて、そっと静流さんを見た。
「どうかした?」
縦線が入った濃い色のスーツと黒のシャツに、艶々の黒いネクタイをした静流さんがコーヒーを飲んでいる。……うん、静流さんもイケメンだと思う。
フラペチーノをちゅるって飲みながら、今度は隣の席の人を見た。女の人が二人、こっちを見ている。その隣にいる人も、レジに並んでいる人もチラチラこっちを見ていた。
前は周りの人を気にすることなんてなかった。いまみたいに話し声に気がつくこともなかった。でもいまは、ちゃんと見たり聞いたりするようにしている。そういうことも大事だって藤也さんが教えてくれたからだ。
「静流さんも、かっこいい、ですよね」
「『も』ってことは、藤也さんが基準ってことかな」
「……ええと、」
そうなんだろうか。よくわからないけど、俺にとって一番かっこいいのは藤也さんだ。
「あの人に比べたら、俺なんて子どものようなものだけど。でも、ありがとう」
「静流さんは、子どもじゃないです。俺は、まだまだ子どもだけど」
「あぁ、十八のソウくんから見たら三十の俺はオジサンか」
「さん、じゅう、」
それって、静流さんが三十歳ってこと?
「見えない……」
三十歳には見えないけど、じゃあ何歳かって聞かれても困る。そういえば藤也さんもそうだ。四十歳に見えないけど、じゃあ何歳だって聞かれてもわからない。
ボスなんて、藤也さんよりもっとわからなかった。っていうより、ボスは男の人だけど男の人っぽくなくて、でも女の人っぽくもなくて、年齢よりそっちのほうがわからなくなる。
「ソウくんから見たらオジサンだろう?」
俺は頭を横にブンブン振った。だって本当におじさんには見えないんだ。
「静流さんは、全然おじさんじゃないです。かっこいい大人の人だと、思います」
「かっこいい大人の人か。ありがとう」
「……俺も早く、大人に、なりたいです」
藤也さんみたいなすごい大人にはなれないだろうけど、でも、早く大人になりたい。大人になって藤也さんの役に立ちたい。
「そんなに急がなくてもいい。それに、俺もまだまだだ」
「まだまだ……?」
それって、静流さんもまだ大人じゃないってことだろうか。
「早くあの人に追いつきたいと思ってはいるけど、年齢どころか何もかも追いつけない。まだまだだと、いつも痛感させられる」
静流さんがちょっとだけ笑った。
「それが悔しくもあり、同時に蹂躙する高揚感を与えてくれる。俺はソウくんのように純粋な気持ちは抱けないけど、ソウくんが藤也さんに抱いている気持ちは理解できる」
どういう意味だろう。藤也さんやボスの話も難しいけど、静流さんの話も難しくて俺にはわからなかった。
「さて、そろそろ帰ろうか。このくらい一緒にいれば十分だろう」
「え?」
「この辺りは落ち着いているけど、安全だとは言い切れない。とくにソウくんみたいな子は狙われやすい。でも、俺と一緒のところを見れば狙われることはなくなる。ソウくんに手を出せば、紫堂が出てくるってわかっただろうし」
「……?」
「虫除けみたいなものだ。でも、これ以上ソウくんを連れ回したら藤也さんに殴られかねない」
買い物を手伝ってくれたのに殴ったりはしないと思う。やっぱり俺にはわからないことだらけだ。
残りのフラペチーノを飲み終えてお店を出た。出るときも、あちこちで女の人たちが静流さんを見て「かっこいい」って言っているのが聞こえた。
(藤也さんも言われてるんだろうな)
一緒にいるときは藤也さんしか見ていないから、周りの人たちのことはよく覚えていない。でも藤也さんもかっこいいから、きっと女の人たちに人気があるはずだ。前に買った雑誌にも、そんなことが書いてあった。
“多くの女性を虜にされていますが、好きなタイプはどういった方ですか”
“いま、恋人はいらっしゃいますか”
“結婚のご予定は”
質問のところを読んだら藤也さんの答えを読むのが怖くなって、結局答えているところは読まなかった。それから俺は、雑誌を買っても文章は読まいないようになった。だって、読むのが怖いんだ。前はどんな文章を読んでもそんなふうに思ったりしなかったのに、怖くて読めない。
そんなことを思い出しながら静流さんの後ろを歩いていたら、ポフって背中にぶつかってしまった。下を見ていたから静流さんが止まったことに気がつかなかった。
「向こうから出よう」
「静流さ、……っ」
急に肩を触られてビクッてした。相手は静流さんなのに、藤也さんじゃないと体が勝手にビクッてしてしまう。「悪い」ってすぐに静流さんの手が離れたから、気持ち悪いのはすぐに消えたけど……。
(……いまの、藤也さんだ)
一瞬だったけど、回れ右をする直前にチラッと見えた真っ黒で長いコートは藤也さんだ。どんなに遠くにいても、ほんのちょっとしか見えなくても、俺が藤也さんを見間違えることはない。
いつもなら振り返って絶対に走っていく。「藤也さん」って言って、ぴったりくっつく。
でも、今回はそうしなかった。できなかった。かっこいい藤也さんの隣に髪の長い女の人がいるのが見えて、名前を呼ぶことも近づくこともできなかった。
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