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17 初めてのモヤモヤ
マンションに帰ってきて、サンタクロースの服が入った袋をクローゼットにしまった。そのあとはずっとボーッとしている。コートはちゃんとハンガーにかけたけど、服は買い物に行ったときのままで着替えていない。いつもなら藤也さんが買ってくれたモコモコの部屋着に着替えるのに、なんだか着替える気にならなかった。
そんな俺の頭の中では、さっき見たものがグルグル回っている。いつもと同じかっこいい藤也さんの隣に髪の長い女の人がいた。女の人の顔はわからなかったけど、たぶん綺麗な人だと思う。そういう感じの服だった。
(……なんだろう、頭がモヤモヤする)
体の中もモヤモヤする。こんなふうになるのは初めてで、どうしてモヤモヤするのかわからない。
もしかして病気なんだろうか。でも熱はないと思うし咳も出ない。お腹も痛くないし、お昼ご飯だってちゃんと食べた。
「夜ご飯は、食べたくないかも」
ってことは、やっぱり病気だ。
(寝れば治るかな)
もし病気だったら藤也さんに迷惑をかけてしまう。「正月休みをもぎ取るために少し忙しいんだ」って、毎日忙しそうにしている藤也さんに迷惑はかけたくない。
「……藤也さん」
名前を呼んだら、またさっきのことを思い出してしまった。思い出すと、どんどんモヤモヤして気持ち悪くなる。
やっぱり病気なんだ。だからちょっとだけ寝ようとソファから立ち上がったとき、玄関が開く音がしてびっくりした。時計を見たら、もう夜の十時を過ぎている。
「どうしよう。夜ご飯、食べておけって言われたのに、食べてない」
それにお風呂の用意もしていなかった。いつもなら藤也さんが帰ってきてすぐにお風呂に入れるようにしているのに、今日は何もできてない。
「蒼?」
「……っ」
しまった、玄関に迎えにも行けなかった。どうしよう、どうしよう、俺、何もできていない。
「どうした、蒼」
「藤也、さん、」
部屋に入ってきた藤也さんを見て動けなくなった。どうしてかわからないけど、手も足も動かない。
「……どうかしたのか?」
動かない俺を見て、藤也さんが怖い顔になった。……これは、怒っている顔のような気がする。俺がちゃんとできていないから怒ったのかもしれない。
「蒼」
「……っ」
ほっぺたを触られて、体がビクッとした。
(なんで、どうしてビクッてなった?)
触ったのは藤也さんなのに、ビクッてしてしまった。こんなふうになるなんて変だ。どうしよう、どうしたらいいんだろう、どうすればいい?
「蒼」
「っ」
触られていないのに、またビクッてなった。ビクッてしてしまうのが怖い。何もできていないのが怖い。きっと怒られる、迷惑をかける、……嫌われるかもしれない。
(怖い、怖い、怖い)
「蒼」
怖くて、ぎゅうって目を瞑った。ソファから立ち上がったまま目を瞑って、ぎゅうぎゅうに両手を握り締めた。
(どうしよう、怒られる、嫌われる、どうしよう、怖い、怖い)
体が勝手にカタカタ震える。震えたらダメだって両手をぎゅうぎゅうに握り締めているのに、全然止まってくれない。
それでも何とか止めたくて必死に両手を握っていたら、藤也さんの足音が聞こえた。ゆっくりと俺から離れていく音。それからドアの向こうで誰かと話している声。どうしよう、やっぱり怒ったんだ。怒って、それで……。
(嫌いに、なった?)
ぎゅうって瞑った目からポタポタ涙が落ちた。カタカタも止まらない。必死に両手を握り締めているのに、カタカタするのも涙も止まってくれない。
「蒼」
藤也さんが、ポンって頭を撫でた。いつもはそれだけで嬉しいのに、またビクッてしてしまった。
「今日は静流が買い物に連れて行ってくれたんだろ?」
うんって答えたいのに、声が出ない。
「虫除けになるならと思って許可したんだが、行き先はショッピングモールだったんだな」
ショッピング、モール。そこでサンタクロースの服を買ってもらって、フラペチーノを飲んで、それから……藤也さんを、見た。
「時間的に、俺がいたのと同じタイミングだったみたいだな」
「……っ」
やっぱり、あれは藤也さんだったんだ。女の人と一緒にいたのは藤也さんで間違っていなかった。
「静流が妙な気の回し方しやがったせいで、完全に勘違いしてんじゃねぇか」
「……かん、ちが、い、」
そうっと目を開けると、藤也さんがいつもの不思議な色の目で俺を見ていた。
「勘違いしてるだろ?」
「わかん、ない、けど」
「その顔は間違いなく勘違いしてるな。それに、嫉妬もしてる」
「しっと、」
しっと……。しっとって、何だろう。
「いい傾向だとは思うが、まさかこうなるとはな。今後はちょっと考えたほうがいいか」
藤也さんが何か考えるような顔になった。ちょっと難しい顔だけど、でも怒っている顔じゃない。……よかった、もう怒っていないんだ。
「ほら、おいで」
藤也さんが両手を広げている。きっと、抱きしめてくれるんだ。
くっつきたい。でも、ちょっと怖い。またビクッてしたらどうしよう。それが怖かった。
「大丈夫だ。ほら」
大丈夫、だろうか。……藤也さんが大丈夫って言うなら、大丈夫だ。きっと大丈夫。
そーっとそーっと、手を伸ばした。そうしたら手を握られて、引っ張られて、ぎゅうって抱きしめられた。……大丈夫だった。ビクッてしなかった。
「本当におまえは可愛いな」
可愛いって言ってくれた。よかった、嫌われてもいなかった。
「よ、……っと」
藤也さんが俺を抱きしめたままソファに座った。俺はしがみついたまま|膝の上に座る。
「で、おまえが嫉妬したのはあの女か?」
「……」
あの女って、髪の長い女の人のことだ。……嫌だ、思い出したくない。だから、ぎゅうって藤也さんの首に抱きついた。
「おーおー、一丁前に嫉妬して。えらく可愛いことするじゃねぇか」
俺はモヤモヤして嫌なのに、藤也さんの声は楽しそうだ。
「あれは取引先の会長の孫だ。機嫌取りを兼ねて買い物に付き合っただけで何でもねぇよ」
「とりひき、さき、」
「仕事をしてる相手のことだ。まだ正式な取引に至っていねぇってのに、孫を押しつけてきたりして面倒くせぇ相手でな。黒い噂もあるから、藤生んとこでもマークしてたんだろう。当然、静流も知っていたはずだ。だから気を遣ったんだろうがな」
「静流さんも、知ってる人、」
「おまえを面倒ごとに巻き込まねぇようにって気ぃ遣ったらしいんだが、そのせいでおまえが勘違いしたってわけだ。ま、おまえがここまで変化してるなんて静流は知らねぇから、仕方ない」
よく、わからない。でも、あの女の人が仕事をしている人の孫ってことはわかった。静流さんは仕事中の藤也さんの迷惑にならないように、回れ右をしたんだ。
「言っとくがな、あそこでおまえに抱きつかれても迷惑なんかじゃねぇよ。むしろ、俺のほうから抱きしめてキスしてやったくらいだ」
「そ、れは、さすがにダメだと、思うけど」
「あの女は騒いだだろうが、俺にとっちゃ痛くも痒くもない。それにあちこち真っ黒だって証拠も揃ったところだ。使える奴の引き抜きも終わったし、必要な情報も手に入れた。あとは勝手に潰れていくのを待つだけで、この件は終わりだ」
「終わり、」
「もう二度と、あの女の機嫌取りをしなくていいってことだよ」
やっぱりよくわからなかった。でも、もうあの女の人と会わなくていいって聞いたらホッとした。モヤモヤしていたのも消えた。
「ほんっとにおまえは可愛いな」
「可愛い、かは、わからないけど」
「可愛いさ。俺だけ見てんのも、俺にだけ懐いてんのも間違いなく可愛いだろ? あー、藤生や静流に可愛がられてんのは不愉快だが、おまえにとっちゃプラスになるだろうから、ま、許容範囲ってことにしとくか」
やっぱり、よくわからない。でも、藤也さんの機嫌がいいことはわかった。怒っていないことも嫌われていないこともわかってホッとした。それが嬉しくて、もう一度ぎゅうぎゅうに抱きつく。
「こうして必死に抱きついてくるのもいい。捨てられんのが怖くて必死に縋ってくるのなんて、たまんねぇだろ。そういうところもドストライクだな」
「俺、捨てられたく、ない」
「わかってるよ。絶対に捨てないから安心しろ。あとは……そうだな。俺好みのエロい体ってのも可愛い」
「……っ」
耳をパクッて食べられてびっくりした。
「可愛い勘違いをするのも、よくわかってねぇのに一丁前に嫉妬すんのも、たまらなく可愛い」
「ん……っ」
今度は、服の上から乳首をギュッて摘まれた。
「なにより、おまえには俺しかいないって信じてるのが一番だな」
「ふぁ」
ズボンの上からお尻をギュッて掴まれて腰がモゾモゾする。
「これからも、こうして抱きしめてやるから安心しろ」
「……藤也さん」
嬉しくてぎゅうぎゅうに抱きついた。
「しかし、俺のことを信じ切ってないってのは、よくねぇなぁ」
「え……?」
「嫉妬は可愛いが、どうせなら突っかかってくる嫉妬にしろ。『俺がいるのに女なんか連れて歩くな』くらい言えるようになれ」
「え、と、」
「もしくは『浮気できないように、ザーメン全部搾り取ってやる』とかな。そうだな、そっちのほうがいいか」
「あの、」
「ってことで、お仕置きだな」
体を離した藤也さんは、すごくすごく楽しそうに笑っていた。
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