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19 恋人の年の瀬
クリスマスイブの前の日から藤也さんは仕事で忙しくなった。テレビではクリスマスイブは恋人と過ごすものだって言っていたけど、忙しい藤也さんに我が儘は言えない。代わりに十時過ぎに帰ってきた藤也さんと小さなケーキを食べた。
「明日はクリスマスパーティするからな」
寝る前にそう言われて、思わず首に抱きついた。
翌日、約束どおり藤也さんとパーティをした。これがパーティかはわからなかったけど、骨が付いているお肉と綺麗なケーキを一緒に食べた。
「仕事、大丈夫なの?」
「今日帰れなかったら引退するぞって脅したからな」
藤也さんは笑っているけど、もしかして高宮さんは怒っているかもしれない。そう思ったらちょっと怖くなったけど、藤也さんと一緒に過ごせるのが嬉しくてニヤニヤしてしまう。
「俺、シュワシュワしたの初めて飲んだ」
この飲み物も藤也さんが買ってきてくれたものだ。もしかしてお酒なんだろうか。たぶんそうだ。だって、テレビで見たとおりフワフワする。
「おれ、お酒、初めて飲んだ」
「いや、ただの炭酸飲料だぞ?」
「お酒ってすごいなぁ」
「酒は二十歳になってからしか飲ませねぇ……って、おい、まさか炭酸で酔っ払ったのか?」
「あはは、なんだか楽しくなってきた」
前に見たドラマで、お酒を飲んだ人が楽しそうにしていたのが不思議だった。でも、いまならよくわかる。お酒ってこんなにワクワクするんだ。それにフワフワしてドキドキして、何もかもが楽しくなる。
「ったく、思い込みもここまでくりゃあ立派な特技だな。これじゃ、ノンアルコールでも酔っ払いそうな気がしてきた」
藤也さんが何か言っているような気がするけど、フワフワしていた俺はよくわからないまま「あはは」って笑った。そうして気がついたら朝になっていた。窓の外が明るいのを見て、時計を見て、しょんぼりした。
「なんだ、そんなに俺のザーメンほしかったのか?」
「……っ」
お仕置きのとき、クリスマスにザーメンをくれるって藤也さんが言っていた。もちろんそれもほしかったけど、それだけじゃない。せっかくプレゼントの服を買ってもらったのに、結局着ることができなかった。
「サンタのコスプレなら、来年すればいいだろ?」
「……でも、せっかくボスに買ってもらったのに」
「藤生のことなんか気にすんな。ったく、ろくでもねぇこと仕込みやがって」
「……スカートのサンタクロース、嫌いだった?」
「好きか嫌いかで言えば好きだな。それを着たおまえにエロいことをするって考えるだけで楽しい」
「じゃあ、」
「来年のお楽しみだって考えりゃいい」
「そう、かな」
「これからずっと一緒なんだ、気にすることはねぇよ」
そうだ、俺は死ぬまで藤也さんのものだからずっと一緒にいられる。じゃあ来年のクリスマスも一緒にいられるってことだ。そう思ったら嬉しくて口がニヤニヤした。
「あ、」
自分のことばっかりで、すっかり忘れていた。慌てて部屋に行って、クローゼットからサンタクロースの服を入れた袋を取り出す。
「……あった」
両手に載るくらいの大きさの箱を持って、藤也さんのところに戻った。
「あの、これ」
「なんだ?」
「ボスが、プレゼントだって」
「……藤生が?」
なんだか嫌そうな顔をしている。プレゼントって、もしかしてクリスマスの日にあげないとダメだったんだろうか。
「クリスマスプレゼントだって、俺、預かってたんだけど、あの、忘れてて、」
藤也さんは黙ったまま受け取って、綺麗な包み紙をビリビリに破った。
(……ハンドクリーム?)
中身は透明は箱に入ったチューブだった。それが二本入っている。
「……藤生のやろう」
藤也さんの顔が怖くなった。怖い顔だけど、ちょっとだけ笑ってるみたいに見える。
「藤也さん?」
「ベッドの脇の棚に置いておけ」
そう言ってプレゼントの箱を渡された。チューブの箱には英語で、らぶ何とかって書いてある。
「今日から泊まりがけの仕事になる」
「え?」
藤也さんの声に、慌てて顔を上げた。
「代わりに正月休みは完璧にもぎ取った。帰ってくるのは三十日だが、遅くなるかもしれねぇから先に寝ておけ」
「……うん」
「おーおー、一丁前に寂しそうな顔しやがって」
だって、今日は二十六日だ。ってことは四日間も会えないことになる。仕事だからしょうがないってわかっているけど、やっぱり寂しい。
「飯は冷蔵庫と冷凍庫に入れてある。書いてある日付の順に温めて食べろ。絶対に抜くなよ? 三十一日にひん剥いて確かめるからな」
「ひんむくって」
「もし痩せてたら……そうだなぁ。俺のザーメンはお預けだ」
「や、やだ」
そんな意地悪は嫌だって慌てて藤也さんの腕を掴んだ。そうしたら「意味わかってんのか?」ってニヤニヤ笑われた。
もちろんちゃんとわかっている。俺のお腹の中に藤也さんのザーメンを出してもらうってことだ。
「いい子でいろよ?」
「……うん」
頭をポンって撫でて、真っ黒なコートを着た藤也さんが仕事に行ってしまった。
それからの俺は、毎日ちょっとだけぼんやりする時間が増えた。掃除も洗濯もしているけど、英語の勉強はいつもより短くなった。代わりに藤也さんの写真を見る時間が長くなった。そんなふうに毎日が過ぎて、やっと三十日になった。
「何時に帰って来るのかなぁ」
夜遅くなるっていうのは何時くらいだろう。先に寝ておけって言ったってことは、十二時くらいだろうか。
本当は帰ってくるまで待っていたいけど、寝てろって言われたから寝ないといけない。いい子でいろって言われたから、いい子でいないといけない。
「じゃないと、藤也さんに嫌われるかもしれない」
藤也さんに嫌われないように掃除と洗濯を頑張ってやった。時間は減ったけど英会話も毎日聞いた。あんまりお腹は空かなかったけど食べないとダメだからちゃんと食べた。
「これが最後の夜ご飯だ」
これを食べたら藤也さんが帰って来る。
ご飯を食べてから食器を洗って、お風呂に入った。歯磨きをして、トイレに行って、それから藤也さんのベッドの端っこに潜り込む。薄暗い部屋でも、時計の針と数字が光っているから時間が見えた。
「十一時半、」
もう帰って来るかな。まだ帰って来ないかな。もう一度、時計を見る。
「十一時四十分、」
ベッドの中でゴロンと反対側を向く。しばらくして、またゴロン。ゴロン、ゴロン。何回かゴロンってしていたら、ようやく眠くなってきた。
「相変わらず子どもみてぇな寝相だな」
藤也さんの声がする。夢か、それとも本当に帰ってきたんだろうか。
「これだけでかいベッドなのに、なんで端っこで丸くなって寝るかなぁ」
だって、丸くなったら怖くなくなるんだ。大雨の日も、ご飯がないときも、電気がつかなくなったときも、丸くなって寝たら怖くなかった。お母さんがいなくなったときも、丸くなって寝たから怖くなくなった。
「泣くな。もうおまえは一人じゃない」
本当に? もう、一人じゃない?
「これからずっと俺が側にいる」
もう、一人で待ってなくてもいいってこと? もう、置いていかれたりしないってこと?
「準備はできた。おまえはもう一人じゃない」
おでこにチュッてキスされた。
(……そっか、俺、一人じゃないんだ)
暗くて狭い部屋で待っていなくてもいいんだ。もう置いていかれたりしないんだ。
ほっぺたにキスされて、鼻にもキスされてホッとした。だって、藤也さんは俺に嘘をつかない。だから、俺はもう一人じゃない。藤也さんの側にいられる。ずっと一緒にいられる。
そう思ったらほっぺたがふにゃってして、口にもキスをされた。チュッチュッて、口がくっつくだけのキス。口の中を舐め回すキスも好きだけど、チュッてするだけのキスも好きだ。
「知ってるよ」
そっか。藤也さんって、やっぱりなんでも知っている。すごいなぁ。すごくて、かっこよくて、大好き。
「そりゃどうも」
藤也さんが笑った気がした。
嬉しいなぁって思っていたら、体がふわって浮いた。浮いたままギュッて抱きしめられている気がする。ゆらゆら揺れている気がしたけど、俺はそのまま眠ってしまった。
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