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第六話 「存在証明」
夜も更けて午後9時ごろ。
鈴音が泊まることに決まった際は愛桜の反対が強かったため、ある意味で無事に一日を過ごせるのかという不安はあったが、その後に神楽の母が引っ張り出してきた人生ゲームに鈴音、神楽、愛桜は強制参加させられることとなり、意外にも人生ゲームで盛り上がりを見せていた。
第一ラウンドは神楽が優勝。極わずかな差で二位に鈴音が入る。途中までは鈴音が優勢で進んでいたのだが、二人を分けた決め手はゴールに辿り着く順番であった。三番目に神楽の母、そしてぶっちぎりでのビリは愛桜であった。
愛桜の運は悪く、序盤から常にマイナスマスを引き当て続け、借金とまではいかなかったが、結果的にはぶっちぎりの差をつけられてのビリになってしまった。
「もう!これインチキすぎ!もう一回!」
愛桜の不服から第二ラウンドが開始する。その第2ラウンドでは、いい歳になってそんな物しないわと小言を漏らしていた未歩も、母の誘いによって参戦した。理由は、愛桜がやっているからの一点張りであった。
第二ラウンドでは愛桜の首尾は上々で、今までの分を取り返すと言わんばかりにプラスマスに止まりまくり、スタートからゴールまでぶっちぎりの一位で終えた。スコア二位を神楽、三位を鈴音、大きく差がついて四位を未歩、そして借金を抱えて神楽の母がビリとなった。
ラウンド2で大逆転を遂げた愛桜は上機嫌のままお風呂場へ一直線。未歩は結果に左右されることも無く「まぁ楽しかったわ」と言って自分の部屋へと戻って行った。残った三人でゆっくり後片付けをして、終わってからしばらくした後に愛桜が入浴を終えた。
「じゃあ次、鈴音ちゃん入ってくればー?未歩は入るの遅いし、神楽は全員入った後って決まってるから。」
神楽の母に促され、お風呂場を借りることとなった。服は未歩用に買った着てないパジャマがあったようで、それを借りることとなった。二人の趣向が合わず、どうやら買ったパジャマが新品のまま放置されていたらしい。模様は水色のハートが施されたものであり、クールな性格の未歩にはやっぱり合わなかったのだろうと少し予測がつく。
「じゃあお言葉に甘えてお借りします!」
断りを入れた後に、道なりに廊下を進みお風呂場に辿り着くと、なんとそこには今にも珍しいヒノキで作られたお風呂場があった。とはいえ、設備自体が古いわけではなく、最新の設備が整った立派なお風呂だ。そして、広さもかなり大きい。まるで旅館に泊まりに来たかのような感覚に陥った。
そんな驚きを感じながらも、内心では心を踊らせていた。なぜなら、何を隠そう鈴音は大のお風呂好きであるからだ。
服を脱いでお風呂場に入った瞬間から包み込まれる、ヒノキの森の香り。同じくヒノキで作られた椅子に座り、頭から柔らかなシャワーを浴びる。髪に溶け込み、全身に伝い、湯気が香りを含んで全身を覆い尽くしていく。まるで自然と一体化したかのような心地であった。
流石にゆっくりしすぎるのは待っているみんなに申し訳ないと思い、シャワーのみにして風呂場から出る。バスタオルで全身の水滴を拭き、借りたパジャマに着替える。
洗面台で髪を乾かした後に、廊下を辿って用意された自身の部屋へと向かう。肝心の自身の寝る部屋なのだが、どうやら使っていないお客様用の部屋があるらしく、そこを一人で使わせて貰えることになった。本当に旅館に泊まりに来たみたいだ。
「…ぁ、」
廊下を歩いていると、前から着替えを持った未歩が向かってくるのが見えた。
鈴音はすれ違い様に軽くお辞儀をして、お互いに一歩背を向けて歩みを進めたその時であった。
「止まりなさい。」
二人の間を月明かりが照らす。
呼び止められた鈴音は立ち止まり、未歩の方へと振り返る。
「一つだけ、あなたに聞くわ。なぜ、あなたは戦おうとするの?」
未歩の顔は見えなかった。しかし、その声は真剣味を帯びていた。
唐突な質問に鈴音は困惑しながらも、自分の確かな答えを彼女に示した。
「私は、大切な人を守りたい。そのために私は戦う。」
「...そう。みんなそう言うのね、守りたいって。」
未歩は一息ついた後、静かに言葉を続けた。
「私の妹が契約者なのは知ってるでしょう?妹も大切な人を守るために契約者になったの。兄...安倍神楽をこの力で守るんだってね。でも、私は反対だった。だって、血も繋がっていない人のために自分の命を賭けて戦う道を選ぶだなんて、私には到底ありえないことだったから。だから、妹にはこれ以上戦って欲しくは無いし、それを良しとして戦わせるあの男のことをずっと恨んでる。でも、こうも思うの。愛する妹だからこそ、妹のしたいと思うことを叶えてあげたい。妹を全力で応援してあげるのが、姉の務めでもあるんじゃないかって...。だから、あなたに契約者として戦う理由を聞いた。」
彼女が語ったのは、内に秘めた強い葛藤であった。契約者の妹を持つ姉として、どう振る舞えば良いのか。彼女はその中でずっと揺れていた。
「…そうなんですね。二人が神楽くんと血が繋がってないことに驚いて、今あんまり上手いこと言えないですけど、でも――」
鈴音が掛けた次の言葉は、彼女の心を大きく動かした。
「――妹さんを大切に思えること、私は素敵な事だと思います!何が一番大切かを考えて行動するのは難しいと思いますけど、今自分が大切だと思うこと、自分が今出来ることを全力ですればいいんじゃないかなって思います!」
「そう…そうよね。」
月明かりが動き、徐々に未歩の姿を照らし出す。
照らし出された彼女には、曇りのない小さな笑みを浮かべていた。
「ありがとう。あなたのお陰で心が晴れたわ。私は自分の信じるもののために、今できることを全力でするわ。」
「力になれたのなら良かったです!」
鈴音も笑顔でそう返す。
安倍未歩――冷やかな雰囲気で怖い人かと思っていたけれども、妹思いの優しい人なんだなと感じた。
「呼び止めてごめんなさいね。あなたも頑張ってね。」
「うん!ありがとう!」
こうしてふたりは、それぞれの方向へと足を進めたのであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夜も更けた深夜。部屋で寝ていた鈴音はふと喉の乾きを覚え、水を飲もうと台所へと向かった。
ボヤつく視界の中、渡り廊下を歩き、台所のコップを拝借して水道水を汲み、一杯を喉元へと流し込む。そして、喉を麗した鈴音が再び居室へ戻ろうと廊下を歩いている時であった。
「...ん?」
襖の少し空いた隙間から廊下へと月明かりが漏れていることに気がつく。鈴音はその隙間から、その先にある部屋へと顔を覗かせる。すると、部屋の奥の縁側には、月明かりに照らされた神楽が静かに座っていた。
「神楽くん...?何してるの...?」
襖を開け、鈴音は静かに神楽の背中へと問いかける。その声の正体に気がついた神楽は顔だけを近づく鈴音に向ける。
「あぁ、鈴音か。まぁただの読書さ。鈴音こそまだ起きてたのか?」
「ううん、喉乾いたから水を飲みに起きただけ。そしたらこの部屋の襖が空いてたから...。」
「あぁ、そういう事か。」
鈴音はそう言って、部屋の周りを見渡す。和室の部屋の隅々にはぎっしりと本の詰まった本棚がいくつも置かれており、そこは書斎のように思えた。
「わぁ、凄いね。沢山本がある...。」
「...この部屋は父の居室だったんだ。今は入院してるけど、する前はよくこの部屋で、父に色々な本を読み聞かせてもらっていたよ。」
「へぇーそうなんだ!ねぇ、今見ている本はなんなの?」
鈴音はそう言いながら、縁側に座る神楽の隣へと腰掛ける。
「この本は...まぁ日本昔話みたいなやつさ。俺の...一番好きな本なんだ。」
神楽はその本を手でさすりながらそう語った。
「へぇー!神楽は、いつもこんな遅くまで本を読んでるの?」
「いや...寝られない時とかかな?」
「寝られない時...ってことは何か悩み事でもあるの?」
そう質問した鈴音に返ってくる言葉は無かった。神楽は沈黙を貫いたまま、闇を照らす月を見つめ、こう言った。
「俺はさ、契約者としての歴が割と長いんだ。うちの家は陰陽師の安倍晴明の家系でさ、名を変え形を変え、途方もない時間を安倍家は悪魔と対峙してきたんだ。そして、その血を継ぐ自分も中学生の時には既に契約者になって、父さんの背中を追い続けた。父さんは体が弱かったけど、入院する前はこの部屋であらゆることを教えてくれたんだ。」
夏虫の歌が響く中、神楽は静かに言葉を繋いだ。
「神楽の守り人を結成したのは高校一年生の時だった。きっかけは父さんの言葉――仲間がいれば一人でなし得ない不可能も可能となるって言われたからだった。いつかは悪魔を滅ぼして弱き者を救いたいと本気で思った。だから仲間を集めた。だけど、最近になって自分が戦う意味が分からなくなってきたんだ。」
神楽は手元にある本を握りしめる力が強くなる。
「弱きを救うことが自分の使命であるとも思ってた。力のあるものはその力をみんなのために使うんだって父さんからも教わった。だけど、人を命懸けで救ったってそんな事を誰一人として覚えていない。誰かを助けたことで得する訳でもない。助けられた人はそのことに気づかず、のうのうと暮らして、対して自分は、仲間は、平凡な日常でさえも戦うことで代償となる。そんなのに、誰かを助けることに意味なんてあるのかって時々考えてしまうんだ。人々を救うために仲間が...大切な人が磨り減っていく姿を見るのが...辛いんだよ...。ははっ、安倍家の末裔なのに情けない話だよな全く。」
神楽の心の底から溢れ出した真実。それは契約者として、そして神楽の守り人のリーダーとしての葛藤であった。
神楽は安倍家の血を継ぐものであり、契約者として人生を歩むことが決定していた。故に、戦う理由を持って契約者となった訳ではなかった。自分の中にある戦う意義がないからこそ、父からの弱き者を救えとの教えを信念とし、自身の力を人々のために使うべきであると考え、戦い続けていた。だが、人々を救うためには自身や仲間の身を削る...そう考えた時、果たして自分が戦う理由はあるのかと考えてしまったのである。
「神楽くん...。」
神楽の悲しげな横顔を見て、鈴音はぽつりと名前を呟く。しばらくの間、鈴音は思考した後に口を開いた。
「神楽くんに伝えたいことがあります!」
鈴音はそう言いながら姿勢を正し、神楽の顔を真剣な眼差しで見つめる。その様子を見た神楽も、釣られるように姿勢を正し、鈴音と真正面に向き合う。
「神楽くんの苦しみ...分かってあげたいけど、まだ契約者になったばかりの自分には分からないことばかりでアドバイスとかする力はない...。でも私、これだけは自信を持って言えます。神楽くんは...みんなに希望を与えてくれた素敵な人だって!」
「…素敵な人...か。今の自分には遠い話だな、こんな歪んだ気持ちで戦う自分には...。」
頭を下げ、うなだれながら呟く神楽の手を、鈴音はぎゅっと掴み取った。
「そんなことないよ!神楽くんがどんな思いで戦っていても、そこには訪れるはずだった悲しみを防いだ人達が、その先に続く幸せが、神楽くんのおかげである!たとえその人たちの記憶にはなくても、その事実は変わらない!私もその一人だし、私は救ってくれた神楽くんにずっと感謝してる、みんなが覚えていなくても私が覚えてる!みんなを救う英雄だって!」
「鈴音…。」
神楽の頬には柔らかな涙が伝っていた。
それを自覚した時、神楽は自分の本当の思いに気付かされた。きっと自分は、誰かに認められたかったのだと。自分がここにいることに気付いて欲しかったのだということを。
「ありがとう鈴音。そうだよな、俺が戦ったことで、確かに救えた命が、幸せが、そこにあるんだもんな。」
神楽はそう言うと、鈴音の手を両手でぎゅっと握り返す。
「ずっと悩んでたんだ。でももう、答えは出た。俺はもう、迷わない!だから見ていてくれ!俺の英雄としての生き様を!」
「…うん!」
神楽の語った心の中の葛藤、そして覚悟。
その言葉の本当の意味が知れるのは、もう少しあとの話だ。
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