色つきと色なし

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色つきと色なし

   王宮で馬車を降りた瞬間から周囲の視線をさらった。  しかし、それはいつものこと。  八歳の時に王子の婚約者に指名されて以来、王子妃教育のために毎日のように通い、時には宿泊も余儀なくされた。  そのたびに多くの好奇の眼に晒され、時には公爵令嬢に対してあり得ない振る舞いを受けたことがあった。  理由はもちろんこの容姿だ。  青い髪はそれなりに存在するが、黒髪と限りなく黒に近い濃紺色はこの国生粋の貴族では見かけない。  おおむね色の付いた真珠のような淡く明るい色が貴族のしるしで、焦げ茶のような暗めの色は下々の民たちに多い。   絵の具を混ぜ合わせていくうちに暗い色になってしまうことに重ねて、『まじりけない』もしくは『色なし』が尊ばれた。  さらに付け加えるなら少し黄色を帯びた肌の色も労働者や流浪の民を連想させ、貴族たちの美の基準から大きく離れる。  他国との往来の激しい辺境領ならばさほどでもないだろうが、この国の王都はあらゆる意味で閉鎖的であった。  ようは自らの血と容姿に誇りを持ち過ぎている。  そんな排他的な王都の宮殿にわずか八歳で足を踏み入れたエステルは、たとえ先王の孫で筆頭公爵家の嫡子であっても、前に続くのは茨の道でしかない。  父と国王たちの保護をもってしても、その目をかいくぐって嫌がらせを行う猛者は存在する。  この十年は数々の事を学ばされ続けた。  エステル・ヘイヴァースとしてあるべき姿はどのようなものなのかを。 「エステル様」  後に付き従う護衛のデイヴが声をかけてくる。 「なに」  彼のライムグリーンの髪を目の端に映し、振り返らぬまま応えた。 「本当に、独りで行かれるおつもりですか」  主を気遣う声色。 「ええ」  大広間へ続く扉を、エステルは独りでくぐるつもりだ。  エスコートも護衛もなく。  婚約者であるジュリアンは宮廷の衣装係を使ってドレスを送り付けただけで、手紙の一つも寄こさない。  彼は『色付き』が婚約者であることが不満だった。  それを、彼が隠したことは一度もない。  ちょうど十年前、王命が下され婚約者として確定した時に第三王子ジュリアンとヘイヴァース公爵の長女エステルは玉座の間で顔合わせをさせられた。  最上級の挨拶から顔を上げた瞬間、頭のてっぺんからつま先までまじまじと見たのち、ジュリアンは端正な顔立ちをあからさまに歪めた。 『なんでこんなのが俺の』  不満でいっぱいの、己の不運を嘆き、憐れむ声。  王家と高位貴族の総意で承認され生半可な理由では覆すことのできない婚約であることは、十歳であるジュリアンにも理解できていた。  だからこそ、腹立たしく、無念なのだろう。  それは今も揺るがない。  これからも。 「この扉の向こうに婚約者がいるというのに、新興伯爵家の四男にエスコートされて登場するなんて、笑いものになるだけじゃない」  背後でぐっと息をのむ気配がするが、気付かぬふりをする。 「私はエステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢。第三王子ジュリアンの婚約者で、王孫」  ぱちりと手にしていた扇を閉じ、背筋を伸ばす。  しゃりん、と耳飾りの細工が音を立てた。 「お前はこの扉のこちら側で、おとなしく待ってなさい。それがお前の仕事よ」  扉の前に控えていた案内係たちに視線を送ると、それまで石のように固まっていた彼らは急に意識を取り戻したのか慌てて扉に取りつく。 「エステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢が入られます」  大広間の紹介係がそれを聞いて大声で周囲に伝えた。 『エステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢のおなりです』  大きく扉が開き、シャンデリアの光がエステルを照らした。  人々の視線が一斉に降り注ぐ。  さあ、この夜一番の余興の始まりだ。
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