特別な一日

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 「○○高校、夏の甲子園出場が決まりましたーーー!!!」  白球がファーストミットに収まり、27個目のアウトが確定すると、マウンドに選手が集まっていく。  「やった、大志やったな!」  スタンドから見つめる俺のもとへ、同じ三年生ながらベンチ入りを果たせなかった人間が目に涙を浮かべながら肩を抱いてくる。  例え試合に出れなくとも、声が枯れるまで声援を送り、共に過酷な練習を乗り越えた仲間が歴史を作った。やってきたことは何も間違いではなかったと胸を張って言うことが出来る。  甲子園出場が決まったこの日、俺の人生の中で特別な日になった。  「このタイシ先輩は、高校時代に甲子園出てんだぜ?」  同じサークルの後輩は、まるで自分の自慢話をするかのように鼻の下を伸ばして女へ語りかけている。  「えぇーすごーい・・・私野球よくわからないけど、甲子園ってすごいんでしょ?」  女が甲子園に興味がないことは明らかであったが、ネームバリューのあるものには興味があるようだった。  「お前、○○高校って聞いたことあるだろ?」  「あー、聞いたことある気がするー・・・何か数年前になんちゃら旋風とか言って流行ってたやつでしょー。」  「そうそう!よく知ってんじゃん。」  しめた、と言わんばかりに後輩はにやけ顔でこちらを見てくる。  「実はこのタイシサン、その時のエースで四番だったんだよ。」  わざとらしく女に近づき、必要以上の小声で耳元に囁く。  「えぇっ、めっちゃすごいじゃん!」  先程以上に大きな声をあげた女は、俺のへの興味をより強く表現している。  「先輩、話してやってくださいよ。」  してやったりという顔で俺を見てくる後輩からは、ここまでお膳立てをしてやったという自尊心のようなものも感じられる。  もはや、嘘をついているという感覚は忘れてしまった。  使えるものはなんで使う。相手を傷つける訳でもなく、お互いに損はしていないのだから、別に罪の意識を抱く必要もない。  俺は意気揚々と甲子園での話を始めた。もちろん、スタンドからではなくマウンドから見た景色を。  「それで、その経験を大学生活でどう活かしたのですか?」  就職活動で対峙した面接官たちは、甲子園に出場した経験をやたらと大学生活に繋げようとしてくる。  大学生活では、甲子園に行った話を使って女を沢山口説きました。無論、多少の脚色はしましたが。  馬鹿正直にこう言ってやろうかとも思った。だがそんなことを出来る訳もなく、一瞬間を空けて中身のない話でお茶を濁すのが関の山であった。  『高校時代は甲子園どころか、ベンチにも入れませんでした。だけど、その時の悔しい思いがあったからこそ、今の自分が』  今秋のドラフト候補と言われインタビューに答える同学年の姿が映し出されたテレビを消す。自分との差を見せつけられているようで不愉快な気分になった直後、携帯電話に不採用を告げるメールが届く。  俺は何か悪いことをしたのだろうか。  高校時代、レギュラー争いを勝ち抜くべく、必死の思いで努力をしたことは、誰に対しても胸を張って言える事実だ。だがその事実が、俺の求めていた結果をもたらしてくれる訳ではなかった。  俺の大学生活は、そんな世の中への復讐でもあった。  どれだけ努力をしても、欲しいものが手に入るとは限らない。でも、ちょっとした嘘をつけば簡単に手に入るものがある。  いかに努力をすることが馬鹿馬鹿しいことか。俺の様な凡人がどれだけ努力をしても、結局才能ある人間が努力をすれば叶うことはない。ならば、こちらとしても戦い方を、生き方を考える必要がある。俺はただ、賢くなっただけだ。  だが、結局はあのテレビに出ていたような人間が評価を受けるのだ。ひたむきな努力をしているように見える人間が、陽の光を浴びるに相応しいと称賛される。俺とテレビに出ていたあいつでは、生きるための手段が違うだけだ。草を食らう動物と肉を食らう動物がいて、そこに優劣はないはずなのに、なぜか草を食らう動物は健気な印象があり、肉を食らう動物はヒールにされる。  勝敗、結果を評価するくせに、努力をいう課程を重視するふりをすることを偽善と呼ばずになんと呼ぶのだろうか。  「おい、大志じゃねえかよ。」  背後からかけられた声に振り向く。そこには、ワイシャツ姿で額に汗を浮かべた男が立っていた。  「やっぱり今日はここに来るよな。なって言っても、俺たちにとって特別な一日なんだから。」  そんな言葉と同時に男は近づいてくると、やたら強い力で背中を叩いてきた。  「しっかし暑いなあ、あの日もこんなに暑かったなあ。」  共に高校時代は野球に打ち込み、俺と同じように大事な試合でグラウンドに立つことは許されなかった。それでも仲間の勝利を心から喜ぶことの出来たこの男は、今はメーカーの営業マンとして働いているらしい。  「あれからもう7年か・・・」  きっとこの男は、自分たちが甲子園出場を決めた日ということで、外回りのついでにこの球場に寄ったという所だろう。  「思いの外働くって大変だけど、高校時代のキツイ練習に比べれば楽勝だし、何より頑張れば甲子園出場みたいなご褒美があるかもって思える・・・やっぱり高校時代の思い出は今でも俺の中で心の支えになっているよ。」  満足気な表情でこう語る男を見て、俺は衝撃を覚えた。  どうしてそんな風に考えられるのだろうか。  7年前の今日は、俺にとって特別な一日になった。それは、自分の努力とは無関係に、世界は進むと理解をした日になったからだ。  自分の努力とは関係なく、才能のある連中が集まれば地方大会で優勝をし、甲子園で旋風を巻き起こせる。自分が掴み取ったものでなくても、馬鹿な連中は簡単に騙ることが出来る。そして世の中は、努力だけでも結果だけでもなく、努力をした上で結果を出した人間しか視界に捉えることは出来ない。良いことも悪いことも、法律に触れないレベルであれば誰も気付かない。  俺にとって努力の無意味さに気が付いた一日だが、この男にとっては努力は素晴らしいものだと気が付いた一日になっている。  なぜ同じ時間に、同じ経験をしたはずのこの男と俺で、ここまで捉え方が違っているのか。  「やっぱり一度きりの人生だし、ポジティブにやっていかないともったいないよな。」  もったいない。その言葉に、俺はある種の納得感を得た。  この男も俺も、根っこの部分で変わりはない。前向きに進むこと、努力を無断だと断ずることも、どちらもただの損得勘定によって導き出した価値観だ。  今までのことを無駄だと思いたくないのも、今までの無駄をこれからはしたくないと思うことも、本質的には同じことだ。結局の所、所詮は結果を出していないもの同士、行き着く先は同じなのだ。  世の中全ての人間が、前向きであることが前に進む手段とは限らない。俺はこの日、前向きな男と同じだけの推進力が自分にあることを確かめることが出来た。  俺はもう、世の中から称賛をされるような努力はしない。だが、自分のやり方が正しいことを、自分の手段も存在していることを証明するために、これから生きてやろう。  何年経っても、今日は特別な一日だ。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!