4. 透明なレンズの中で

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 翔の体温と香水の匂いを感じた瞬間、二人がゼロ距離であることを思い知らされる。  なぜこんなに距離が近いのだろう。  なぜ抱きしめられているのだろう。  そんな「なぜ」「どうして」が胸の中にひしめき合う。顔がぼーっと熱を持つ。身体から力が抜けて今度こそ床に崩れ落ちそうになる。  美果の反応と翔に守ってもらえたおかげで、確かにカメラは壊れはしなかった。だが焦りと緊張のせいで美果の心臓の方が壊れそうになる。 「も、もう大丈夫です、から」 「ああ……そうだな」  左手でカメラのバッグを抱えたまま、右手で翔の腕に縋る。スーツに皺がついてしまうかもしれない、と配慮することも出来ずにぎゅっとジャケットを握る。  火照る顔を見せないように俯いて懇願すると、気付いた翔がようやく身体を離してくれた。  一体どれほどの時間そうしていたのだろう。気がつけば足の痺れは消え去っていて、普通に立ち上がれるようになっている。それとも驚きのあまり、痺れもどこかに引っ込んだのだろうか。 (び、びっくりした)  慌てて距離を取って立ち上がると、カメラを片付けるために物置部屋へ向かう。だが翔と距離を取ったにも関わらず、まだ心臓の音がうるさい。顔も熱を持ったままだし、手に変な汗をかいている。  あとは食事を温めるだけで帰宅できる。翔はいつも食べたあとの食器を水を張った洗い桶に浸しておいてくれるので食器は翌日の朝食分とまとめて洗う。  これ以上ここに滞在する必要はない。  けれど、その前に…… (どういう顔してリビングに戻ればいいの!?)  美果に与えられたものは、少し翔を笑ってしまっただけにしてはあまりにも恥ずかしすぎる罰だった。
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