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手荷物検査の列の前で、僕らは繋いだ手を離した。
もう二度と、麦と手を繋ぐことはない。
麦は関東の実家に帰る。
明後日には入社式がある。
僕はこの土地に残って、大学院に行く。
麦と人前でキスをする勇気があったらよかったのに。
麦が微笑む。
おそらく最後の、正面からの麦の顔。
僕たちの胃の中には、まだ、半分ずつ飲んだコーヒーが入っているのに。
僕の身体には、まだ、昨夜の麦の感触が残っているのに。
列が進む。
麦の横顔。
唇の近くにある、僕の好きな、ほくろ。
髪の毛に隠れた白い耳。
薄い肩からバッグを下ろす。
遠ざかって行く。
麦はストールを外した。
ゲートをくぐる。
麦は振り返らなかった。
見慣れた背中。
他の人の背中が、どんどん、麦の小さな背中を覆い隠してゆく。
もう、見えない。
《完》
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