婚約破棄ですって?

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婚約破棄ですって?

「アンジェリーナ・ナイトレイ。貴様との婚約を破棄し、我が国の聖女ミサキを害した罪で流刑に処す」  華やかな夜会の場で、私は突然告げられた婚約破棄に呆然としました。ナイトレイ公爵令嬢として生まれ、王家へ嫁ぐべく幼い頃から王子妃教育を受けています。目の前で得意げに聖女様の肩を抱き寄せるのは、婚約者……いえ、元婚約者になったメイナード第二王子殿下でした。  金髪碧眼、王家特有のつんと尖った顎、白い肌の王子様。絵本の挿絵になりそうなメイナード王子に、私は優雅に一礼しました。 「メイナード第二王子殿下、婚約破棄は承りました。ですが、私を流刑に処す理由が分かりません」 「何をぬけぬけと! 聖女ミサキを脅迫し、暴漢に襲わせたではないか」 「冤罪ですわ。客観的な証拠をお示しください」  言い切る私に、周囲の貴族がどよめきました。まず、婚約者である公爵令嬢の前で、王子が別の女性の肩を抱くこと自体が不貞と見做されます。婚約解消を口にする前から、聖女様の肩を抱き……いえ、広間へ入場された時は腰を抱いておられましたね。それは夫婦になって寝室を共にしてから認められる作法ですわ。  淑女の腰に手を回す行為は、すでに深い関係にあると周囲に知らしめる仕草ですもの。公式の場で、メイナード第二王子は「婚約破棄前だが、聖女と深い関係を持った」ことを言いふらしたも同然です。大人しく受けている聖女様もどうかと思います。ふしだらだと公言されたも同然ですのに。  さらに婚約破棄を口になさいましたが、婚約は王家と貴族家の契約でした。第二王子一人の判断で、破棄や解消が出来るはずがありません。  王家が解消を決めたなら、それは国王陛下から下知されるべきでした。軽々しく契約を破棄するような王家に、どこの貴族が従うでしょう。  国王陛下が外交で不在の夜会にて、一方的に王子が「婚約破棄だ」と騒いだとしても、誰も本気に受け取らないのです。貴族階級に名を連ねる紳士淑女は、どなたも一癖も二癖もある方々ですもの。こんな茶番に動くことはありません。愚行は一族を没落させるため、どの貴族も嫡子の教育は厳しいのです。  専門の教育を受けた王族とは思えませんが、メイナード王子はこういう部分がありました。人の話を聞かず、勝手に思い込みで行動します。聖女であるミサキ様も似たところがあり、ある意味お似合いなので、私は婚約解消に賛成いたしますわ。 「冤罪だと! 貴様、俺が間違ったと言いたいのか」 「メイナード王子殿下、一人称が間違っております。『俺』ではなく『私』でしょう。国王陛下や宰相閣下にも正されておりましたね。それに冤罪と言い切るだけの根拠がございます」 「煩い! 貴様など死罪だ」  あら、勝手に罰が重くなりました。呆れて溜め息が零れました。我が国の法をまるっと無視したご意見を、王族が公の場で言い放つ。今後の混乱を収める苦労を思うだけで、胸が苦しくなり申し訳ない気分になります。また叔父様にご苦労をおかけするのですね。 「死罪に相当する罪状はございますか?」 「俺に余計な口を利いた生意気な態度、不敬罪、聖女を敬わない罪、彼女を傷つけようとした罰だ」  罪やら罰がごちゃまぜですね。それ以前に……ほとんどは言い掛かりではありませんか。今度は隠しきれず、大きく溜め息を吐きました。何でしょう、このお馬鹿さん。これでも国王陛下がお金をかけて教育した第二王子殿下なのですよね?  近所で評判のパン屋の幼子の方が、まだ分別がありますわ。先日小さな手でパンを手渡してくれた幼い女の子を思い浮かべ、軽く現実逃避しました。あのパンは美味しかった。王子妃教育もなくなることですし、明日にでも買いに行きましょう。 「聞いてるのか!」 「申し訳ございません。あまりに意味不明でしたので、考えておりましたのよ」  裏か隠語でもあったかと……そう思わねば、とてもまともに話を聞けません。くすくすと笑いだす貴族が現れました。そうですわよね、もう笑うしかない状況ですもの。 「ナイトレイ公爵令嬢、こちらへ」  手を差し伸べたのは、近衛騎士団長のご子息サクソン伯爵家のブレント様。王太子殿下の側近も務める方で、その剣技は父君を凌ぐであろうと噂の好青年です。黒髪に黒曜石の瞳が素敵な美丈夫で、なぜか聖女ミサキ様もうっとり見惚れていますね。あなた、第二王子殿下を選んだのではなくて? 「ありがとうございます。まだ国王陛下の裁可が下っておりませんので、お手は遠慮させていただきますね」  第二王子の婚約者の手に触れエスコートするのは、緊急時以外はやめた方が賢明ですわ。そう告げて丁寧にカーテシーを披露しました。伯爵家のご嫡男へ公爵令嬢である私が跪礼をする行為は、最高の敬意とお礼になりますので。サクソン伯爵令息は礼儀正しく、一歩距離を置いてくださいました。  本来、貴族令息とはこうあるべきですわ。  揚げ足取りされないよう振舞いながら、駆け付けた兄ローレンスの手を取ります。 「大丈夫か? ジェナ、とんでもない濡れ衣を着せられて……なんて可哀想な」  周囲に聞こえる大きめの声で、遠回しに第二王子を牽制しました。ここで直接「馬鹿な王子に振り回されて」と言いたいところですが、これこそ不敬罪に該当しますわ。どんなに頭のおかしいお方でも、王族には違いありませんもの。  今回の騒動で国王陛下に愛想を尽かされないとよろしいですわね。先日、侍従に宝石を盗まれたと大騒ぎした結果、ベッドの下から発見された騒動でかなりお怒りでした。今回の騒ぎは致命的ですわ。そろそろ王族籍剥奪になりそうですもの。  心の中でいくら罵ろうと声に出さなければ、不敬罪は適用になりません。私とお兄様は目配せで文句を呑み込みました。 「疲れただろう? 帰って休もう」 「はい、お兄様」  立ち去ろうとした私達の後ろから、メイナード第二王子の捨て台詞が飛んできました。 「逃げるのか、卑怯者がっ!」  言い終えた第二王子の顔に、ぺちんと手袋が当たる。お兄様ったら、いくら頭にきたからって胸元にしておけばいいのに。でもこの場合は不敬罪の対象にならないので、遠慮なく攻撃したという意味でしょうか。 「侮辱には、手袋を投げるのが通例だったな。ナイトレイ公爵家嫡男ローレンスが、第二王子メイナード殿下に決闘を申し入れる」  ざわめきが大きくなります。この国で一番の剣術を誇る兄ローレンスが、王家の出来損ないと揶揄される第二王子へ決闘を申し込んだ。もし断れば、第二王子と王家の威信は地に落ちます。逆に受けたとして、勝てる見込みは一割もないでしょう。それもお兄様が高熱で苦しんだ状態での確率ですわ。 「っ! いいだろう、受けて立つ」
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