どうってことない

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 久幸はエレベーターから降りると、青い顔のまま病室の番号を見ていく。  そして目的の部屋を見つけると中に入った。  ベッドの上の女と、その横に座る女が笑っている。  二人が久幸を見た。ベッドの上に横になっているのが久幸の母の弘子で、椅子に座っているのは菜々実だった。  久幸は唖然とした表情で二人を見る。 「お袋、大丈夫か?」 「たいしたことないよ。足の骨にひびが入ったのと、切ったところを何針か縫った程度。何だいそんなに血相を変えて」 「いや、まあ、おじさんが詳しく話してくれなかったもんだから、てっきり」 「てっきり何だい? 死んじまったとでも思ったか?」  久幸の母は昔から遠慮なくものを言う性分だ。 「いや、そこまでは思わなかったけど」 「バックしてきた車とぶつかってね。倒れた拍子に足がタイヤの下敷きになったんだよ。これくらいで済んで運が良かったかもしれないね。私の不注意だ。年を取ったってことさ。それより、久幸こそ最近色々あったそうじゃないか」 「俺は別に。まあ、人に話したくないような事が次から次へと重なって、大変だったけど」 「私より、菜々実さんのほうがよっぽど久幸のことを心配して下さっていたんだよ。連絡もしないで、一体どういうつもりだい?」  久幸は菜々実を見た。菜々実はずっと久幸を見たままでいる。 「二人で話してきていいか?」 「早く行きな」  久幸は菜々実と廊下に出た。  何か言おうとするが、なかなか言葉が出てこない。 「お袋のこと、心配してくれてありがとう」 「私はあなたのことを凄く心配してた。どうして連絡してくれなかったの?」 「ごめん、色々酷いことがあって」 「そんな時だからこそ連絡してほしかった」 「何度も連絡しようと思った。だけど、振られた男がそんなに簡単に」 「ちょっと待って。振られた? 私、あなたを振ったの?」 「振っただろ?」 「いつ?」 「この前、最後に会った喫茶店で。二人の関係を終わりにしようって言っただろ?」  菜々実はその言葉にぷっと吹き出し、それまでの怒ったような表情を和らげた。 「あの時、私、こう言ったのよ、こんな関係を終わりにしないって。私としてはそれ以上の関係になりたいって意味で言ったつもりだったんだけど」 「ん?」 「はっきり私から結婚して下さいって言ってしまえばよかった?」  雲間から太陽が顔を出し、光を斜めに街に投げかけている。  久幸と菜々実、それに菜々実の妹とその婚約者が並んで病院の屋上から街並みを眺めている。 「昨日の夕方、あなたのマンションが火事になったって聞いた。部屋の電話も携帯も通じないからマンションに行ったの。あなたの部屋は焼けていて、あなたはどこに行ったのかわからない。私も途方に暮れていたのよ」 「お姉ちゃん、すごく心配していたよ」  妹が口を入れた。 「今朝になってあなたのおじさんから、お母さんが事故に遭ったからあなたの連絡先を教えてほしいって電話があった。でも、私も連絡のしようがなくて、取りあえず様子を見にと思ってここに来たの」 「そうか」 「会ってみたら、お母さん、元気そうだし、あなたとも連絡が付いてこっちに向かっているっていうし、昨日から心配ばかりしていた私がバカみたい」 「悪かった」 「本当にそう思ってる?」 「もちろん」 「じゃ、することはわかっているわね?」 「ん?」  菜々実はじっと久幸の目を見る。 「わかった。でも、そこに約二名、邪魔な人間がいるんだけど」 「二人は婚約中。もうじき二人とも私の子分になるの。居ても構わないでしょ?」 「わかった」  それでも久幸は踏ん切りがつかない。 「早く」 「一生大切にします。結婚して下さい」 「はい!」  菜々実は久幸に抱きつく。  そのはずみで久幸のポケットから写真立てが落ちる。  地面すれすれのところで久幸がそれを掴んだ。  抱き合う二人を残して妹と婚約者はその場を離れていく。  久幸が手にしている写真立ての中では久幸と菜々実が微笑んでいる。                     終わり
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