どうってことない

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 スナックのカウンターに久幸と森が座り、ウイスキーを飲んでいる。 「やっぱり駄目かな」  グラスをちびちびと傾けながら森が言った。 「駄目なんじゃないか」 「こんな時に酒なんか飲んでていいのか?」 「いいだろ。どこで何をしていたって、同じことさ」 「そうだな」 「今日はもうじたばたしたって仕方がない。明日冷静になって考えよう」 「あんたはいいよ。他へ行ってもうまくやっていけるからさ。あちこちから引く手あまただ。今まで散々痛い目にあって、あんたのことを苦々しく思っていたところが、手のひらを返してうちに来てくれって言い寄ってくるぞ。それだけの才能があんたにはある」 「才能なんてないよ。あるのなら、根性だ」 「そんなセリフ、言ってみたいもんだ」 「お前だって十分才能はあるさ」 「ありがとう」 「俺はこの商売、向いてないんじゃないかと思う」 「あんたが? 冗談。天職じゃないか」 「人と張り合って、人を蹴散らして、頂点に立つのはただ一社。優勝の喜びに浸れるのは一チームのみ。他はみんな泣いている。スポーツじゃないんだし、そんなことしていていいのかなと思うときがあるんだ」 「何を言ってる。資本主義なんてみんなそうだろ? 全て競争」 「わかってはいるんだけど」 「そんな風に考えているなんて知らなかった。思いもよらなかったよ」 「会社が健在なら、こんなこと、人には絶対に言わなかった。他の企業に対してもそうだけど、社内の奴らにもそんな態度は見せられなかった」 「うん。あんたらしい」 「だから、社内での自分は、本当の自分じゃないんだ。弱みを見せまいと、表にある自分を一生懸命に塗り固めてきた」 「それも自分だよ」  久幸、氷をコロンと鳴らしてウイスキーを飲む。 「そうか。それも自分か」  週末のネオンで彩られた繁華街をさまざまな人が歩いている。酔っ払った人、素面な人。若い人、年配の人。男の人に女の人。  久幸と森もふらつく足で歩いている。 「今日は車で来たのか? 凄い車を買ったって噂だけど」 「乗って来たよ」 「高かったんだろ?」 「もうどうでもいいや。車なんて、売り払っちまうよ」 「今日はどうやって帰る?」 「代行」 「乗って帰るなよ」 「乗らないよ。この上飲酒運転なんかして何かあったら目も当てられない。それこそ阿呆だ」 「元々俺らは阿呆だけどね」  二人はよろよろしながら、別の店に入っていく。  いらっしゃいませーという若い声がする。  広いメイン通りの道を車が時折走っていく。昼間は混雑するその通りも、明け方近いその時間は閑散としていた。  スピードを出した車が近づいてくる。運転しているのは久幸だ。ハンドルを持つ久幸の目は座り、ぶつぶつと一人で何か言っている。 「ちくしょう、ちくしょう」  突然、車の前に猫が飛び出し、道の真ん中で止まった。 「お!」  久幸はブレーキを踏みながら急ハンドルを切る。  車は急激に方向を変え、ガードレールに激突した。  そして進行方向と逆を向いて止まる。  怯えていた猫が駆けだし、闇の中に消えた。  久幸は無表情なまま、車のスタータースイッチを押す。  前部を大破したスーパーカーは、うんともすんとも言わない。 「ちくしょう!」  久幸はハンドルを力任せに叩く。
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