タイムカプセルを探しに

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 どこに向かっているのかも分からないまま奏馬に続いてしばらく斜面を駆け上がると、背の高い木々を抜けた先に開放的な場所があった。  自然にできた広場と言うよりかは、ある時まで手入れされていたのが何年か置き去りにされて野生化したような印象だった。   「こんなところがあったんだな」 「お前が東京に行った後、奏馬と二人で見つけた場所なんだ」 「二人でここに来たってこと? なんで?」    猛は俺の気の抜けた返答なんてそっちのけで、手で額に庇を作り眩しそうな顔をしながら一心に頭上を見上げている。   「僕が相談したんだ。野生鳥類の研究の道に進もうって決めて、フィールドワーク出来る場所を探してた時に」    奏馬もなぜか上をキョロキョロと見渡している。   「待って待って、全然話が見えてこない」  完全に置いてけぼりになっている俺に見向きもせず、二人は一本の大樹を見つけると一直線に向かって行った。   「ちょ、ちょっと待ってくれって」  二人は俺の動揺を気にも留めない。  奏馬が華奢な体に似合わず危なげない身のこなしで木によじ登って、ある太い枝に向かって片手を伸ばした。その手の先にあるものを、俺もようやく認識する。   「鳥の巣箱……か?」 「そう、奏馬と俺で設置したんだよ」  いつの間にか、猛が俺のすぐ隣に並んで木を見上げていた。   「お前が東京に出て何年かした頃だよ。大学の卒業論文のために野鳥の観察がしたいって連絡があってな。ちょうどここが俺の爺さんの土地だったのもあって、良さそうな木に鳥の巣箱をいくつか設置したって訳だ。」猛が奏馬を見る目は、とても優しかった。 「その夏に、台風がここに直撃したの覚えてるか? 巣箱を見に行った奏馬から、俺たちのタイムカプセルが雨に流されかけてるって連絡があった」 「奏馬が……」 「それで、流されないトコに場所を変えるって言うから俺も合流して――」 「ああ、つまりあれが……」  俺たちは、頭上を見上げた。  その時、高い枝に設置された巣箱のひとつを覗き込んだ奏馬の、嬉しそうな声が空から降ってきた。 「あったよ!」    奏馬が器用に抱えて持って降りてきたそれは、確かに見覚えのあるものだった。  最近見かけなくなった缶のお菓子の空き箱。たしか、煎餅かなにかが入っていた気がする。その上面に、お世辞にも綺麗とは言い難い俺の大雑把な字で『タイムカプセル!』と書いてあるのが見えた。   「……あーあ、結局見つけちゃった」  奏馬がぽつりと呟いたが、それは決して後悔の響きではなかった。    蓋に手をかけた猛が緊張したようにふう、と息を漏らす。 「開けるぞ」  猛が指先に力を入れると、蓋は案外簡単に開いた。一番上に何枚かの写真が入っている。   「おお、そうだ。これ俺が入れたやつじゃねえか」  猛が嬉しそうな声をあげた。見てみると、シャッターの直前に何を見たのか大口を開けて笑った俺たちが写っている。 「みんな若いね」  奏馬がくすぐったそうに笑った。当時あんなに必死に雑誌と睨めっこして研究したファッションや髪型も、記憶の中ではこの間の出来事なのに、写真の中ではなんだかずいぶん古臭く野暮ったく見えた。  十数年という時間は、俺たちの見た目も、環境も、本当に色々なものを変えている。 「お、涼介、あったぞ」  猛がそう言うと同時に卒業証書の入った黒い筒が俺の胸にトスされた。 「そうそうそう! これだよこれ。良かったあ、見つかって。サンキュ」 「卒業証書タイムカプセルに入れた人なんて、日本中探しても涼介くらいじゃない?」 「おお、我ながらなんか良い響きじゃん。オンリーワンって感じで」 「オンリーワンの馬鹿野郎だろうよ」    最後に出てきたのは、手のひらに収まるくらいの縦長の色画用紙だった。端に穴が開けてあって、細い紐が通してある。大人になった今でも一年に一度はどこかで見かける。 「短冊・・・・・・だよな? 七夕で笹につけるやつ」 「商店街で毎年配ってるやつだろ? 今でもやってるぞ」 「そう。僕が高校生の時に書いて、それで飾れなかったやつ。叶うわけないと思ってたから」    奏馬がそれをさっと手に取り、ひっくり返した。奏馬らしい整った字が書いてある。屋外の悪環境で長年保管されていた割には、文字はクリアに読み取れた。   『猛や、涼介みたいな人間になれたらいいのに』    俺と猛は顔を見合わせた。こんな言葉は当時の奏馬からは想像できない。   「僕はさ、ずっと二人に憧れてたんだ」  色のくすんだ短冊を空にかざして、奏馬は歌うように言った。   「涼介は言わずもがな、誰もが認める僕たち世代の星だった。自分の考えを臆せず発言できて、悪事にはちゃんと立ち向かう主人公みたいな人。眩しかった」奏馬は俺を見て、微笑んだ。俺は曖昧に頷いた。 「猛もお家のカウンターに立ってたから、十代の頃にはもう考え方がすごく大人っぽくて、頼り甲斐があって。……それに比べて僕はなんて卑屈で空っぽなんだろう、って思ってた」 「奏馬は俺たちの中で抜群に勉強出来たじゃねえかよ」 「自分にできそうな事が勉強しかなかったんだ。だけど、こんなのが何になるんだろうって思いながら毎日過ごしてた。そんな時にこれを書いたんだ」    奏馬は暗い雰囲気を振り払うように、ぱん、と手をひとつ叩いた。枝に止まっていた小さな鳥が数羽、音に驚いて飛び立つ。   「だけど、もう大丈夫。大人の今になってやっと、自分のままで出来る事が分かってきたから」 「出来る事? なになに教えてよ」 「カッコ悪いよ」 「夢ってのはみんなカッコ悪いんモンなんだよ」  俺を見てみろよ、と肩をすくめて見せたが、奏馬は「涼介は昔からカッコ良いよ」と笑った。   「将来、いつかの僕みたいに、人生に目標も張り合いもなくて『この人生のマラソンレースから降りたいな』ってぼんやり考えるような高校生がこの田舎町に現れたとしてさ」    奏馬は辺りの木々に据え付けられた巣箱を順に見渡し、微笑んだ。その眼差しが巣箱の中の命ひとつひとつを慈しむ父親のようで、俺は彼が語る重い心情と、目に映る慈愛に満ちた表情のコントラストになんだか圧倒される。   「そんな少年がさ、ある日もう何もかも嫌になって当てもなくフラフラしてる時に、初めて見るような綺麗な鳥がたくさん飛んでいるのを見るんだ。近くに住んでる鳥だから本当はいつも見てたはずなのに、僕は自分の事ばっかりに必死になって全然そんな綺麗な鳥が居るなんてそれまで気づかなかった。鳥って本当に綺麗で多様なんだ。人間なんかには到底太刀打ちできないくらい。その時、うわあ生きてて良かった、って思ったんだ。……そんな未来を、僕も残していけたらいいなって」 「……俺も、見てえな。その景色」  時折十代の頃の奏馬が交わりながら語られるその景色が、奏馬には見えているようだった。  何も言えない俺と違って、猛の声色はいつも通り優しい。   「空を飛ぶ鳥は自由だ、とか、いや過酷な自然環境にさらされるから不自由だ、とか人間は勝手に色々言うけど、自然はその存在自体が命なんだって直感的に理解したんだよね、その時」 「俺がクラスでチヤホヤされて調子乗ってる時に、奏馬はそんなすげえ事考えてたんだ」 「凄くはないよ、結局この考えも人間のエゴだしね」 「すげえカッコいいじゃねえか、奏馬らしくて」  猛の言葉で奏馬が照れたように空を見上げた時、一羽の大きな鳥が彼に挨拶するように、きらりと黒い翼を翻して旋回し、遠ざかっていった。    俺たちはみんな大人になった。だけど今日が昨日の続きであるように、今の俺たちはあの頃の日々をずっとここまで歩いてきたのだ。  ぬるい風が木々を揺らし始めた。
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