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「え?」
僕の意識は一瞬にして彼女に引き戻される。
「ユウト……」
僕の目を大きく開いた目で見つめながら、彼女は何度も「ユウト」と僕に向かって繰り返す。ゆうと。なぜかしらないけれど耳慣れた名前。ユウト。しかしそれは僕の名前とは少し違う。僕の名前は『ユウ』。『ユウト』ではない。
「あの、僕の名前はユウと言います。あの……」
僕の言葉を聞いた彼女は僕がそう訂正したにもかかわらず、涙を流し続けたままうんうんと何度も何度も頷いた。
「いや。あの。僕は『ユウト』ではなく『ユウ』なんです。ユウトさんという方はそんなに僕に似てらっしゃるんですか?」
そう言いながら彼女と対峙しているうちに、僕は彼女がサクとそっくりなことに気がついた。変な事をいうようだけど、彼女はサク以上にサクのように感じた。
ただ違うのは左目と両足。彼女の左目は義眼がはめ込んであり、両足は足の根元からすっかりと姿を消していて、あるべき場所に存在していなかった。
「あの。失礼ですけど、お名前聞いてもいいですか?」
僕は思わず彼女に問いかけた。彼女は相変わらず涙を流したままだったけれど、さっきよりは大きな声でこう教えてくれた。
「私の名前は『サクハ』です」と。
サクハ
その言葉の響きに僕は懐かしさを感じた。『さくは』と声に出して言ってみる。すると今まで何百回、何千回と口にしたことがあるような口馴染みの良さすら感じる。しかし、僕の知り合いにサクハという名前の人はいない。
「ユウト。最後にあなたに会えたなんて。本当に私は幸せだわ」
彼女は本当に幸せそうにそう呟いた。
「あの。僕はユウトではなく、ユウです」
そう言った僕を見て、彼女はゆっくりと首を横に振りながらこう続けた。
「いいえ。あなたはユウトです。あなたは全て忘れてしまっている、いいえ、忘れさせられているけれど。それでもいいの。生きているうちはもう会えないと思っていた、あなたに会えただけで私はもうそれでいい。神さまなんてこの世に存在していないと思っていたけれど、本当はいたのかもしれないわね。ありがとう。もう思い残すことはないわ」
両目から涙を溢れさせながら、彼女はにっこりと僕に笑いかけた。その笑顔は僕の奥底にある何かを震わせたような気がした。
なんだろう。大切なことを忘れているような気がする。
立ち尽くす僕をそのままに、彼女は車椅子の向きを替えて僕に背を向ける。ゆっくりと進みだす車椅子。僕は無意識に彼女の車椅子に手をかけていた。
「あの。まだ行かないで……」
喉から絞り出すようにして出てきた僕の言葉。彼女はそれを聞き入れ、車椅子を進ませるのを止めてくれた。
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