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連絡先。聞いたんだから、連絡してもいいんだろうか。
と、俺は既に30分はスマホを持ったまま悩んでいた。一人で二つケーキを食べて、それを夕食代わりにして、その後、風呂に入っている間も、ずっと、そればかり考えていた。
鈴君は何もなくても連絡していいって言ったから、連絡してもいいんだろうか。
それとも、ただの社交辞令なんだろうか。
炬燵から立ち上がって、台所にお茶を入れに行こうとして、立ち止まる。
仮に。仮に送るとしてだ。
立ち止まったまま、俺は、スマホの画面を凝視した。LINEは立ち上げたままだ。
なんて送ればいいんだよ。
くるり。と、元の座布団の上に戻って、そこに座る。それから、スマホの画面に向かって指を向けたまま固まる。
こんばんわ。とか?
いや。固すぎるだろ。おっさんか。
セルフツッコミを入れて、指を画面から離す。
でも、鈴は連絡してくれって言った。だから、LINE送ってもいいはずだ。
それから、また、指先を画面に近づける。
今ヒマ? とか。
いかん。だから何なんだ。
明らかに俺がヒマ人だと思われるのがオチだ。
そんなことを考えてまた、指を離す。
こんなことをずっとやっていた。数えてはいないけれど、10回くらいは同じことをしただろう。
ああ。も。やめやめ。
本当に必要になったときに連絡すればいいんだよ。
首を振って、携帯を放り投げようとして、また、思いとどまる。それから、じっとスマホを見つめる。
やっぱり、送ろうかな。
いや。その前に、ちょっとお茶でもいれて、一旦落ち着こう。
そして、炬燵から俺は立ちあがった。
きっと、ほかの人が数えていたのなら、10回ではなく30回は同じことしてたよ。と、言われたことだろう。
分かってはいるんだ。くだらないことしているって。でも、こういう時人間ってバカになるもんだと思う。
送ってみよう。
文面は…。
ぴんぽん。
軽快な音に、思わずスマホを落とすところだった。
わたわた。と、慌てながらスマホを操作すると、ラインの通知。開いてみると、鈴の名前。
月。綺麗ですよ。
と。
固まった。
それが、どういう意味か。俺も知っていた。
実話ではないらしいのだが、最早本当のことと認知されている夏目先生のアレだ。
って。え?
いやいやいやいや。そんなわけない。
ちら。と、窓から空を見上げると、綺麗な月が見えていた。三日月。いや、もう少し細い。とにかく、まるで触れたら切れてしまう刃物のような綺麗な月だった。
昏い暗い淑やかな夜の闇に銀の欠片のような月。眩しい太陽の光とは違う。
夜が暗いから、月が綺麗なんだ。
と、動かされた心が泣きたくなるような揺らぎを伝えてくる。
感傷的になっているのだと、わかってはいるけれど、今日は、今は切り替えることなんてできそうになかった。それは、俺の中に芽生えたばかりの新芽のような感情のせいなのだと思う。
意識して、それを言葉にするのを避けているけれど、もう、決壊寸前だった。
月が綺麗ですよ。
と、スマホの画面を撫でる。
きっと、鈴は夏目漱石の言葉のことなんて知らない。建築科だと言っていたから、理系だ。俺みたいな完全文系とは違って(この話に理系文系が関係しているのか謎だが)こんな話を知ってはいないだろう。だから、普通に見えた綺麗な月のことを教えてくれたんだ。
そんなふうに自分に言い聞かせる。
けれど、どんなに言い聞かせても、もう、嬉しいと思う気持ちは誤魔化せない。
しんでもいい。
そう、答えたい。
それが自分の本心なのだと、理解した。
ぴんぽん。
また、着信。
夜が暗いから。
その文字に気持ちが決壊した。
ああ。好きだ。
この人が好きだ。
ダメなことかもしれないし。叶わないことだと分かってはいる。
でも、そんなことで、何が変わるんだろう。
鈴が同性でも、随分と年下でも、俺なんかとは釣り合いが取れるはずもない出来過ぎた人でも。鈴が鈴だから、容姿も、仕草も、表情も。優しさや、自分と似た感性や、何気なく零れた言葉の一つさえも。
好きなんだ。
俺は思う。
きっと、この思いは自分にとって致命傷になってしまう。
鈴に知られたら、鈴自身を失ってしまうくらいに危ういのに、こんな短時間で抑えきれなくなるほど好きになっている。
願わくば。
どうか、この思いが、伝わりませんように。
誰に、願うのかもわからないまま、願う。
窓の外に、刃物のような月が見える夜の出来事だった。
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