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「…きょうは、なんのひ?」
いつからだっただろうか。その女性の声が聞こえるようになったのは。しかし周囲に、その声の主らしき人物はいないし、どうも俺だけにしか聞こえていないらしい。そう、あの紅い日記帳を拾ってからだ。声が聞こえるようになったのは…。
その日記帳を拾ったのは、昨日の夕暮れのことだった。紅い革装で、サイズはポケットにすっぽり入るくらいだ。各ページ上部に日付が印字されている。何が書かれているかをサラッと見たところ、四月一日のページには【嘘つけなかった記念日】、四月二日には【一日遅れで嘘ついてやった記念日】といった具合に、四月一日から、どの日付の下にもひとことだけ、女性のような筆跡で記されていた。ショッピングモール駐車場の区画線上に落ちていて、持ち主の名前は書かれていなかった。そのままにしておけば、もしかしたら持ち主が拾いに来るだろうと思いそのまま放置して去ったのだが、気が付くとそれは、俺が持っていた手提げカバンの中に何故か入っていた。確かに置いてきたはずだったのに…。その直後だ。「きょうは、なんのひ?」と、俺に問いかけてくる声が聞こえ始めたのは。
気味が悪くてその日記帳を今度は交番に届けた。しかし、なぜかまた気が付くと俺のカバンの中に入っている。今日は何の日だと?少なくとも今日は十一月二十九日だということは知っている。
その日の夜、自宅の固定電話が鳴りだした。番号は非通知で、俺が「もしもし」と言った直後にブツリと切れた。受話器を置くと、どこからかまた、「…きょうは、なんのひ?」と女性の声が聞こえた。
その次の日の夜も、また同じように電話が鳴り、俺が出るとすぐ切れた。タチの悪いイタズラ電話だ。ただそれだけで済めばいいのだが、どういう訳か、洗濯してベランダに干していたはずの俺のパンツがひとつ残らず無くなっていた。男性の下着など盗んでどうするのかと呆れたが、「きょうは、なんのひ?」とまた聞こえてくる女性の声が、なにやら意味深に聞こえた。
その次の日の夕方、例の日記帳を見つけたショッピングモールにパンツを買いにきた。そこで俺は、改めて日記帳の中身を確認した。よく見ると日記帳は十二年前の日付が印字されている。十二年前…?それは、俺が山道で車の転落事故に遭い、それ以前の記憶を失った年だ。そして、日記帳を拾った十一月二十九日以降の日記を読んでみた。
十一月二十九日 無言電話が鳴った記念日
十一月三十日 パンツが無くなった記念日
読んでいくうちに、失っていた記憶が少しずつ蘇ってくる。かつて俺は十二年前、ある若い女性の家に無言電話をかけたり、外に干してあったパンツを盗んだりした。そして…そして十二年前の今日、思い出した。今日…十二月一日は…俺が、俺がこのショッピングモールの駐車場でその若い女性を車のトランクにのせて連れ去り、その後、山中で首を絞めて………。
「…きょうは、なんのひ?」
十二年前の記憶が鮮明に蘇った直後、その声が聞こえた。俺が運転してきた車のトランク。その中から……。
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