ぼくの知らない話

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ぼくの知らない話

 おれは高い白壁の続く道沿いを一人歩いていた。白壁は刑務所と娑婆(そと)を隔てるものである。おれ、山石井洋平は傷害致死罪による三年の刑期を終えて刑務所から出所してきたばかりだ。  おれはテレビ番組制作会社のディレクターの任に就いていたのだが、酒の席で名前すらも思い出せないADを殴ったところ、吹っ飛ばされた先が窓縁の角で、当たりどころが悪かったのか、そのままおっ死んじまった。全く、最近の若いやつは貧弱なものだ、ちょっと思いっきり右ストレートを食らわせただけで死にやがって…… おれがADだった時はあれぐらいのストレートは毎日食らっていたんだ。耐えられない方が悪いんだ、おれは悪くない。  この三年間、毎日の就寝前に「被害者に対する黙祷」の時間があったのだが、風俗に行った時の妄想で時間を潰していた。刑務官に勃起がバレないように座ることの方が大変だったことしか覚えていない。反省の作文に関しては、(くだん)のADが天涯孤独の人間だったようで、作文を読ませる遺族がいないと言うことで免除となった。おれはそのADの名前すら思い出せないんだ、作文に名前を書くことが出来る筈がない。この点は助かったと思っている。だってそうだろう? 殺した相手の名前を思い出せないなんて刑務官に言おうものなら反省の色無しと見られて大目玉だ。 そのせいでおれは臭い飯(実際には季節に合わせたものが出てきて美味しかった)を三年も食う羽目になっちまった。  本来、おれは殺人罪になる筈だったのだが…… おれは所属する制作会社であるダイダロス映像に多大な貢献をしている名ディレクターだ。視聴率こそが絶対正義の世界で数字を出してきたおれは自分のやることなすこと全てが正しいと信じていた。人を笑い者にしようと、人を傷つけようと、どれだけ嘘(捏造)を()こうと、数字さえ取れば許されてきたんだ。そして、それが出来るおれは「凄い人間」だと思いこんでいた。自惚れているなんて気持ちは微塵もない。数字を出せるおれは何をやっても許されるとさえ考えていたのだ。このような功績があるおかげか、テレビ局のディレクターやプロデューサーからも信頼は厚い。殺人罪で長期投獄をされないように、弁護士と組んで傷害致死に罪状をすり替えて短期投獄にしてくれたのは本当に感謝である。 おれはそれが当然であると考えていた。
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