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この屋敷の廊下を歩いて気が付いたのだが、かなり広い。ドラマや再現VTRの撮影で使う豪邸と同等の広さなのである。広いのは勿論なのだが、もう一つ気になることがあった。妙に剥製が多く置かれているのだ。玄関に置かれていた羚羊の剥製に始まり、狐、狸、兎、鶏、雉、鹿、猪などと言った具合である。カビ臭さと生臭さの混じった剥製独特の匂いがぼくの鼻を突きにくる。
ぼくはそれとなく尋ねてみることにした。
「剥製、多いですね。親御さんの趣味か何かで?」
「ええ…… 趣味と言えば趣味なんですけどね」
芯弥はいつの間にか辿り着いていた突き当りの扉の鍵を解錠していた。部屋に照明は点いておらず、一寸先も見えなかった。
「すいません。日に焼けると『保存』になりませんので」
「え?」
芯弥は手探りで照明のスイッチを押した。闇に光が照らされ、部屋の全景が明らかになった。置かれていたのは多くの剥製だった。羆、月輪熊、白熊、蝦夷鹿、大鷲、豹、狼、チーター、トラ、ライオン…… 先程までの居住スペースに置かれていた剥製であればスターの豪邸訪問の番組で見たことがある。
しかし、ここに飾られているものは「博物館」や「動物園の展示スペース」に置かれているようなものであって、こんな田舎の金持ちが持っていることは明らかに不自然だ。剥製の蒐集者同士のコミュニティを使って集めているのだろうか? 普通に剥製を売ります買いますの取引で手に入るようなものではない。ぼくがこのようなことを考えていると、芯弥はボソリと呟いた。
「これ、ちゃんと自分の家のものですよ?」
「え?」
「金に飽かせて違法な取引をしたとでも疑いました?」
ぼくが思ったのはそれだ。否定してもしょうがない故に、それを肯定しておいた。
「まぁね」
「自分の家系は代々『剥製師』なんですよ。江戸時代の頃から続いていて、各国の殿様が獣を狩らせては、この村に運び剥製作りを依頼していたそうです」
日本に剥製技術が伝わったのは明治時代以降と聞いている。それ以前にも剥製技術はあるにはあったのだが、鞣し革の中に適当に木や藁や粘土などを詰めて形を整えたもので粗雑なものしかなかったとされており、保存も上手く行かず、現物はないとされている。
ぼくも博物館の番組を担当する時に学芸員から昔の剥製の話を聞いていたのだが、知らない所ではこのような「剥製の歴史」があったのかと感心してしまった。
「それを今まで続けてるって訳かな? ライオンとかトラとかあるってことは動物園とかに依頼されるぐらいに信頼あるところなんだね」
「そう…… なりますね」
「君が?」
「いえいえ、これらは父や祖父の作品です」
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