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ぼくは部屋に並ぶ剥製を眺めて回った。ライオンの剥製を前にして、思わずにポケットの中のスマートフォンを出して写真に収めそうになるが、芯弥との約束を反故にしては駄目だと考え、思いとどまった。
「えっと、剥製師の家系なのは分かりました。君は家業を継がなかったの? 東京に出て映像の専門学校通ったってことはそういうことだよね?」
「子供の頃から、ありとあらゆることは教えられましたよ。虫を標本にすることから始まり、仕事を覚えてきたら川魚を剥製にするようになり、更に仕事を覚えてきたら庭で力尽きた雀や鼠やリスを剥製にするようになり…… まぁ、小動物全般ですね」
「……その先は?」と、言いながらぼくは辺りを見回した。ガラス球と思しき剥製の眼球と目が合い、身体が震え上がる。この部屋は剥製の保存のためか室温が低く設定されており肌寒いのだが、それとは違った肌寒さを感じるのであった。
「車に轢かれて死んだ野良猫や野良犬も修繕・修復しながら剥製にしましたよ。不思議なものですよね。小動物や魚などは料理で包丁を入れる延長線上にあるのか、何も思わなかったのに…… 猫や犬になった途端に倫理の壁が出来るのか、物凄く酷いことをしてるのではないかって罪悪感に襲われたんですよ」
「何歳の時の話かな?」
「十歳は回ってなかったと思います。祖父も父も同じ道を通ってきて、同じ気持ちになったって言われました。剥製を完成させる度に、村の外に車走らせて遊園地とかに遊びに連れて行ってくれましたし、好きな玩具も買ってくれましたし…… 美味しいものも食べさせてくれました。ま、始めの方はステーキとか出されても食べる気になれなかったんですけど、やがて…… 慣れちゃいました」
「そうかぁ……」
「中学校を卒業する頃には、猪や羚羊などの剥製を任されるようになりました。動物園からの仕事を任されるようになったのもこの頃です。剥製師に学歴は必要ないので、そのまま家業を続ける予定でした」
ぼくは芯弥の履歴書に「高校卒業」と書かれていたことを思い出した。思わずにそれを口に出してしまう。
「でも、高校行ってるよね? どういうこと?」
芯弥は居並ぶ剥製を眺めた。そして、トラの剥製の頭を軽く撫でる。
「急に気がついたんですよ。こいつらも『かつては生きていた』って…… ま、当たり前なんですけどね。そうしたら急に嫌気が差しまして…… 別の道を生きたいって考えるようになったんです。しかし、この家は自分の一粒種…… 祖父や父がそれを許すはずがありません。家出同然に村を出て、遠くの親戚を頼って高校に通ったんです」
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