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生への本能が、ぼくの目を見開き前を見つめて追跡者を見据え、耳も研ぎ澄まされて追跡者が放つ足音や声を捉えんとする。虫の声や、蛙の嘶き、川の流れる音に「異物」が紛れた時は即座に脱兎だ。すると、雲に隠れていた月が風に流されて辺りを照らした。
この休憩所の中も頼りない月明かりに照らされる、すると、奥も照らされた。奥にあったのは、ピンクのダイヤル式の公衆電話だった。命を狙われていると、ほんの一寸先も見えなくなるのか…… 冷静さを欠くのは本当に怖いものである。
ぼくは救助を求めることにした。真っ先に考えたのは警察への連絡だ。赤い緊急通話ボタンに指が伸びかけたが、その手を止めてしまった。繋がる先の警察にこの村の息がかかっていた時のことが頭に過ったのである。もし、村の駐在所に繋がったとするなら、助けに来るのはこの村の警察官だ。グルである可能性は捨てきれない、警察官に保護されようと駆け寄った瞬間にニューナンブM60で心臓を撃ち抜かれても不思議じゃない。
ならば、他県の警察だ。以前に隣の県でロケを行った時に、道路使用許可申請の件で警察に電話をした覚えがある。その時の電話番号を頼りにしよう。ぼくはスマートフォンの電話帳から隣県の警察署の電話番号を引き出した。このままワンタッチで電話が出来ないのが歯がゆい。ぼくは10円玉を入れ、公衆電話のダイヤルを回し、警察署に電話が繋がることを心から祈るのであった。
〈はい、こちら警察です〉
繋がった。久々の外部との接触を前にぼくは安堵した。その瞬間、電話はブツンと切れてしまった。ぼくの目の前には月明かりに照らされた洋裁用の鋏の刃が不気味に輝いていた。
ぼくの目の前にはアパレル店の女性店員が立っていた。鋏で受話器のコードを切断し、シャキンシャキンと鋏を閉じたり開いたりしながら、狂気の笑顔を浮かべていたのである。
「逃さないよ?」
そんな!? どうしてだ!? 電話をしている間は休憩所の入口からは目を離していないぞ!? 休憩所の入口から目を離したのは公衆電話のダイヤルを回すだけの僅かの間だけだぞ? その僅かの間に接近を許したと言うのか!
ぼくがそう考えている間に女性店員は鋏を逆手に持ち、ぼくに向かってその先端を振り下ろしてきた。
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