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「ここの裏か、地図で見ると遠そうだな」
「じゃ、達者でな」
「あの、女将さんは行かないんですか? 一緒に出ましょうよ」
「私は『ここ』のもんだでな、動けへん」
ぼくは何となくではあるが絹枝の言う『ここ』が民宿ふるさとや涼風村と言う意味ではなく、この迷い込んでしまった場所と言う意味に感じられてならなかった。
その意味を聞かずにはいられない。
「あの、それは……」
その瞬間、銃声が聞こえてきた。民宿ふるさとと書かれたカッティングシールが貼られた玄関のガラスが粉々に崩れていく。ガラスを砕いた銃弾はそのまま威力を落とすことなく飛んで行き、絹枝の頭を貫いた。彼女は悲鳴も上げずに天を仰ぐように倒れてしまった。
「女将さん!」
ぼくは絹枝の元に駆けより、抱き上げた。優しかった老婆の顔は右側頭部が吹き飛び見る影もない。吹き飛んだ側頭部であるが、皺の浮かんだ皮膚が一枚剥がれ、砕けたマネキンの頭がそこにあるのだった。
絹枝は虫の息になりながらぼくに語りかけた。
「逃げるんや…… これ以上、関係ない人ぉ…… 巻き込みとうない……」
「女将さん!」
「う…… ら…… うら…… い…… け……」
絹枝は震える右手でリビングを指差した。その刹那、もう一発の銃声が聞こえてきた。飛んできた銃弾はリビングを指差す絹枝の手を弾き飛ばした。マネキンの手が宙に舞い、ロビーの床を転げ落ちる。
すると、割れた玄関のガラス戸を蹴り開けて来る者が現れた。猟銃を構えた秋元村長である。
その後ろには村の若い衆を引き連れており、玄関の道を完全に塞いでいた。
「ダメだよ~ 田中さぁん? この村の『きまり』は守らないと? 役所方面にいないから、もしかしてと思ったら…… やっぱり裏切ってたよ。女将さんとしてお客さんを守るのは100点だけど、村人としては0点だよ?」
それに続けて一人の男が前に出た、小鳩愛育園の高屋敷秀人である。その手にはまだ煙立ち上る猟銃が携えられていた。
「そうだよ? 田中さん? この村は人間剥製の秘密を隠しているからこそ成り立っているんだぞ? それを知られちゃいかんのはアンタもよく知ってるだろ?」
ぼくは事切れた絹枝を床に優しく置いた。事切れたとは言ったが…… この状態は一体なんなのだろうか。アパレル店の女性店員、肉屋、そして絹枝さん…… この三人は明らかに人間ではない。動くマネキン…… いや、動く人間剥製だ。ぼくはその事実を受け止めきれない、どう考えてもありえない話だ。だが、動いている以上は受け止めるしかない。
そして、今ぼくを殺さんとする村人達も恐らくは…… ぼくも殺されようものなら……
ぼくに出来るのは絹枝が最後に残した言葉に従うことだけだ。ぼくはスッと立ち上がり、奥のリビングに向かって走った。
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