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第一話 君といつまでも
出会いは齢7才の春。場所は教室。同じ巣箱に収まった30余人の顔の中から、互いを引き寄せたのはある場所に辿り着くための、始まりのひとつだった。
まだ小さな世界の中でそれぞれの出会いを育ませ、皆で一緒に季節を駆け抜け羽ばたきの練習をし、やがて巣立って行く。出会った縁が途切れてしまうかそれとも繋がり続けるかは、本人たちにもまだ分からないこと。幼い彼らがそこで無二の約束を交わしたとしても、大空を飛ぶ頃には思い出になっていることもあるだろう。幼さが理由で内容が拙くとも、その時の当人らにとっては大切な約束。
ふたりの場合、そのキッカケになったのは子育て期のカラスだった。
それまでは生活風景の一部だった。けれどそのただの一部が恐怖を伴って急に自分の身近になり、思わぬ試練となった。カラスに怯え、悩まされようとは思いもしなかった、男子児童藤井瑞月。彼らの生態や特徴を知り、早急に対応しなければならない。瑞月少年は以前のような平穏な日々を何とか取り戻せはしないかと、解決策を探った。
本棚から”不思議コレクション”を引き出し鳥のページを開き、オノレの行動を噛み合わせまだシワの寄らない眉間を寄せ考える。他の道は通ってはいけない約束を課せられている、小学校低学年の彼は苦悩した。
怖い何かと自分が遭遇しないための約束事。なのに既にその怖いものと遭遇してしまっている。それをどうすれば良いものか……。
カラスは子育てに一生懸命。邪魔してはいけない。生まれたばかりの小さな生命の育みを、応援しなければ。けれどこの時期の彼らは神経質になっているらしく、こちらに害を加える意思はなくとも過敏に反応する。
現実と重ね合わせることで、理解が早い。瑞月は理解した。
しかしどうしても理解出来ないことがひとつ。
”なぜ自分ばかり”と。
いつかの夜、お父さんとお母さんが少々興奮気味で話していた、時折聞こえて来る「キャスバル」が、何となく耳に残っていたというだけで、それに名付けた。こどもは意味を知らぬまま、大人の風味を取り入れたい時がある。
キャスバルは実際何羽いるのかは問題ではなく、あることをしてきたカラスが「キャスバル」なのだ。キャスバルは瑞月に気がつくと、空を切り黒く鋭いくちばしを向けてやって来る。そして頭上で羽をバサバサとさせ瑞月の頭を足で引っ掻き、くちばしでつつく。恐らく「カーカー(ワレワレニチカヅクナ)」と警告しているらしい。瑞月がいくらやめろと言っても、かなたとこなたの世界は通じ合えない。
カラスに頭をつつかれ「怖かったよ~」とグスグス泣いてる瑞月のそばで、瑞月のフワフワ髪の頭を見て「ブフッ」と思わず笑う少年は鳥海結日。
クセ毛でやわらかくウエーブしている瑞月の髪は、さぞ寝心地良さそうな巣を思わせる。笑った友だちを見て「ヒドイよ~」と、瑞月はまた涙が止まらない。
カラスの鳴き声が聴こえただけで、ビクリとカラダを震わせ不安で表情を曇らせる。まるで世のカラス全てが「キャスバル」と化した恐怖を抱くまでになってしまった友に、結日自身にもまだボンヤリとした不安が過ったのだった。
そこを通らなければ友の家にはたどり着けないし、遊べない。そんな場所にある公園の木を、キャスバル一家はねぐらにしてしまったのだ。
この春からそこをよく通るようになった。理由は結日と遊ぶため。お父さんとお母さんがおうちで仕事をしているため、友だちと遊ぶ時は可能な限り外へ出る。友だちとこんなに遊べるようになったのは、結日が初めて。子どもは遊ばないと大人になれない。
昨年クリスマスプレゼントでもらった、小さなゲーム機とお母さんが用意したお菓子を持ち込んで一緒に遊ぶ。下校中に交わされる遊びの約束は、いつも嬉しくてこそばゆい。ゲーム好きの彼らはたいそう気があった。
カラスに心が負けた瑞月は、とうとう友の家に行くことが出来なくなってしまった。遊びたいのに遊べない。怖くて仕方ない気持ちに、どうしても打ち勝てない。
同じ頃、自宅で時計と睨み合っていた結日は、意を決して家を飛び出す。ゲームはお預けだ。ゲーム遊びの時間延長は母さんは許さない。けれど代え難い大切なことがあると、結日もまた気付いたことであった。
途中、見つけた一本の長い棒を、ねぐらに向かい振り上げ叫んだ。
「カーカー」
「お前か!俺の友だちをいじめるヤツは!くそぅお前のせいで瑞月は泣いてるんだぞ お前らの”鳴く”とはワケが違うんだ!俺たちのジャマすんな!!」
その模様を離れた所から見ていた瑞月。約束を果たすために家を出たはいいが、”キャスバルの木”を見ただけで足がすくんで、どうしても動けないでいた。
「結日…!」
「お前のアタマは俺が守る!!」
瑞月が結日に惚れた瞬間である。どこにでもいるカラスが縁結びになろうとは、カラスでさえも思いもしなかっただろう。
それからしばらく結日は瑞月を迎えに行くことが続き、キャスバルも瑞月の頭を忘れてしまったのかそばまで来なくなった。ふたりも日めくりとともに、キャスバルの存在は薄れていった。
そしてある日――
「ゎ…」
「恵風だ 妹 3組にいる 今日はコイツも混ざりたいって」
結日の部屋にいた同い年の女の子。毎日のように遊んでいたら、結日以外の家族の気配は感じ取れているもの。けれど、ちゃんと顔を会わせたのは初めて。
結日がもうひとりいる!そう瑞月が思ったほど、ソバカスまでお揃いの同じ顔。どこか違うとしたら、ニッコリ笑うと結日と違い、愛らしさが覗いた女の子。
瑞月がスキップしながら鳥海家に向かうようになった始まり。
🌱
瑞月、結日のふたりに与えられた試練を乗り越え、結束を強めたそれからは褒美の如くかけがえのない毎日となった。恵風がそこに加わり三人は常に一緒。女の子がひとりいるということも忘れてしまいそうに、お泊まり会もお誕生会も、本気のぶつかり合いもたたき合いも経験し、仲もより睦まじくいくつもの楽しいことを共有していった。
それが恵風と瑞月を置き去りに、結日は別の友だちと遊ぶようになってしまった、小学生も最後の年。
ひとり欠けた物足りなさを、寂しくないとふたりでする”宝探し”に、早く慣れてしまわなければ。それまでの三人の時間を取り戻そうとは、恵風も瑞月もしなかった。結日の名を呼ぶことをしなかったのだ。
そこには恵風と瑞月、それぞれに思うことがあってのこと。特に恵風と結日は双子の兄妹だ。瑞月はこの出来事にひたすらに受け身で、恵風の表情をそっと見ている様はどこか憂いたものがあった。
そんな三人の模様をこう捉えていた外野は、おそらく少なくなかっただろう。”恵風と瑞月は付き合っている 結日が離れたのはそのせいだ!”
それに対して反論していたのは、いつも恵風。瑞月はと言えば恵風の隣で、おっとりした反応を示すだけ。
この小さな世界に訪れた変化は、彼らの色々な始まりのほんのひとつに過ぎない。
その日の恵風は朝から落ち着きがなく、それは普段は穿かないスカートを穿いているせいだと瑞月にも見て取れた。なぜいつものパンツスタイルではなく、スカートを穿いたのだろう。そんな疑問を感じてはいたが、恵風は自分とは違う女の子だ。スカート姿の恵風に”おはよう”よりも一番に”かわいい!”と言ったくらいに、瑞月は恵風のスカート姿に満更ではなかった。
それが休み時間の窓際で、突然着火したロケット花火のようになって自分の元から走り出したものだから、瑞月はその後ろを慌てて追いかけた。一心不乱に走る様は、瑞月を余計に不安にさせる。瑞月は恵風を必死の顔で呼び、深刻な表情のふたりが廊下を駆け抜け巻き起こる風に、付近の者を振り返させた。
そして保健室に恵風が収まったところで、扉が瑞月の鼻先で乱暴に閉められたのだった。
「ついてこないで!ミズキ!」
ふたりは誤解をされるほどとても仲が良かったが、以前まではなかったお互いを突き放してしまう場面がこのところ多い不穏に戸惑っていた。
けれどもそんな時の修復方法は、これまでの期間で十分に培っているはずだ。
「さっきはごめんね」
「うん……もう大丈夫?」
ケンカになったわけじゃない。キライになったわけでもないし、他に遊びたい友だちができたわけでもない。ただ素直に言いにくいことが出来てしまっただけ。
培ってきた関係性は、これまでにはなかった妙なことで揺らぐ。そして今まで通りに行かない理由にうっすらと気付いている。
それは異性の相手に自分のことをどう伝えたら良いのか分からないのだ。
「結日と違う恰好がしたかったんだ」
確かに普段からふたりの服装は似通っている。下校の道を並んで歩き、隣でポソリと恵風が言ったさっきの理由を聞いても瑞月にはよく分からなかった。けれど自分を嫌いになり、一緒にいるのが嫌になって逃げたのではなさそうだ。そう思いたい。しっかり確かめたい気持ちを抑え、瑞月は黙って聞いているだけにした。
瑞月自身も隣にいる恵風との間に、目に見えない隙間を最近感じていた。それは結日が自分たちに残したものなのだろうか。少し前なら遊びに忙しく見る暇もなかった夕日が、瑞月の奥まで染みこんで行くようだった。
縫製が甘かったらしい今日の下着のゴムが、事もあろうにスカートの中で弾けてしまった不運。この不運が後の恵風の教訓になったのを瑞月は知らない。これから先、スカート着用の期間が増える都合上、”黒パン”はなくてはならないアイテムとなった。
時はちょうど第二次性徴期のただ中。このところふたりが薄ら感じている突っ掛かりの最大の要因とは、同じではないふたりの性。結日がひとり抜けただけで、ダイレクトに自分たちに飛び込んで来るとは思いもしないでいた。
🌱
学校では男女分け隔てなくその時間があったものだが、鳥海家では少々事情が変わる。昨年あたりから母親とふたりでいるちょっとした時間に、恵風がこれから迎える事柄に対しての心構えや知恵などを、そばに結日がいない時を狙い学校で教わるよりも細かい内容で母親から教授されていた。そしてついにその朝が、恵風の身にもやって来たのである。
天気のようにそれの予報など、ここの誰も出来るものではないのだ。
いつもの朝と全く違う。恵風の身に起きた一大事は、せっかく結日の目を盗みながらの”個人授業”の意味も吹っ飛ばす騒ぎぶり。そんな朝を結日は気配を立てず、そっと家を出て学校へ向かった。結日もまた、母と妹だけの騒がしさの中に入って行かない素振りは、いつもの彼と違った。性教育の授業の恩恵。真面目に臨んでいた賢い彼は、きちんと応用出来ていた。
登校の迎えの玄関先で元気一杯”おはようエッちゃん”と言った瑞月に対し、恵風はモジモジと恥じらう素振りで、瑞月に新たな疑問を湧かせた。その間もなくに恵風の様子がやっぱりおかしいと、瑞月が抱く不可解を色濃くさせる。共に過ごした時の長さのたまもの。善し悪し関係なく変化を察知出来る。
家に帰るにはまだ早い時間。お腹が痛いからと、恵風が抜けてしまったある日のこと、恵風と同じクラスの瑞月は気がかりを結日に話し始めた。
まだ三人で遊んでいた頃のこと。
「エッちゃんどうしたの?今日は珍しく昼休みも教室残ってずっと席に着いてたんだよ」
「アレだよ……瑞月知ってっか?いつだったか母さんと話してるの聞こえたんだけど、多分アレだ」
「アレって?」
「前に学校で習ったろ……道徳の時間……生……」
「……!!……」
「多分……ソレ」
「遊べないくらいお腹痛くなるんだ……かわいそうだね 今度からエッちゃんのお腹撫でてあげようかな……あ!今やった方がいいのかな」
「・・・お前、変わってんな そういう考えになるんだ」
「え!?だって友だちが痛がってたら、何とかしてあげたいって思わない?」
「コレについては別に……だってお前、アソコがムズムズするから何とかしてくれってヤローに言われたらどうする?そんなモン自分でどうにかスレ!って話だろ?ソレと同じだよ」
「・・・結日にもしも……どーしてもって言われたら俺……」
結日にはカラスから自分を守ってくれた恩がある。
「――!! バ カ ヤ ロ ウ ! お前なあ!例えばの話をしてるんだ!そんなコト真剣に考えるな!気持ちワリーぞ!!」
「だって好きなひとのことは、放っておけないよ!」
ある日の出来事。
瑞月にしてみたら、心のままを悪気なく結日に言ったつもりでいた。結日は自分の混じりけなしの大事なトモダチだ。のだが、話の内容が微妙だった。
瑞月には結日が自分たちの元から離れていった理由に、心当たりがあった。自分たちの転機であるとは思いもしないでいた。
彼、藤井瑞月は長い付き合いの恵風の目から見ても、周りにいる一般男子と比べて少し風変わりではあった。一番身近な男子である結日とはまるで違った。家庭内で見る彼のガサツな質はしばしば自分の不快にもなっていたし、何より自分と興味の対象が違った。それに引き換え瑞月は自分の持ち物に真っ先に反応し、一緒に”かわいい”と結日そっちのけで盛り上がることさえある。かわいいと好きばかりの会話の中にいても、全然平気でいられそうな男子、それが瑞月だった。
おとなしくしている時の彼は、木陰で僅かな日を浴びるだけで幸せそうな顔してる、そっと咲いてる花のような佇まいだ。
そんな瑞月に興味を示し遊びに誘ってくる男子はきっと希少で、結日こそが正にそれだった。とても大事な存在だったはずなのに。恵風はそう見ていたが、結日にその気持ちが続かなかったのが残念で仕方なかった。
と、言うのも、結日本人から恵風はこんな話を聞いていたのである。
「アイツ……俺のことが 巣……酢…… スきらしい……ザワッ」
自分が不在の時に起きた展開。それは友だちの好きとは、違う好きなのだろうか。結日から感じる不快の真相について、いつか瑞月に聞くことが出来るだろうか。
デリケートな出来事と判断した恵風は迷ったあげく、離れようとした結日を呼ぶことが出来なかった。
結日はもうすっかり新しい友だちと遊ぶことしか頭にないと、ふたりは諦めた。不意に訪れる間の抜けた空気を埋めるにはちょうど良かった、公園のジャングルジムのてっぺんがふたりの居場所となった。途切れた会話を凌ぐ手段が、そこにはいくらでもある。公園の様子を見ながらボンヤリとやり過ごしたり、なにかを見つけて笑い出しても許される。
少しの間、柱が一本抜けたようになっていたふたり。虚無感に飲まれないよう思考を巡らせていたのはふたりとも同じであったが、瑞月の場合それまでと少し色を変え恵風の隣に身を置くようになる。
小学生の結日と恵風の髪型や服装、そして学用品などの大体が、子ども用品店に勤める母親好みに委ねられていた。ふたりの見かけに双子要素を忘れず、それに加わる絶妙な男女差は、鳥海ママのセンスの素晴らしさも見せていた。
当人らは特に不服もなく一緒に”おかっぱヘアー”にもなっていたのだが、気がつくと結日は”普通の男子”になっていた。
初めて結日を見た者は大方女の子だと勘違いをする。出会いが低学年同士であった瑞月も例外ではなかった。背の順で並ぶ整列時などに男子の列にいつも結日の姿があることや、男子トイレに堂々入って行く様を見て、自分と同じ男子なのだとやっと識別。幸いなことに勘違いを本人に隠したまま、瑞月自身すっかり忘却の彼方へやっていた。
当の本人は時々起こる”勘違い”について特段動揺するわけでもなく、むしろしてやったりな顔で、恵風と間違われた時などは瑞月に止められるまで恵風に成りすます”遊び”さえしていた。
その髪型は目にすることができる、ふたりの特別濃い繋がりと見ていた瑞月には少し寂しく感じた。その繋がりの輪の中に、かつて自分はいたのだ。
それまで離れた所から見ることもなかった、運動場で砂埃上げ遊んでいる結日の姿をしばらく目で追いながら、先日の”恵風のスカート”をふと思い出していた。恵風の髪も肩をなでるように風に揺れ、お揃いを卒業しようとしている。いつまでも掴んでおけない時間の流れは儚く、瑞月は切なくなった。
ジャングルジムのてっぺんでは、恵風が両腕と上半身を一杯に伸ばしてよく伸びをする。クルクルと動く澄んだ瞳の先を追いかけ、辿り着いた視線の先にはオレンジに染まる景色。とりとめのない会話をポツポツと交わしながら、やがて景色と一緒になってる、枷を外すようにカラダをくねらす恵風の姿に瑞月は吸い込まれる。
言葉を紡ぐ間も与えない知らない心地よさが、フワフワと瑞月を揺らす。
呼吸も苦しくなって、それはまるで不思議なリボンに自分がグルグルに巻かれたようだ。
結日が自分たちのもとから離れ、お互いだけになって改めて知る自分たちのことは、知っていたはずなのに知らないことだらけ。
例えばソバカスを置いてけぼりにするくらい、表情豊かでよく笑うことは知ってる。けれど華奢な背中にいつの間にかある、うっすら見える線や、自分よりも白くて小さな手とたおやかな指に、瑞月はそれまでにはなかった感情を湧かせ気持ちを修正出来ないでいた。
そのフワフワする感情は、瑞月本人それが何なのであるか気づくのはもう少しあとのことだった。
「かわいい!かわいい!エッちゃん!かわいいね!」
瑞月は時折恵風の宝箱の中身を拝見せてもらい、かわいいの連発、絶賛をするという突発的動作があった。これを知るのは恵風と結日だけ。恵風はそこに、結日や他の男子との違いを見出していたわけだ。
オトコの自分に不似合いな恵風の小物を欲しがったわけでも、所持に憧れたわけでも、所持を許されている女の子の恵風にやきもちを焼くわけでもない。”恵風の持ち物”を絶賛していたのだ。
そんな瑞月がなぜ結日に愛の告白のようなことを行い、恵風には小物への熱烈な愛情を見せたのか。幼さと思春期の狭間から覗かせた、まだ安定しない恵風への淡い思いの感情表現だったのだろう。それが風邪を引き、恵風の隣で盛大にクシャミをした何の変哲もないある日のこと。
「大丈夫?熱あるんじゃない?保健室行けば?」
「いや……多分熱はないよ……エッちゃんティッシュ持ってない?」
「あるよ ハイ」
確かめもせずに瑞月の手に渡した時には遅かった。それは恵風のポケットの中で暖まっていた生理用ナプキンだった。気まずい空気がふたりの間を流れたが、瑞月はとりわけ顔にも出さず、その後に貰ったティッシュを受け取り平静を貫いた。テレビCMでしか観たことのない生理用品を生で見、触れた初めてのことだった。瑞月は恵風のそばに居続けるためには、自分は紳士でいなければならないと自然に学んでいった。
そんな彼らも学ランとセーラー服に身を包む中学生になり、見かけもくっきり分かれる現実感を伴う年頃になった。それでも変わらず恵風のそばには瑞月の姿があり、周りからの誤解は時間を変え場所を変え、そして人を変えて受けていた。それに対して反論していたのは変わらず恵風の方で、瑞月の方は恵風と相手のやりとりをボンヤリ見ている様も変わらずだった。
事実と違うことをこうも頻繁に言われるのは、恵風にとっては冷やかしにしか感じない。恵風が不愉快に思うのと同じくらいに、周りはふたりが付き合ってないということの方が不思議しかなかったようだ。
それはなぜかと言うと、いつも一緒であることは言うまでもないことで、”美少女と美男子のカップル”といういかにも型通りという中身のない付属理由が、外野には響く部分でもあったからだ。簡単に言うと、[[rb:瑞月 > オトコ]]と[[rb:恵風 > オンナ]]だったからである。
校舎の床を一蹴りして怒る恵風を宥める瑞月の態度も中途半端で、それも恵風にはおもしろくなかった。と言うのも、先日の出来事が影響していた。
恵風に気があったらしい男子がいたのだが、その男子は別の女子と付き合うことを最近決めたと、クラスメイトの女子から聞いてしまったのだ。
「いつもアンタといるせいでわたしに彼氏が出来ない!」
恵風は彼氏所かその年齢に見合う情報さえ疎く、せいぜい男の子のパンツにある隙間の意味程度の知識だ。この類いについてしばしば焦りを感じていることは、瑞月には知られたくないことのひとつで、それもこれもの障壁は友だちが異性であったがためと、当て推量をしている恵風だった。
同性のとは違いいくら気心知れた仲でも、思春期のただ中にいるふたりの間でされる話題に制限がつきまとう。思わず呻き声を上げてしまう辛い生理痛の時でも、瑞月には”なんでもない”と誤魔化していたくらいだ。
恵風が言ったことは思い込みも含まれるのだろうが、一概にそうとも言い切れないと、瑞月は瑞月で密かに目論むことに冷や汗を感じていた。
馴れ親しんだ関係が災いし、八つ当たりも混ざって話が少々誇張気味ではある。瑞月にしたら恵風にケンカを吹っ掛けられたようなものだ。
けれど瑞月の反応は
「ヤダ!ヤだよ!エッちゃんがいなくなったら、ミズキはどおすりゃいいのさ!俺、エッちゃんのこと好きだよ ホラ、俺、オトコだし彼氏になれる!俺たちこのまま付き合っちゃおうよ!!」
周回遅れの自覚がある自分より、もっと危ないヤツがいた。それはこんな自分とずっと一緒にいた男の友だち……妙な納得感。と一瞬恵風は言葉を失う。瑞月が突拍子もないことを言い出すのは今に始まったことではないが、恵風の中に浮上するひとりがいた。結日だ。
恵風は未だに瑞月と結日のことが引っかかっていた。
「わたしは恋愛がしたいの!ミズキとは恋愛出来ないじゃない それにオトコだから彼氏になれるって、都合良すぎ!」
ふたりはとても仲が良かったが、わきまえのある堅い友人関係。すなわち手を繋いだこともない。誤解の種を自ら作る真似は、特に恵風が避けていたことは言わずもがな。
「レンアイ出来る彼氏?……エッちゃん……好きなオトコいるの?」
色恋話は無縁だった関係なはずが、自分の発言で面倒なことになってしまった。言葉に詰まる恵風。その理由も言わずもがな。
「俺……エッちゃんのこと…… 好きだよ エッちゃんは?……ミズキのこと……」
「酢…… 好きだけど……」
「俺 ね…… エッちゃんのこと ずっと―― 」
受験の年に思わぬ道を作ってしまった瑞月と恵風。待っていたのは瑞月だろう。そんな瑞月の真向かいには神妙な面持ちの恵風。
恵風はここで長らくの懸念であった結日の名前を出してもいいものかとおもんばかるが、志望校への光りを目指す道の半ばゆえに、又も素通りすることにした。
胸の中には”いつか素敵な恋愛をカラダごとでする”がある。瑞月にも誰にも言わずに温めている恵風の想いだ。その想いを知らずとも真剣に狙っている者がすぐそばにいることに、恵風はまだ気付いていない。
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もう自分を助けてくれる、鼻にソバカスを乗せた棒を握った少年はそばにはいない。
だから余計に眩しく映った お日さまマーク
「ミズキ!お天気だから外に行こうよ!今日はふたりだよ なにして遊ぶ?」
俺でいいの?一緒にいてくれる?ひとりはやっぱり寂しいから
ありがとう 良かった 嬉しいな ありがとう
大好きだよ ずっと大好き
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