第二話 ”トモダチ”を超えようか

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第二話 ”トモダチ”を超えようか

「藤井瑞月、月琴中出身です 趣味は忙しくて少し遠のいてましたがゲームと読書です お薦めがありましたらぜひ教えて下さい 好きな食べ物はたくさんありますが、好きな人と一緒だと何でも美味しく感じます」  新学期での自己紹介は無難に済ませ、速やかに次に順番を回したいと大概の者は思っているのではないだろうか。ここにいる者は在り来りな内容が人を変え口調を変えて聞こえている声を上の空でただ耳に入れながら、同年にはちょっと珍しい話しぶりをするこの藤井瑞月は、ここで席に着き次の者に入れ替わるだろうと大方思っていた。のだが、まだ席に着こうとしない藤井瑞月に、凡常であった空気の変調を感じ始めた。 「……僕には小学生の頃からの友だちがいます……クラスは離れてしまいましたが、同じ高校に入学できた喜びにまだ胸が一杯です ”エッちゃん”という愛称は僕が一日に何度も口にする”幸せ”です 好きな食べ物、好きな本、音楽、タレント、その他世界に溢れる色々な素敵 そんなものは二の次なのです 僕が夢中になってるのはただひとつ 僕の幸せはただひとつ ずっと守って行きたい僕の”世界一の好き”は、エッちゃんだけ! ……以上です」     ゆったりとした口調の始まりから、やや興奮気味の早口で連ねられた、皆が思いもしなかった内容に、一同反応が鈍る妙な空気感が漂う教室となった。それを救ったのは担任教師の「勉強を忘れてはダメだぞ」が咳払い共に締めくくりの役を果たし、無事に次の者に順番が渡ったのだった。 大勢の中では内向的で、いつも恵風のそばを離れない、まるで恵風の影のような概念的存在の瑞月がひとりになった時、新しい自分が顔を出した。 恵風がそばにいないのは寂しいことだが、そばにいないからこそできることがあると、瑞月は大発見。自身を解放した記念すべき始まりの日である。  めでたく志望校に合格した瑞月、恵風、結日の三人は、新しい春を踏み出していた。結日は別の学校へ進学しふたりと離れたが、瑞月と恵風は再び学び舎と青春を共に過ごすのだ。安堵と喜び、そして期待に大きく胸膨らませる高校生活の始まりである。 瑞月のピカピカの高のマークが刻まれた金のボタンを見て、恵風は思わず感慨深くなったが、ふと気付くと自分を見ている暑苦しい瑞月の眼差しに、スンと正気に戻ったのは登校初日のことだった。 ついこの前まで着ていた型と変わり映えのない制服ではあるが、ひとつの区切りと門出を迎えた喜びに嘘はなかった。  そんな喜びの裏で恵風は安定の友、瑞月のことで少々気がかりがあった。クラスが離れてしまったため、以前のような疎通は困難なのだ。愚兄結日が瑞月にもたらしたトラウマを、また蒸し返すようなことが起きないだろうか。学校での自分を後追いするほどの密着振りは、恐らくそれが影響している。友だちがうまく出来るだろうかと、まるで母のように瑞月のことを考えていた。 けれどそんな心配は無用な表情をした瑞月が、昼休みのチャイムを冠にニコニコ顔で弁当持って恵風の元に当たり前のようにやって来た。 「さあエッちゃん、ウキウキランチの時間だよ」 「ねえさっき、アンタのクラスの人がわたしを見に来たんだけど、なんかあった?」 「ん?え!アッハ……なんだろうね あれ、エッちゃんなんかソバカスがあるよ」 「ホットイテ!」  強い光線もはね返す色素が薄い鳥海カラーに浮かぶソバカスは、幼い頃は今よりもハッキリと見えたものだ。三人で遊んでいた頃は結日が鼻を指でシュッと擦る度に、鼻と一緒に動くソバカスがおもしろくて、瑞月はその様子によく目を止めて見ていた。明るい肌色に際立っていた、”お日さまマーク”なのである。 今では恵風の顔面から以前ほど確認出来なくなっていた。のだが、それはどうも浮かび上がって来る時期があるようなのだ。ソレはアレとなにか関係があるのでは?と、少ーし成長した瑞月は調査中。まだ決定的とは言えず、ひっそりと瑞月の中で行われていた。  新しい環境で悠々と自分語りをしたのは、クラスで瑞月ただひとり。クラスの仲間たちにどう受け取られたのか、今後の楽しみでもある。どう思われたにせよ、恵風に変な虫を寄せ付けないという真の目論みに一直線の瑞月は、ひとまず満足したのだった。 恵風はそんなことを当然知りもしないし、知りたいことは他にあった。自分が急かして聞くより、本人の口からクラスに馴染めそうかを聞きたい。けれどもそれは突然湧き出た”ソバカス”によって打ち消されたのだった。 ちなみに自己紹介の後、”お薦めのマンガ”を提示する者が瑞月の元に現れた。恵風の心配事は間もなく解消されるだろう。 🌱  不安と目新しさが入り交じった乗車通学も、変わらずふたりで登下校。慌てることもあるけれど、気心知れてる同士なら心強い。下校のバスから電車への乗り換えの合間に、時々小腹を満たしたり瑞月に連れられ書店に入ったり、恵風に引っ張られ雑貨屋を覗いたりと、新生活の緊張は放課後のひとときを過ごすうち徐々に解れていった。これまでの家と学校の往復を繰り返していた時とは違い、高校生になっただけでこんな簡単に行動の範囲が広がる。けれどそれは、ずっと続くことではないという儚さも含まれている高校生。人の色々な情を置いてけぼりにするほど、時の流れは速い。その流れの中に自分たちは身を置いているのだ。 「ねえミズキ、好きな人出来た?」  受験という氷塊が一気に溶けたほころび。少々せっかちな気もしたが、長い付き合いである自分の心構えも必要と、恵風は前々からうっすらと思っていた。もしかすると明日から今日までと違う日常になってしまうかもしれない。自分たちが一緒にいることで、難しい現実になることがある。今が楽しい分、残念に感じるのは正直な気持ちだ。もしもの返事を聞いてしまったら、その時は笑って応援してあげよう。突然背を向けた結日のようには絶対にならないと、恵風はそう決めていた。 「えっ なに突然」  真顔になった瑞月に、恵風の内心がヒャッとする。普段柔らかい表情でいる瑞月の真顔はとても珍しく、恵風にとって自分を叱る時のお父さんほどの威力だ。まるで聞いてはいけないことを言ってしまったような心外な反応に、恵風は逆に驚いた。 「だって、アンタとこんなこといつまで出来るかなって、わたしだってこの先分かんないじゃない」 「ちょっとエッちゃん、なに言ってるの?」 「なにって?」 「俺が好きなのは、エッちゃんなんだけど」 「えーと だからさ、”恋愛的な意味で”ってことをわたしは言ってるの」 「……~…… ヒドイ…… エッちゃん……俺、言ったよね」 「なにを?」 「ハァ……エッちゃんがこんなに鈍くてトボケタ性格だとは思わなかったよ」 「どういうこと?」 「もー だ、か、ら! 俺はエッちゃんのことが好きなの!いつだったかも、言ったよねぇ?まさか覚えてないとか言う!?周りのオトコどもにも言ってるんだから アッハ俺…君じゃない人にまで君のこと好きって言っちゃってるよ  これはねえ俺の作戦なんだ 自己紹介の時だって…」  自己紹介時の瑞月の発言は要約すると、”エ ッ ち ゃ ん は ダ メ !”を遠回しで言っているのである。 「なに、その顔…… ハ~~今、初めて聞いたって顔してるし……」 「え!あの時の!?……だって……なんか……トモダチ同士のとか……オフザケ的気づかいで捉えてたって言うか……・・・ミズキ、ソレ、本気で言ってるの? わたし!?!?」 「……本気の本気で言ってるんだけど ”恋愛的な意味”で俺は真面目にエッちゃんが好きなの……こう言っても信じてくれない?」 「だ、だって……ユ……ユイは?」 「なんで結日が出てくるんだよ 君だよ き、み!」 「うそーーーっ!!」  雑音を抜けて駅の構内に響く恵風のソプラノ。夕方の街中の駅は人がたくさん。みんなそれぞれどこかに向かい忙しい。突然聞こえてきたソプラノは耳に心地よくて、混雑した駅の空気を一瞬浄化させた。 けれど通路の真ん中で、時が止まってしまっているような高校生がふたり。周りは通りすがりにふたりを見ていく。 「嘘じゃないよ 俺が毎晩のように君を想って★赤ちゃんを作る練習★の練習をしてるほどなのに、君は俺がふざけてると、冗談を言ってると、そう思ってたんだ……ガッカリだよ……ってか、俺も悪かった?ずっとトモダチの調子でいたよね でも受験もあったしさ……」  雑音に紛れ早口で話す瑞月の声は、途切れ途切れにしか恵風の耳に入らない。声変わりを落ち着かせたテノールの瑞月の声は、こんな時本当に聞き取りにくく聞き漏らすばかり。瑞月が今までためらい続けていたものと知らずに、恵風はそのスイッチに触れてしまったのだ。 「エッちゃんよく聞いて、俺は君のことが大好きなの ずっと君といたいの!……俺は君とトモダチを超えたい……」  ポカンと口をあけ、自失の表情で自分を見つめている恵風の瞳の奥を覗いても、瑞月が知りたいことが見えるわけがない。 誰よりもきっと自分たちは仲が良い。それをさらに超えるためにはどうすれば良いのだろう。瑞月は信じている。自分たちは”特別だ”と。 このまま終わらせたくない。なんでもないことにはもうしたくない。こんなに近くにいても感じるこの寂しさはいつからだろう。それを癒やしてくれるのは、ひとりしかいないのに。なぜそんなことを聞いてくるのか。悲しい辛い。もっと自分を分かってほしい。 早鐘を打つ胸の鼓動に押しつぶされないように、自分の全魂をそこに込める。 奇跡があったならそれは君と出会えたこと。 せっかくの奇跡を逃してはならない。   C H U ……☆  唇に感じた一瞬の出来事だ。それまでのことを恵風の中から全て吹っ飛ばすような、思いもしなかったことが起きてしまった。自分が映ったいつも一緒にいる友だちの瞳は、よく知る友だちと少し違うように見えた。視界が遮られ懐かしい瑞月の家の匂いを感じた時、今より境界線が曖昧だった頃が風のように胸に吹き込んだ。 なんでも三人が当たり前だった日々。それがふたりになりよく誤解をされては、いつも打ち消すのは自分だった。結日から聞いた瑞月の気持ちを確かめることができないまま、自分の隣で結日を静かに目で追っていたのを知ってる。自分のそばをずっと離れなかった瑞月。誰かに理不尽なことを言われても黙っていた瑞月。 恵風の中で時間がバラバラになった景色が、答え探しのように一気に押し寄せた。自分の知らない瑞月を目の当たりした戸惑いと驚愕、何より極限の不意打ちは思いもよらない衝撃になった。 「待って!」  出来事があまりに突然でそして大きくて、恵風は享受出来ない。瑞月の元を咄嗟に離れようとしたが、すぐに手を掴まれ混乱したままいつものように帰り道をふたりで辿った。整頓が中々出来ない胸は、やがて目から雫を零してしまう。恵風が泣いたのを見たのはいつのことだったか。原因はどんなことだったか。これまでふたりが通って来たいくつもの出来事に上書きされ、分からないほど随分前だ。瑞月は自分の取った行いに身勝手を感じてはいたが、後悔の隙がないのは自分の中に譲れない”絶対”があるからだ。今度こそ自分の心をしっかり渡せた気持ちでいたが、それには恵風にとって度を超えた行為だったと反省も附随したものとなってしまった。 せっかくふたりは初めて手を繋いだのに、その様はぎこちなく瑞月が恵風の手を掴んでいるだけ。電車に揺られ無言のまま鼻をすすり泣き止まない恵風に、瑞月は「ごめん」を言い続けた。 駅舎から出た家までの途中、どうにも我慢が出来なくなった恵風は足を止め、瑞月から自分の手を解こうとした。が、それを瑞月は焦ったように恵風の手を掴み直した。 「鼻かみたい」「あっごめ…」  その時にふと、まだ小学生だった頃のスカートを穿いたあの日のことが恵風に蘇る。瑞月から逃げるように保健室まで走った。結日を追い掛けて行かなかったのに、自分のことは追い掛けて来た。いつも一緒で、けれど手も繋がないのが普通だった。何年も一緒にいながらこんなに近くにあった瑞月の手を知らなかったのは、そんな普通をずっとやり過ごしてきたからだ。 そばにいつもいてくれるという安心感は、きっと瑞月以外考えられない。聞かれたら好きと答える。けれどこの好きという気持ちは、瑞月に応えることが出来る気持ちなのだろうか。恵風は一人問答を続けるが、答えが出ないまま家に着いた。 「さっき言った通り……俺は……君のことが好きなんだ」 「……」 「これからも俺は君が好きだという気持ちは変わらないし、そういう気持ちで君のそばにいる 俺の”好き”は君に対してだけって……分かってほしい」 「……」 「……言ってる意味分かる? ねえエッちゃん、ちゃんと聞いてる?またトモダチ的な、なんて言ったら今度は俺が泣く……」 「あ、あのさ……ちょっと待ってよミズキ」 「なに?」 「わたしはこれからアンタのことをトモダチとは別な、”オトコのミズキ”として接しなきゃってことなの?」  男女の境界を曖昧にしてきた今の関係を破綻させ、瑞月の言う”トモダチを超える”新しい関係を築き上げて行くという、何か壮大なことに思えた恵風はいささか歯切れが良くない。それとこれまでの性と恋情を取り入れない関係での急展開であった、先ほどの街駅での出来事の影響も大いにある。 ”いつかカラダごとで素敵な恋愛をする” その相手は瑞月なのだろうか。恵風はやっぱりピンとこない。よく分からないままそこに飛び込めない一番の理由は、他に代えなどない自分の大事な存在だからだ。そして結日のことも気になる。 聞いてみたい気持ちもあったがその気力も起きなく、瑞月と表に見えない部分で、こんなに開きがあったと思い知らされた一日になった。 「そ、そうだよ!エッちゃんは女の子で俺の大事なトモダチ! そして俺はオトコ! 恋愛もしようよふたりで! 俺たちならきっとできる!」  そう瑞月は力強く言ったが、恵風はその手招きには慎重な様子。 恵風が最初に決めていた、笑って応援してあげようという覚悟は、瑞月が知ることなく静かに流れていった。
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