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第三話 ミズキのエッちゃんヒストリー
自分のカラダのある部分が気になり、ツイツイ手が行ってしまうことは僕にも普通にありました。ありましたって言うか、普通にあります。
自分の意思や刺激物に遭遇、または接触するなどには関係なく、女の子には少々理解し難い状況においても、僕たちオトコどもには普通に起こることなのです。僕らは健康なのです。
その健康が引き起こす現象――例えば朝は当たり前に、そしてゴハンを食べた後やその他諸々と、暗所の静けさの常にありながら色々ヤッカイではあります。
何となくムズムズしたり痛いような気持ちがいいような、時には折れそうな困難を堪えつつ、とにかく気になってしまうのです。
下腹部の閉所でゴロゴロとパンツが窮屈に感じたり、位置が気に入らなかったり、そしてこんな色だったっけ?と、ふと見入って考えたこともありました。
後方から発毛を発見したりカタチや大きさを気にしたり、おトイレしにくいとかお母さんに怒られたり……。僕ってやっぱりオトコなんだ、そう思います。
……イエ……女の子のコトは僕には分かりません。
おウチの人たちが僕を置いてお出かけしてしまった時など、コッソリ自分のお部屋でパンツを下げていたこともあります。
「……何なの?その作文口調」
「そうでもしないと恥ずかしいよ まだ聞きたい?」
「聞きたいと言えば聞きたいけど、わたしが聞きたいのはそういうことじゃなくって、いつから…」
「オナニーを始めたか?」
「ち、ちがう!いつからわたしの…」
「エッちゃんのこと考えながら?」
「―! だから違うって!怖いよミズキ」
「ぇえ?どうして?普通だよ 怖くなんかないよエッちゃん」
「ん~それって多分、男子が生理中の女子を敬遠するのと似ていることなのかな……だってねえ、未使用の新品ナプキンをユイは拾ってもくれなかった時があったんだよ!……なんでわたしたち急にこんな話が出来るようになったんだろう……」
「結日は恥ずかしかったんじゃない?ミズキはエッちゃんのこと、今まで一度もそんなふうには思ったことないけどね!ただ、エッちゃん辛そうだなって」
「……やっぱり気付いてたんだ……」
「ん?」
「な、何でもない……ねえ、ソレっていつからそう思ってたの?」
「えーっと中学の……いや、もっと前かな」
「そんな前から!?」
「だってミズキが凝視してるの、昔からエッちゃんだけだったし」
恵風が瑞月に聞きたかったのは、”いつから自分のことを好きになったか”。それがなぜ全く別の話になってしまったのか。
薄桃色に頬を染め恥じらいながら視線を逸らした恵風の言葉尻が、よく聞き取れなかった瑞月は盛大な早とちりをしたためだ。そして恵風が知りたかったことは、またの機会になったようである。
食い違いから発生したその内容は、そのまま無知な恵風の中にしっかり取り込まれることになったのは言うまでもない。
ボンヤリと思い出すのはいつかの夜のこと、無邪気にドアを開けたその奥で見たものだ。結日がこちらにお尻を見せてベッドの上でなにかしている。結日の慌てようにも恵風は驚き、そして謎だけが残った。それから時を経てその謎は静かに解明することが出来たが、今でも思い出すと苦しくなるのだ。”知らなすぎるというのは、大問題である” 反省に反省を重ねる恵風だった。
しかしながら、恵風が瑞月にそう聞いてきたということは、瑞月の想いが恵風に伝わったというまずは前進ということだろう。
🌱
”人間ならば素敵な物事への自分の素直な気持ちを言葉にしよう”は、動物病院を営む瑞月の親の教えであり、自分たちに通じる言葉を使わない生き物たちから、それを超える情に毎日触れていると両親はよく話す。瑞月はその教えに納得、共感。それを実行することに意義があると、瑞月は大きく頷いていた。自分の腹心の友とのこととなれば、なおさらのことである。
性は違えど、自分たちはアンとダイアナ。お互いの手を握り合い見つめ合い、そして永遠の友情を誓い合うのだ。
しかし、やはり、第二次性徴期の若葉マークのふたりの少年はアンとダイアナには及ばず、友情の誓いをするには相応しい状況かを判断できるようになるのがまず先であった。
瑞月が言った”好きな人”を聞いて、先ほど自分が例えで出した”アソコのムズムズ”について、”友”という立場ではなく、”好きな人”という目線で”放っておけない”からと介入しようという考えでいるのか……。”好きな人”……!?!? 結日は戦慄する。
親の教えを混じり気なしの清らかな心で、素晴らしいことと信じていた瑞月には、結日の心の中は想像もつかない。
普段から瑞月は感情を言葉にしていた。嘘や冗談と取れない言葉を紡ぐ瑞月の声はいつも独特な言い回しや温度があり、自分とは違うと結日は感じていた。自分ではない別の人間なのだからと、理解はしている。しかし今回はなにか毛色がおかしい。恵風の生理話から始まった、取り扱いにはきめ細やかな注意が必要な事柄だ。
自分の中の混乱に出口を見出せなかった結日は、瑞月が次の言葉を発しようとする唇の開きかけでその場を一目散に走り去ってしまった。思春期の扉を開けたばかりの自分たちは、これから自身の開拓をして行くところ。他人を交えるなんてとんでもない。と、結日を怯えさせてしまったのであった。
思いもよらないことはお互いさまのことではあったが、瑞月の打撃は計り知れない。もしかして”好きな人”という言い回しは適切ではなかったのか。ではなんと表現すれば良いのか。その言葉通りの”友”には違いないのに……。
親の教えは正しくはあるが、相応しくない時と場合がある。それが判断できる自分ではまだなかった。
と、今さっきまで自分の目の前にいた、腹心の友が教えてくれたのだった。誤解や早とちり、その他様々な失敗があっても、そこから学び自分を研磨していけば良いのだ。
結日とそんな別れ方をしたのだが、もうひとりの大事な友、恵風までも失ったわけではなかったのは、瑞月にとって幸いであった。双子の彼らは同調をし、自分はひとりになってしまうかもしれない。
そんな懸念を抱き打ちひしがれていた瑞月にとっては、恵風は女神のようであった。
恵風はなにも言わない。聞かない。以前と変わらない自分との接し方。瑞月は嬉しかった。この友だちを大事にしよう。この友だちのために自分は強くなろう。尽くそう。
けれど具体的なことは分からず、そして再び大切なものを失う恐怖心の方が勝ってしまい、ただそばを離れないようにしかできない幼さ。
以前までは、恵風がいなくても結日がいた。どちらかが不在でも、瑞月がひとりになるということは稀。恵風とふたりになってからは、ひとりになってしまうことが時々起こり、寂しさが体感的より精神的に強く感じるようになった。
保健室に入れてもらえなかった時や、女子同士がクスクスお喋りしている所に恵風がいるそんな時、恵風はそっと女子の群れから離れ、自分の元に来てくれる。そんな時心の隅で、自分の性に気後れを感じるのだった。
そして以前までとの違いを何より感じたのは、「お腹痛いから遊べない」。いつもではないにしろ、男子である瑞月にとっては理解がまだできず退屈で仕方がない。退屈で考えることは、恵風のことばかり。
そんな中、時々クラスメイトが言ってくる「付き合ってるんでしょう」は、その時の瑞月は付き合うとはどのようなことなのか、今となにが違うのか分からないまま、恵風と違うことを考えていた。
恵風を束縛しているような罪悪感を持つもう一方で、別の感情も芽生えさせていた。恵風とふたりで遊ぶようになり、僅かだが揃え持つようになったペンや消しゴムなどの文房具が、ふたりで相談して決めたというだけでトクベツになる魔法がかかる。時々見せてもらう恵風の宝物はとても愛おしく、瑞月はいつもその少女用玩具に吸い込まれていた。けれど不思議なことによそで同じものを見ても、同じ気持ちにはならない。その違いに瑞月は気付きながら、表には出さずにただ恵風のそばにいるだけにしていたのは、それ以上を望む勇気を育てようにも大きな障壁があったからだ。いつも恵風は「わたしたちはただの友だち!」と、クラスメイトに向かって怒っていた。
そして瑞月は気付いていた。自分の他にも恵風を見ている男子がいる。その者にとって、自分はさぞ疎ましい存在だろう。気付き、そしてその者たちからの壁に恵風の隣でなっていた。恵風が自分に彼氏が出来ないと嘆いたそれは、瑞月に原因がひとつもなかったわけではなかったのだ。
束縛と罪悪を感じるもう一方で以前よりも、まだ未熟な枝に早く果実を実らせたいと想いを募らせる。恋しい恵風。考えるのは恵風のことばかり。誰にも邪魔されたくない自分たちを。いつも一緒にいるけれど、何かが足りない虚しさと臆病の重い蓋の下でもがいていた。
”トモダチだけど自分はオトコだった”。思春の自分と向き合った時、そこにはもうかつての腹心の友の存在は薄れていた。
瑞月が自分の隣で想いを熱していることを、梅雨ほども気付かない恵風はいつも自然体。自然体過ぎて、どうしても窮屈に感じるデビュー間もない下着を省くこともしばしばだった。
そんな恵風に瑞月は、ライバルがどこに潜んでいるかも分からない学校で、ドキドキしながらハラハラしたり悲しくなったりと胸中忙しい。それでもやっぱり瑞月は恵風の隣にいて、自分しか知らない恵風の姿を独り占めできる喜びを日々胸に染みこませていた。
恵風が初潮を迎え、膨らんできた胸にブラジャーを着け始め、変化が訪れるたび自分たちの距離が空いてしまわないようにと、不安になる瑞月自身も声が変わり始め、男の子卒業の頃は間もなくだった。
少しずつだけど、大人に向かっている自分たち。
時間とカラダが、自分たちを勝手に分け始めている。
いつまで一緒にいられるのかな。ずっと……ずっとがいいな……。
友情と恋心の境界を暈かしたまま、瑞月は恵風ばかりを追いかけていた。
公園のジャングルジムの上で恵風が伸びをしてる様を見ると、ハートが溢れるように鼓動を繰り返し、カラダが宙に浮かんでいるようなまるでフワフワと花畑を歩いている気分。この不思議はまるで恵風のマジックにかかったよう。
この子の可愛らしさを、ずっと前から知ってる。
それはいつも視界の中で、そばにいる空気の中で、すぐに見つけられる後ろ姿でさえ、駆け寄ってくる足音からもずっと前からそう感じていた。
夕空に向かって両腕をグーっと伸ばしカラダをくねらし甘いブレスをつく姿に、いつも不思議と心地よい苦しさが胸を急いて言葉を忘れた。
言葉だけではない。自分のなにかまで恵風に奪われ呼吸しているのかさえ分からなくなる、きらびやかな宝箱の中の何よりも瑞月に眩しく映る恵風の姿だ。
その失った言葉を表に出す時が思いがけず訪れたのは、「彼氏が出来ない!」と恵風が嘆いた時。感動的でも甘美さもあったものではなかったが、長らく鎮めていた自分の中からやっと言葉で出せた心なのだ。
結日とは不発で終結した永遠の友情。”自分の素直な気持ちを言葉にする”を、瑞月から受け取った恵風はどう応えるか。
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