第四話 ミズキがイヤホンを外す時

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第四話 ミズキがイヤホンを外す時

 目の前の現実は、皆平等に与えられた教科ごとの課題。同じく、眩しい太陽と海も地球色の空に伸びていく新緑も、煌びやかなショーウィンドウやお腹を空かせる甘い香り、そして小さな窓から飛び込む大冒険の勇者たちは、そんな小さなことは気にするなと笑いながら君たちを呼んでいるのもまた平等。少年少女はそれぞれの理想を思い抱き、白黒の現実と向き合いながら高校生活を謳歌したいと考える。 例えば結日の場合、目標のための資金を作ろうとコンビニが併設されたドラッグストアの品出しバイトを始め、休日はその目標までを早足できるチャンスデーだと賢明だ。ただ中学生だった去年のように、昼夜逆転ゲーム三昧の休日を楽しめない悲しみを拭いきれないまま、行事振休の今朝は初出勤の意欲を奮い立たしていた。のが、そればかりではいられなくなってしまった。 「恵風ーーっっ瑞月来たぞ!」  本人はきっと気付いていない。窓を開けたなら気をつけなくてはならないのだ。家の中での会話でも、窓一枚開いてるだけで声が外につつぬけになることがある。朝の住宅街に結日の声がこだまする。 なにかのために窓から外をうかがっていた結日。その姿が外にいる瑞月の視界に入った。 「おや……今日は結日、学校休みなのかな ……なるほど……」  学ランに黒ズボン、勉強道具が入ったデカリュックを背負った通学スタイルの瑞月がポソリとつぶやき、イヤホンを耳から抜いてワイシャツのポッケに収めた。結日の異変になにかを予感する瑞月。 「〈ピンポーーン♪〉エッちゃ~~ん おはよー(ハート)」  今日が始まったばかりの朝から既にご機嫌そうな瑞月が、恵風を迎えに鳥海家に現れた。ご機嫌よりも相応しいのは、気持ち悪さだ。(アイツこんなだったけ?)インターホンのモニターを見ながら、結日は思う。 「今、行く」  そうモニターに応え、通常ならば俺の方なのにと、結日は自分の専売特許を奪われた不遇の原因に向かって「行くぞ」と言った。 今朝の結日はいつもと違う。それは社会科初実習からの緊張か。ちょっと違う。 自分の用でない限り姿を見せたりしない結日が、自分を狼狽えさせていた原因を伴い瑞月の待つ玄関へやって来た。 「おはよう瑞月、コイツ……アレだ……頼めるか」 「おはよう結日! 今日は学校休みなんだね!全く問題ないヨ!」  今から少ーし前のこと。結日と瑞月には、この件派生の少々の誤解を生み出していた。のにも関わらず、この体制にまで持ち込めたのは、恵風という現実があったからと言っても大げさではない。 結日に抱えられ登場した恵風は、昨日までとはあまりに違った。今朝は結われなかった長い髪がすだれのように顔面を覆い、その隙間から覗く肌は青白く薄開きの唇は一層朱く映え、今にも恨み言を言いそうだ。 滅多に物怖じしない不動の結日も、このことばかりには乱されるらしい。おそらく結日の頭の中はこうだ。”アレの苦痛に耐える恵風が怖い”。何度この場面に出くわしても、結日には慣れるものではなかった。恵風は恵風で、学校を休むという選択をしない。結日はそんな恵風の中に棲む、不気味な執念にも怯えていた。アレのないオトコである兄はただ、妹の遅刻を心配するしか出来なかったのだ。 両親はとっくに出勤した鳥海家。大事を無事に務めあげた長男結日を後にし、瑞月、恵風のふたりは学校へ向かった。  ”コイツアレだ”結日の言葉を胸の中で反芻しながら、瑞月の視線は恵風の頬にゆるりと流れ着く。いつの頃からか、本人に気付かれぬように注視していた現象を確認した。薄笑みを浮かべるのと同時、恵風を支える手にギュッと意味ありげなチカラが込められ、自分の身に引き寄せるのだった。 (エッちゃんの生理って、ホンっとキツそうな時があるよね。子宮のない俺までナンかお腹が痛くなって来るよ それに比べて他の女子なんて、生理ないんじゃない?って思っちゃうくらい分かんないのに……ってか、他の女子のこと知らないや エッちゃんがいくら俺の目をゴマカシ隠そうとしたって、バレバレなんだから……そこがまたかわいいんだけどさ こんな君も、君の魅力のひとつではある!その魅力は俺だけのものさ! 俺がちゃんと今日の君をサポートしてあげるからね!)  結日と真逆なほど瑞月がご機嫌なのは、今の恵風にとって唯一自分が頼られる存在であると、迷いもなく思っているからだ。けれど一途に我慢をする姿の隣にいると、やはり胸が痛む。その我慢はなぜか自分を始め、他の者には知られたくないと思っているらしい。そんな不憫の助けになりたい。男だからとか関係ないのに、ミズキなのに。瑞月はもっと自分を頼ってほしいと考えている。 電車通学を始めたある日のこと、辛そうにしていた恵風に優待席を勧めたことがあった。けれどそれは不機嫌に断られたのだった。 何をどうすれば良いのかを知ることが、今後のためであると瑞月は改めて刻んだ。 「ほらエッちゃん座れる……ミズキに寄り掛かっていいよ」  以前のように立ったままにならずに済んだことに、瑞月はホッとした。 恵風がせめて余計な神経を使わずにできたらと、瑞月は床の上のひだまりを見て思った。 「・・……  ぅ……・・・  ふっ……・・・✿」  不意に瑞月の耳に届いたのは、ブレス混じりの恵風の声だ。それはひたすら堪え忍び、けれど押さえ込むことができなかった恵風の苦痛。この喘ぎ声にも聞こえてしまう危険な声を、瑞月が聞いたのはこれが二度目であった。 電車通学を始めた間もなくのこと、15才の少年瑞月にはただただ衝撃だった。幸い他の乗客の聴覚までは届かない。なんせ微風のように小さなものだ。クッションのように自分の身を貸すことで得られる、褒美のようなもの。 多分恵風本人は無意識で、それは意識など関係なくきっとそれどころではない。と、瑞月は理解しているのだが、カラダは素直なもので膝に乗せてるリュックを押さえ込む手に、ギュウギュウと力を入れられていた。 「エフウチャンオクスリノンダ?」  同じ女子の目にも、恵風の姿は辛く映っているのだと瑞月はハッとした。 恵風の教室に入り席まで送り届けた間もなく、クラスメイトの女子が見かねたのか、瑞月が離れたところで恵風に声を掛けていたのが耳に入った。 恵風ばかりを見てきた瑞月は知っている。苦痛の程度がいつもバラバラだ。いつも楽だったら良いのに。恵風の力になりたい。自分はどうすべきかと、その子に聞いてみたくなる。自分にとって、勉強よりも難しいことなのかもしれない。  一にも二にも恵風のことしか頭にない瑞月は、授業終了の鐘と共に席を立ち、教科担当の教師よりも真っ先に教室のドアを開け廊下に飛び出した。隣のクラスを覗くとスカートのポケットを探りながら、フラリと席を立つ恵風の姿が見えた。昔のように大騒ぎしながら追ったりはしない。瑞月は静かに恵風の後を付いて、空気が一時緩んだ教室を離れた。 廊下を歩く恵風の足運びは危なげで、誰かとすれ違いにぶつかり倒れてしまうかもしれない。そんな心配をしていた矢先、恵風の足下にポスッと落ちたものが見えた。瑞月はそれをためらいもせず静かに拾い、そのまま恵風の手にそっと握らせた。それは落とした本人にも気取られないほどの、完璧なバトンパスのようだった。  所用を済ませた恵風は、おそらく今日初めての言葉を瑞月に聞かせた。 「……コシがぬケル…… チカラがでナイ……」  瑞月は静かに恵風の歩行に寄り添った。学校という場所では特に、恵風が嫌悪する行為と知っている。今まで何度も怒られたり、床を蹴って八つ当たりしてるのを見てきた。けれども恵風がこんなにおとなしいのは、弱っている証拠。元気な自分が辛い友だちに手を貸して、何が悪いというのか。 チャンス到来である。逃してはならない。  席に戻ってから机の面に突っ伏する恵風の、”抜ける”と言っていた腰をためらいなく摩った。 それを見かけた女子が、瑞月にこう言った。 「うっっわあ!カレシのカガミだね やっさし~~」 「ええっ!本当!!?」  これでもう何度目のふたりへの”誤解”か。平常ならば瑞月に自分の腰を触らせるなんてもってのほかで、恒例のごとく騒ぐのだろうが、この状況下ではされるがままはやむなし。瑞月は通りかかりにもらった言葉を大いに喜んだ。 誰の目にも辛く映る恵風に寄り添い、健気に介抱をするのはよそのクラスからこのためにやって来た彼氏。周りにはそのように映り、「座って」と椅子まで渡してくれる子さえいた。 瑞月の自己紹介時の工作よりも、こちらの方が自分たちのことを周知させるには効果が絶大だったと、介抱に夢中だった瑞月は気付いていない。  そんなこんなでこの日の授業を終えホッと安心した瑞月が見たものは、目の下にクマを作り、やつれた笑顔を返してくれた恵風だった。どれほどのエネルギーを費やしていることなのかと、瑞月を震撼させた。 「んっ・・・ く……✿」 (今日の俺はエッちゃんのこの声を聞けて、幸せしかない カバン持ちなんて全然屁でもない ありがとう!エッちゃん!!君が許すなら、お姫さまのようにダッコしたっていいくらいだよ 俺は思うんだ 日頃どんなヤンチャな女の子でも”女の子の日”って言われるほどなんだ オトコどもは生理中の女の子を茶化さずもっと労るべきだって ね!エッちゃん ミズキは君専属でその役目を担うからね!ミズキだけだよ!)  瑞月の心の声は荒野を彷徨う恵風には当然届いてないが、瑞月の幸福指数ははとても良好だ。けれど今日は少しおかしい。それはいつもそばにいるからこそ分かること。これまで瑞月は程度は違えど今日のような恵風を度々目にしてきた。このままでいいのか?いいわけがない。なぜなら、”好きだ”と自分の気持ちを告げたのだから。それは薄っぺらいものでは決してない。 教室に着いた時に知ったばかりの緩和の方法について、ここで躊躇していられないと、思い切って恵風に問いかけた。この事柄について踏み込んで行くのは初めてのことだ。 「エッちゃん薬は?」 「飲んで……ない……」  聞いたところで、急に間近になった友だちの生理に初めて触れた少年瑞月には、その対処ができるわけもなかった。さっきまでの邪な自分と合わさって、余計に不甲斐ない自分に落胆する結果となってしまった。 上機嫌なお日さまはまだ真上にいて、明るいシートにふたりで並んで座る。なんて幸せなんだろう。大好きな友だちが笑っていたらもっと幸せなのに。ずっと前から、自分が思い描いていたことを真剣に考える。友に気持ち悪いと逃げられてしまったあの時。これは本当に気持ち悪いことなのだろうか。いつからか自分たちの間にある、見えない壁の意味を探る。その壁はずっと立てておかなければいけないものなのだろうか。 自分の隣では、ただ苦痛が去るまでをひたすら耐えてる、愛しいけれどいたわしい横顔。頬に滑り下りてる髪をやさしく直して、横顔を見つめながら自分との間にあるものについて考えた。 自分は万能ではないけれど、無能でもない。瑞月は自分の手をそっと恵風のお腹に手をあてた。 恵風はそれまで閉じていた目をうっすら開け、瞳はなにを映したのかまた閉じた。 「エッちゃん掴まって、ミズキに体重かけていいよ」  駅舎から出て、今日はこのまま恵風を家に送り届け帰ろう。そう、瑞月にとっての苦渋の決断をした。今朝のみなぎりは家に近づくとともに、終幕の憂いを見せていた。 「ミ……ユイ……コオリ……」 「―! わ、分かったよエッちゃん!結日の所に行って氷イチゴのアイスを買いたいんだね!?少しおウチから離れるけど、大丈夫かい?」  思わぬ時間延長に、不安はあったが瑞月はパッと歓喜した。店では諸先輩に教わりながら、それまで作り面で接客をしていた結日に敬意を覚えたが、ふたりには無粋な対応だったためそれは一瞬で鎮火した。 帰り道の途中の公園で日陰になってるベンチを見つけ、そこに座ってアイスを食べた。公園の日陰は風で木々が揺れる度木漏れ日を動かして、おひさまに触れた今日の恵風を一層眩しく光らせた。眩しくて眩しくて自分のアイスが溶けて指に流れて来るまで、瑞月は恵風に吸い込まれたようになっていた。 初夏の日差しは辺りをお昼寝させているように気怠く静かで、木々の葉がくすぐるサラサラとした音がただ聞こえて来るだけ。  サラサラ……・・・  サラサラサラ・・・   そして 恵風は苦しそうに棒アイスを食べる (ハァ……・・・ 俺はもう今日のエッちゃんから目が離せない……)  結日のバイト先でおやつまで買っていた瑞月は、何も言わない恵風をいいことに、いつものように恵風の部屋に上がり込んだ。家に送り届けそれで今日はお別れと当初の考えでいたのが、恵風のリクエストで変更になり公園にまで寄り道をし、そして今、恵風の部屋でミニテーブルをおやつのために開こうとしている。好きという気持ちが、瑞月の決断をズルズルと鈍らせた。 ”お腹が痛いから今日は遊べない”はまだ言われていない。自分の厚顔ぶりに目を背け、あわよくばと考えていることさえあった。  さておき、恵風は今しがた部屋を出て行ったまま戻らない。いつもなら着替えのために部屋を一旦追い出される瑞月なのだが、追い出される前から部屋を出るわけにもいかないのだ。 テーブルの上には恵風が先ほど買った大福がある。それをジーッと見ながら待つこと数分。そう言えば、レジから自分たちを睨んでいた結日が恵風の精算の際、何か耳打ちしていたのは何だったのだろう。この後、恵風はその大福と何かを買い足しをしていた。お使いでも頼まれたのか。などと考えてるうちにドアが開き、部屋に戻ってきた恵風は突然セーラー服をベッドの上に脱ぎ捨てた。 「!!」  思いもしなかった展開に瑞月は度胆を抜く。ひょっとすると、自分がここにいることさえ、恵風は分からなくなってしまったのだろうか。別れたくなくて付いてきてしまったのは、失敗だったのかと途端に焦り始める。 そうしてる間にも恵風はスカートも脱いでしまい、窓に向かってネコのようにカラダをくねらせながら、小さく息をひとつ吐いてその場にペタンと座り込んだ。そんな恵風のすぐそばには、呼吸も止まってしまったように固まっている瑞月。 静寂の空間でレースのカーテンがフワッとするのと同じに、恵風の髪も風に揺れる。どこかの家で鳴っている風鈴が風に靡く広葉樹とデュエットしてるように、チリリンチリリンと今日はよく聞こえる。 風を仰ぎ受けている、恵風に瑞月は釘付けになったまま。  チリリン・・ チリリーー ン・・・  サラサラサラ・・ 君は全然気が付いていなかったようだけど、俺は今のような君の姿を、何度も自分の中で作り出している 君と…… ★赤ちゃんを作る練習★ …の、練習……   スゴク気持ちいいんだ 一緒に……  君と一緒に気持ち良くなりたい…… いつか……君と本当に★赤ちゃんを作る練習★ したいなあ……・・・ 君の肌の色に合っている、薄い黄色のブラジャーがかわいくて そこから中央に向かってはみ出している、プックリしているオッパイもかわいくて いつもスカートの中に穿いてる見えてもいい”黒パン”は、今日はウサチャンがワンポイント  そのオシリもかわいくて 華奢な背中もかわいくて……  全部   全 部……   か わ い い ……  エッちゃんの名前 恵風  風をカラダに取り込んでるみたいだ  キレイ……    キ レ イ だ よ   エッちゃん  「エッちゃん」  「 ……ミ 」  恵風は瑞月を呼ぼうとしていたのかも。 けれどもそれは途中で止んでしまった。
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