第五話 メクルメク世界へのイザナイ?

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第五話 メクルメク世界へのイザナイ?

 彼に二つ名を与えるならば、”湿地帯に棲む美少年”が相応しい。 本人が否定しても、慌てふためき我を失うことはそうそうないように見え、忍び笑いをする彼がそこに佇む。と、いう印象を周りに持たれているようだ。いつの級友たちからもちょっと変わったヤツと見られ、けれど洞見の目は確かなものらしく、学級会などでは一目置かれる存在であったりする。 本人は至って普通で大勢の中のひとり、ただの個性だと信じている。それと同じく、例えば彼の妹もそのひとりで、自分の素行を不快に思う者がいるということも自身で受け入れている。なにを考えているのか分からないヤツとよく言われるが、本人は自分が周りに与える可能性を反対側でまた楽しんでいる。そんな彼と相思相愛となろう者は、もっと深く濃い彼を知ることになるのだろう。 けれど過去にその可能性を持つ唯一の存在を、自ら突き放したのだった。  それが大きなものだったと知ったのは、手放してからだ。 妹はしばらくクチを利かなくなるほどに自分に腹を立て、まだ幼かった意地が余計な邪魔をして素直になる機会を遠のかした。その時ばかりは本来の彼らしさは消え、招いてしまった自傷のような出来事を時の流れに預けたのだった。 そして時が経ち、もしかしたらと彼はうっすら考える。 それとも……もう遅いのだろうか……。   ―そんなことあるもんか 大丈夫だよユイヒ   ―本当に?本当に大丈夫?   ―クスッ カレはキミのことをまだ待っているのかもしれないよ   ―……お前は ダレだ   ―オレ? オレはキミの中の”メクルメク世界”のお使い人Nだ   ―なんだその、メクレ メクリ…… 目……芽…… クソウ言えない!   ―アッハッハッハッハッ キミ、もしやスカートめくりばかりして女の子を虐めてなかったかい?   ――! どうしてそれを! もう昔のことだ!……当時の友だちと……それは俺にとっちゃあ”スカートめくり”ではない!俺は周りのヤローどものように、女子のパンツを見たかったわけではない!そんなの一回見たら気が済んだ どうしてかって?恵風のパンツと同じじゃねーかと分かったからだ!お、俺は……こんなに身近な存在でありながら、自分は穿くことの出来ないスカートを……走り靡くスカートを、ただ……ただヤローどもと追い掛けたくなっただけだ!  男にはそんな時があるんだ!!   ―……マ……いいや……カレのことが忘れられないんだね?今じゃキミはすっかり大きな男の子になってしまったよね 昔のように無邪気に体当たりすることさえ難しい 時の流れを止めることも、遡ることも出来ないさ……   ―・・・・・   ―そんなに悲しまないで 大丈夫コッチにおいでよ……それでスベテうまく行く   ―”コッチ”って? ”ス ベ テ” って???   ―だから……”メクルメク世界”……クスッ じゃあ 待ってるからねユイヒ (ハッ・・・  またアノ夢か……)  結日はこのところ繰り返し見る夢に、爽やかであるはずの朝を濁されていた。奥深くに沈ませていた箱を、ただの夢によって目の前で開けられた気分になるのだ。箱の中から襲いかかるように現れたそれは、結日自身が認める前に封をした自責の念だ。 この夢を見る引き金になった心当たりがあったせいもあり、夢見からの目覚めに朝から既に疲労感一杯なのである。一見、この歳の頃の少年少女らと何ら変わらない、眠気が抜けない朝ではある。 ある日見た、昔から知ってる何でもない風景がやたらに眩しく見え、結日の胸を締め付けたのだった。  当時は特別に感じなかった、ことあるごとに何度も聞いていた言葉があった。それが今になって、その温度が恋しくて仕方なくなるのはどういうわけか。 それは自分の中の宝箱が蓋を閉めずに、きっと何年も待ち構えているからだ。それほどの価値があったものを、無下にしてしまった罰を今受けている。 自分がよく知るふたりが並んで歩く風景を、結日は離れた所から見ていた。 🌱  労働を終えた疲れよりも冷房の効いた店内とまるで違う、初夏のこの外気温との差の中で結日は今戦っていた。 帰り際、先輩であるパートの主婦に「また来てね」と渡された、何の景品か分からない余り物と思えるおかしなマスコットが結日の手に握りしめられていた。 (品出しばかりの作業かと思ったのが違った……)  結日は世の不条理この日知った。 公園の脇を歩きながら、この時代のこどもは帰る時間も忘れ外で遊ぶということをしないと、父さんと母さんが自分のこども時代の話をしたのを不意に思い出す。親元に不審者情報が頻繁に流れてくるこのご時勢では、家の中にいる方が安心だ。付き添う大人の都合にこどもは合わせ、晩ご飯の支度が始まるこの時間はカラスがカーカー鳴くだけの寂しい風景となり、その中にくたびれた自分がひとりでいる。  帰宅してからのことをボンヤリ考え歩き、ふと、視線の先に見覚えある姿に気が付いた。足下を見て歩いていた先方も、結日に気が付いたのか一瞬歩調が緩んだ。 くたびれている自分とは違い、彼を包み込む空気は草原を渡る風。もしくは青春ラブストーリーから連れて来た、シトラスレモンの香りがするように爽やかに結日に映った。遠い昔カラスをも魅了させた、生まれた時からのそのユルフワカールのヘアーは、彼の魅力のひとつだ。彼も自分と同様同種のナカナカの美少年だと、結日は彼を満更でもなく思う。 少し長めの前髪から彼の十八番の流し目に捉まると、時々自分は何を話そうとしていたのかを忘れる。オノレの思考を摘み、そしてうっかりしたことを口走りそうになる。そんなキケンな魔法を彼は隠している。と、結日は遠くに忘れていた記憶を思い出した。   彼はヒミツのドアを胸の中に持っている。そう、感じる時がある。それに気付いたのは、まだ小学生の頃だ。彼が真剣に怒った場面などに心当たりはなく、目鼻立ちがはっきりした容貌にはいつもやわらかなベールに包まれてるようだ。つや肌に浮かぶほんのり色づく唇は、いつも幸せそうに笑っていた。 そんな見掛けが彼の持つ不思議な温度をより怪しくさせているのではと、結日は分析する。 実際、間違ったかもしれない捉え方をし、結日と彼の関係は悲劇的な一幕を迎えたのだ。  示し合わせたように、ふたりはそれぞれそばの入り口から公園に入った。今から昔を思い出し、遊ぶわけではない。公園で無邪気に遊ぶには、ふたりはもう大きくなり過ぎてしまったのだから。彼がベンチに腰掛けたのを見届け、公園内に設置されている自動販売機から買ったジュースを手渡そうと、結日は彼の顔を見た。 「 !! 」  渡そうとしたのを止め、冷えたペットボトルの一本ずつで結日は彼の両の頬へと当てた。無意識にカラダがそう動いたのだ。 「結日……!」  彼は驚き大きな眼をさらに見開き、こどもにようなつややかな瞳を結日に向けた。彼もまた、ペットボトルを受け取るためにと一旦差し出した手の行き場を、自分の頬にあるペットボトルの結日の手に自身の手をおずおずと重ねた。 園内に流れる緩やかな風と共に、無言の時がふたりを見守る。何の気づかいも、無駄な誤解を生んでしまう言葉も自分たちには必要ない。僅かな時間の中で答えが見えたように感じるのは、変わっていないように思えた自分でも、大人に近づけたということなのだろうか。 結日は自分たちのより良い関係の道筋に気が付き、ふたりはしばらく無言の時を見つめ合い過ごした。    《ハッッ!!》   渡す方のペットボトルはそのままに、片方を瑞月からむしり取るように離して、ペットボトルまでねじれてしまうのではというほどチカラ一杯に蓋をひねった後、腹を空かした赤子のように結日は食いついた。たった今自分の脳裏を掠めた、他人に絶対に悟られてはいけないシーンに激しく動揺したのだ。 結日の奇妙ぶりを瑞月は無心で見届けたあと、「いただきます」とペットボトルの蓋を静かにひねり、そしてコクリと一口喉に流した。結日の変調ぶりを知っている瑞月には通常なのだ。 「恵風にやられたのか」  動揺を勘付かれる前に、瑞月の隣に腰掛けながら結日は尋ねた。瑞月の頬に、クッキリと赤い手形が付いていた。 「俺が悪いんだ だからいいの」  瑞月たちと距離を作ったことに結日は後悔をしていた。またそのうち三人で遊び出す日が来るかもしれない。結日はそう、ひっそり期待し願っていた。けれど新しい友だちが自分を呼び、結日はそこに走り出すしかない。 後ろ髪を引かれる思いで見たふたりのこと―― 自分の入れる場所はもうないように見えた。楽しそうに頬を近付けて、クスクスと何を話しているのか。 ふたりがとても眩しく見え、そして遠くに感じたのだ。 俺はもう関係ないのか 俺はもうそこに入れないのか 俺の名前は もう 呼んでくれないのか。  寂しさと後悔をごまかし、新しい場所で周りに合わせて笑っていた。  置いて行かれたような気持ちだった。離れたのは自分だったのに。 「結日!」 と、また呼んで欲しかった。 呼んでくれるのを待っていた。 「瑞月 あの時言えなかったけどな」 「なに?」 「俺も好きだぞ お前のこと」 「!!?」 「えっと……だから……嫌いになったわけじゃないんだ その……」 「……俺も結日が好きだよ でもそれは結日と”キスがしたい”って意味の好きじゃないから安心して ごめん気持ち悪い?でも俺の場合ここまで言わないと、よくヘンな誤解されちゃうんだよね……どうしてだかさクスッ」 「あの時も……そうだった? その……」 「あの頃は恋愛感情なんて自覚も感覚も分かんなかったし……なんて言うのかな……ただいつも一緒にいるのが当たり前で……”好き”っていう気持ちはぼやけたモノだったよね」  「思いっきり誤解していた時が実はあった」 「この前さあ、エッちゃんにも言われたよ 俺の言う”好き”はトモダチ同士で言い合ってる気持ちで聞いてたって……お前にはトクベツな意味の”好き”で?エッちゃんにはって、俺は何がおかしかったんだろうね クスクスクス……」  あの頃の自分と景色を思い出すように結日は夕空を眺め、ふたりの手から汗を掻いたペットボトルから雫が地面にポタッと落ちた。間に浮かんでくるやわらかさは、ふたりでいる時によく感じていた空気だ。大騒ぎして遊んだあとでも、彼と話している時によくこんな空気を感じていたのを結日は思い出した。 いつの間にか掻きむしりたいほどに感じていた暑さは、夕方の風がさらって行ったようになくなっていた。ゆったり話す瑞月の声は風にフワリと乗ったように心地よく、空けてしまった時の流れに胸をまた切なくさせた。 「こういうのって中々クチに出しづらいし省かれがちなことだけど、ちゃんと言った方がいい時ってやっぱりあるんだろうねえ……なんて、俺が言うのもナンだけどさ 結日のこと大事に思ってるよ ずっと前から……でも一番はエッちゃんだけどね」 「お前らってさあ」 「俺とエッちゃん?」 「付き合ってンの?」 「残念だけどまだ……でも俺は全然諦める気なんてないからね!」  胸に感じるポツリと痛い染みの名は、疎外感というものだ。明らかに自業自得であるのに、結日は結日で瑞月と同じく、諦めたくない気持ちでザワついた。   「あの時、俺が抜けてなかったら……今どうなってただろうな」 「きっと変わらず毎日三人で遊んで……そしてやっぱり俺はエッちゃんを好きになってる……結日、お前じゃないからな! いつも一緒にいられるお前が羨ましい」 「ま……家族だしな」 「俺はいつかエッちゃんと家族を作って行く」 「――!お前らもうそんな話ししてるの!?」 「そうだったらいいけどね……今はまだ俺が考えてるだけ いつかエッちゃんに話せる時が来たらいいな……先に”お兄ちゃん”のお前に話しておくねクスッ」 「……~……たまげた」  「毎日エッちゃんと一緒にいて楽しくて仕方ない ずっと前からね だからエッちゃんがいないと寂しいし、いないなんてもう考えられない」 「そんなこと、顔に手形付けて言うのがお前らしいな」 「クスクスクス……これは……結日にも言えないや」   恵風が羨ましい、自分にも欲しいと結日は思う。”自分の足跡を知る者の存在”を。 新しい場所で誰かに自分を見せるのは、きっと新しい自分。それはそれでいい。でも、自分のすっかり後ろまでを知る、見ていてくれた者がいる恵風が羨ましい。 飛んで行きそうなくらい膨らませたブランコの波の、一番高い所から見る順番待ちをしている友だちの姿。笑ってる友だちと自分。怒ってる怒られてる自分と友だち。泣いてる時も一緒だったかもしれない。そんな本当に何でもないことまでを、一緒に覚えてる存在が自分のそばにずっといる。同じ風景の中に、生まれた時から一緒にいる家族以外の誰か。 あの日結日が感じていた郷愁は、瑞月とはそうなっていたかもしれないのにと、無意識に見ていたふたりの後ろ姿だった。 🌱  結日の名前は母親が付けた。意味は読んだそのまま”結んだ日”。 ”この世の素敵な縁を結び繋いで行って欲しい” 並んで眠る妹の手を握ったのを見た時に、その名が浮かんだという。 「おはよーユイ、誕生日おめでとう!去年より頼もしくなったんじゃない?」 「そうだったお前も十六か よくやった!これからもその調子で行け」 「はいコレ、三人でお揃いなんだよ 今日の記念!」  自分たちの間で”三人”と言えば、確かめなくても通じること。恵風もそれを信じてる。誕生日にお互いを褒め合うのは、父さん母さんの”おめでとう 良かった 嬉しいよ”をずっと一緒に聞いてたせいだ。 誰かの今日が普通の日でも嫌な日でも、自分たちには特別な日。生まれてきたことを喜ばれて、ここにいることを喜ばれ、自分じゃないと寂しいと感じてくれて、頼りにしてくれて、そして生まれて初めての最高のプレゼントである名前をそんな友だちが呼び一緒に笑ってくれる。 数年溜めたわだかまりを全て解かしてくれた友だちを、もう二度と手放したりしない。ずっとずっと続きそうな楽しみも。 「靴下か……早速履いて…」 「うっわっ!ユイ!また濃くなったんじゃない?」  16年の道中で理由を分かってはいても、いつからこうなったのか結日自身にも説明出来ない。”生え替わり!?”気付いたらこの有様。自分も地球に乗って一緒に回る自然の一部、地球の男なのだ。 「お前のアレと俺のスネ毛を交換してくれって言われても、俺は絶対に断る」 「ヤッダ ユイのエッチ!」  男の御脚を見て、今日も恵風が言い放つ。女の恵風にはそれが不思議に思えて仕方ないらしい。この所の夏の風物詩となりつつある。 時々言われる妹からの“エッチ”について、少年結日は考える。思うのはいつも、”バカヤロウ”しかない。特にこんな”スネ毛”のような現象にまで、言及する必要はないのだ。そして――  瑞月…… お前はどうなんだろう……  自分の心の一部である友のことを想うのだった。
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