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第六話 ユメとウツツのハザマで…
あの冥暗の時、兄の元へと行きたくなったのは、恵風の帰巣本能のひとつか、それとも不思議な双子マジックか。なのに兄の顔もろくに見ることが出来ず、意識は朦朧。そんな中、出し抜けに恵風の耳に飛び込んで来たのは――
「おい、ここは薬もあるんだぞ」
今朝の絶望を知る唯一の存在は結日。常備薬を切らしていたという失念は、今朝からここまでの道のりを全て朦朧とさせた。やっとのことで家に辿り着き、キッチンでコップをトン!と置いた時に、自分に課せた使命を終えたと、恵風はその日のスイッチを切ってしまった。
「エッちゃあん!!」
部屋に戻った間もなくに、猛暑の最中、冬布団にカラダを巻き付けられたような感覚の不快さと息苦しさに、もがき抗おうと必死になるが、現実なのか夢なのか恵風にはもう判別出来ない。
「エッちゃん エッちゃん!」
名前を呼ばれているのは聞こえているが、意識と結びつかずただ騒々しい。
すぐにでも、自分の中の全てのシャッターを下ろし眠ってしまいたいのに。
けれどなにか大きなものを自分は忘れているような……。そう思いながら眠りの谷に落ちて行った。
目を開けると自分の部屋の天井。そして自分のすぐそばには一瞬たりとも見逃しはしない、ハンターのような目の――
「ミズキ?」
「エッちゃん大丈…ブッ??」
考えるよりも先に手が出たのは、日頃の兄妹げんかで培った体得だろう。この日助けてくれていた友だちの頬に、全力のダメージを与え飛び起きた。
🌱
置物のように動かなくなってしまった恵風は、顔面からベッドに吸い込まれるようにコテッと倒れ、ヘリをたてにして座ったまま再び動かなくなった。
その模様にしばし呆気にとられていた瑞月は、ハッと我を取り戻し何度も恵風を呼んだ。これまでの脳天気な自分との場面展開があまりにかけ離れ、泣けてくるほど瑞月は焦る。
「うるさィ」
うるさいと言われてしまった。日頃から自分は少々騒がしいかもしれない。超大型級の眠気がやって来ているらしい恵風の顔を見て、脳内は右往左往と忙しい。次の策を巡らす中、聞こえてくるのは恵風の「スースー」。
触れることに戸惑いながら、スースー言ってる恵風を何とか抱き上げようと試みた。
素肌を触れるのは初めてじゃない。手や腕、そしてホッペにも触ったことがあったかも。けれど今は手やホッペの範疇ではない。言うなら”生”だ。
毎夜の如く想い描く恵風の姿。毎夜ではない。朝から夜まで眠る間も。きっと瑞月が生きてる限り、恵風だけというほどだ。それが今”生”という待望の時が訪れた。
けれど本当はこんな形を望んでいたわけではない。瑞月の緊張は極限に達し、自分の呼吸と心音が頭の中でとどろいた。手はヒンヤリと冷たくなり、動きが鈍くなる。加減の調整は狂い、つい力んでしまう手が恵風を痛めているかもしれない。
「 ミズキ 」
「あっごめん 痛かった?」
我を失いかけてる瑞月の耳に、恵風が自分を呼んだ声が聞こえた。それがうわごとだったと分かったのは、数秒の後。眠りの中で自分を呼んでくれた、その喜びは思いもよらないチカラに変わる。
そっとベッドに寝かせて肌掛けを掛け、なにごともなかったように眠る恵風を見てから、チカラを全て使い切ったように瑞月はドッと床に腰を下ろした。ホッとしながら改めて恵風が味わっている苦痛を、欠片だけでも分けてもらった気がした。彼女が言う”お腹が痛くて遊べない”はもっともなことで、それを半端な気持ちで邪魔してはいけないのだ。
🌱
怪訝の表情を変えない恵風に面して、しょぼくれ顔の瑞月。しばらく無言で見つめ合うふたりだが、先に口を開いたのは瑞月。
「……ごめん」
なにに対して自分は謝っているのか、もはやあり過ぎて分からない。
消沈の情調はしばらく部屋の中を重く漂い、そのうち恵風は部屋着に着替え始めた。普段、着替えの際には、瑞月は部屋を一旦空ける。この意味を失った今はせめて視界に入り込まないようにと、今更ながら瑞月は落ち着かなく視線を逸らした。
着替えが済んだ恵風はベッドに腰掛け、俯いてる瑞月を眺めた。自分よりも大きな体の子がうなだれ小さく見える。
視線を感じながら服を着た恵風に視線を戻すことが出来なく、先ほどの外の穏やかな夏の音は変わらず部屋に届いていたが、瑞月の耳にはもうなにも入ってきていなかった。
「エッちゃん……俺は何も悪いことはしてないよ…… 」
さしあたってのことを、自信なげに弱々しく言うのがやっと。まるで今の自分はお父さんに怒られている時のダイちゃんのようだ。その姿を見た時、いつも愛おしさを感じていたものだが今の自分はそれと全く違う。悪いことをしていないのならば、毅然とした態度でいても良いはずなのにそれができない。裸に近い姿の恵風のそばにいただけで、それは罪になると瑞月は思い込んでいるためだ。
恵風は瑞月の声を耳に入れながら、ふとクローゼットのフチにぶら下がっている制服に目が行った。セーラーの襟はずれてるし、スカートはヒダが不揃いで斜めに吊されている。
「……怒ってる?」
中々働き始めない思考回路での間違い探し。自分の制服に目が止まったまま瑞月の詫びが素通りする。
「許してよ……エッちゃん……」
恵風はやっと気付く。悪いのは自分だ。なのに瑞月をはっ倒す勢いでぶってしまった。そしてもうひとつの失敗には大が付く。瑞月の前で制服を脱いでしまったことだ。
うっかりにも程があると恵風の肝がワナワナと震える。「お腹が痛いから遊べない」はずなのに、結日の所へ行ってしまい、そして「着替えるから部屋を出て」も言わずに自ら制服を脱いだ。瑞月の存在がどこかに行ってしまっていた。瑞月はさぞ腰を抜かしたことだろう。
恵風が自身に青ざめてる間にも、頬に手形をつけた瑞月は自分の過ちだとつらづらと言葉を続ける。
「ミズキのこと……キライになった?ミズキは君のことが大事で大好きなんだ お願い……許してくれないと……ミズキは……」
なに?という恵風と不意に目が合い、瑞月はただ顔を赤くして下を向いた。
眠ったのは小一時間ほど。その間に先刻の解熱鎮痛剤が、すっかり効果を出してくれたようだ。俯くばかりの瑞月を見ながら、視線は瑞月の手に辿り着いた。その手は先程まで自分のお腹を覆っていたものだ。
こんな失敗をしてもなお、自分のことを好きだと言ってくれる友だちはきっと他にはいないだろう。
「さっきユイの所で薬買って……飲んだ」
俯き、つむじしか見せていなかった瑞月は勢いよく顔を上げ、恵風の言葉に食い入った。
「もう……平気」
大げさと恵風が思えるほど瑞月は満面の笑みで喜んだ。
そんな瑞月を見て表情をやわらかくした恵風は、瑞月の手を取ってフワリと包み
「ありがと」
とだけ言った。
感謝は言えたが、自分の無意識の行動に触れようとするだけで、心中冷たい汗を感じた。そして、やはり、今日のような日は遊ばない方が良いと、瑞月の頬を見ながら気を改めるのだった。
🌱
「あれ……」
毎朝チャイムを鳴らしてドアを開け、この家に住む素敵なこを連れて行く。
今日も学校、明日も学校。それでも一緒にいるだけで世界の色がまるで違う。
「どうしたの?珍しいね」
玄関を出た所で恵風が待っていた。昨日の今日で、瑞月にはいかばかりの緊張があった。恵風は恵風で自分の早とちりを申し訳なく思っていた。
「ほっぺ昨日よりマシになったね ごめんね」
そう言って上目遣いでいたずらっ子のように小さく笑う。その表情をした時、幼い頃のままになるのだから不思議だ。不思議に思い、そして安心する。
「あれ、心配してくれてた?」
毎朝チャイムを鳴らしてドアを開け、ここの家に住む素敵なこを連れて行く。
絶対に失いたくない。失わないように気を付けないと。その為にはどうしたらいい?探って考えてそして見つける。そうやって少しずつ大人になって行く。
早く会いたい。早く早く。毎日あっという間に過ぎて行く。でもそんなに急いで大人にならなくてもいい。
知らなければならないことが、自分の周りにはたくさんあるから。
自分たちはまだ大人になる途中。
もうひとりの大事な友だちに話した、夢に近づける毎日を送る。
「16才だね おめでとう!俺の顔より大事なことじゃない!」
「そ、そうかな……」
あの日賑やかな教室の中で、ひとりで沈んでいた自分を掬い上げに来てくれた時から始まっているふたり一緒のスキップ。
行き先は今日も学校で明日も学校。でも一緒にいるだけで世界の色がまるで違う。
絶対に離したくはない。
どんな色にするかは自分次第。そしてふたり次第。
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